黒鴉の涙
捕縛された蒸気怪盗・黒鴉は、火ノ川縫次郎と鉄の同心に縄で縛られ、町役人の詰所へと連れ込まれていた。
しかしその顔を覆っていた仮面が剝がれ落ちると、そこにあったのは驚くほど幼い面差しだった。
「まだ……子どもじゃねぇか」
縫次郎は目を見開く。
頬は煤で汚れているが、痩せ細った顔に年端もいかぬあどけなさが残っていた。
ただ、その瞳だけが異様に濁っている。青白い光と共に、瞳孔の奥に歯車の紋様が刻まれていたのだ。
「……お前らに捕まるぐらいなら、消えたほうがマシだ」
少年は低く呟き、縛られた腕を無理やり震わせる。
その動きに合わせて、背の蒸気機構がジジ、と不気味な音を立てた。
「危ねぇ!」
鉄の同心が身構える。
だが縫次郎は咄嗟に少年の手を掴み、叫んだ。
「やめろ! 死に急ぐな!」
沈黙。
少年の肩は荒く上下し、やがて力なく項垂れた。
──そのとき、奥から駆け寄ってきたのはお結とお蘭。
お結は縫次郎の隣に膝をつき、必死に少年を覗き込む。
「ねぇ……教えて。どうしてこんなことを?」
彼女の瞳には純粋な涙がにじんでいた。
「……食うものがなかった。親父も、おっかぁも、病で死んだ。
そこにあの人が来て……翼をくれた。
金を盗めば、飯も、居場所も与えてやるって……!」
少年の声は震えていた。
しかしお蘭は、艶やかな眼差しで冷たく言い放つ。
「救われたんじゃないわ。利用されただけ。
縫次郎、この子を甘やかせば……あんたまで飲み込まれる」
──お結の涙。
──お蘭の冷酷な忠告。
縫次郎は二人の間で言葉を失った。
だが、少年の頬をつたうひとしずくが答えだった。
それは油に汚れた涙であり、江戸の闇に生まれた子どもの叫びでもあった。
縫次郎に取り押さえられた少年は、必死にあがきながらも力尽き、荒い息を吐く。
その瞳に宿るのは恐怖、そして歯車の刻印が淡く光っていた。
「……やめろ……! 俺は……ただ……命じられただけだ……」
縫次郎が問い詰める。
「誰に命じられた……!?」
少年は呻きながら、声を絞り出した。
「……“歯車翁”だ……! あの人が……俺に翼を……」
その瞬間、少年の身体を走る歯車紋が、ジジジと火花を散らす。
まるで口を塞ぐように、黒い蒸気が彼を覆い尽くした。
「くっ……待て! まだ話は──!」
縫次郎が手を伸ばすも、少年は意識を失い、ただ苦しげな寝息だけを残す。
夜風に混じり、遠くでかすかな笑い声が響いた。
「……歯車は廻り始めた。江戸の歯車を、全て我が掌に……」
見えぬ黒幕の影が、江戸を覆い始める。
──そして物語は、次回へ続く。






