第10話 デニソンの講義、呪いは放置から生まれる
昼。図書室に集まった。埃の匂いと古紙の匂い。デニソンが分厚い記録帳を開き、ページをめくる音が静かに響く。
「月影館の主は、昔、恋人と子どもと暮らしていた。だが、事故で大切な人を失った。……それから片づけをやめ、言葉もやめた」
“やめた”という言葉が重い。
「放っておいた部屋にムーンジェイドの力が溜まり、記憶が暴れ始めた。足音は追い払う音じゃない。動けない主の代わりに、屋敷が動こうとしている」
子どもが手を挙げた。
「じゃあ、泣いたら掃除できない?」
ホタルは首を振った。
「泣いてもできる。悲しいときほど、手を動かすと息ができる」
自分の言葉が、喉の奥で引っかかった。ホタルは少しだけ視線を落とし、短く話した。
「私、東京で……部屋が荒れている人の家に行く仕事をしてた。誰かがいなくなった家もあった。片づけると怒られることもある。でも、動けないなら、代わりに手を動かすと呼吸が戻る。だから、ここも」
オックスが黙ってほうきを握り直した。ビジルも視線を落とし、呼吸を一つ数えた。
「なら、片づけて、言葉を戻せばいい」
ホタルが言うと、デニソンは頷いた。
「そう。鍵は、感謝を口に出して渡すこと。もう一つは――二人で同じ方向へ進む決意」
「決意?」
子どもが首を傾げる。
オックスが少しだけ眉を上げた。
「同じ方向……」
その瞬間、屋敷の奥で、扉が軋んだ。今まで開かなかった奥の扉が、ほんの少しだけ開く音。
皆が顔を上げる。
「動いた?」
子どもたちが小声で言い合う。
ホタルは立ち上がり、ほうきを握った。
「動いた。なら、やることは同じ。今日の続き」
廊下へ出ると、足音が先導するように鳴った。怖がらせる音じゃない。行き先を示す音だ。
図書室を出る前に、ホタルは棚の一番下の埃を指でなぞった。灰が薄くつき、すぐに取れる。放置されていた時間が長いほど、取れる瞬間が気持ちいい。
「片づけは、元に戻すんじゃない」
ホタルが言うと、デニソンが頷いた。
「どういうこと?」
子どもが聞く。
ホタルは少し考えてから答えた。
「今の手に合う形にすること。今の人に合う家にすること」
オックスが短く息を吐いた。
「……今の人、か」
廊下へ向かう途中、オックスは子どもが落とした手袋を拾い、さっとはたいて渡した。子どもは「ありがとう!」と叫び、オックスは耳を赤くしたまま前を向く。
デニソンはその背中を見て、小さく笑った。
「言葉は戻ってる」
ホタルはほうきを握り直した。
「戻るなら、もっと増やす。言葉も、生活も」
図書室で、ホタルは棚の間で記録帳を布で拭きながら、東京の段ボールの積まれた廊下を思い出した。胸がきゅっと縮むと、ホタルは四つ数えて長く吐いた。布の感触が、足元を今に戻した。
床板が小さくきしみ、子どもたちは顔を見合わせて笑った。
窓の外で鉱山の灯りが揺れ、ページをめくる音が混ざった。屋敷の中はまだ古いけれど、言葉の決まりが一つ増えた気がした。




