御用改め、鉄の同心
天保一九五年。
この国はいまだ鎖国を続けている。……表向きは、だ。
だが実際の江戸を歩けばすぐに分かる。
空を見上げれば、**蒸気で浮かぶ駕籠**が行き交い、町人たちはそれをまるで人力車のように気軽に使っている。
どうしてそんな物があるのか?
理由は簡単。天保幕府が、異国の技術をこっそり解析して、自分たちなりに魔改造してしまったのだ。
夜になれば、石畳を軋ませて歩いてくるのは──鉄の同心。
**機巧人形に蒸気機関と算術機械を組み込んだ“ロボット同心”**が、無表情に街を見回り、悪党を睨みつける。
街の光景は奇妙だ。
提灯の柔らかな明かりと、異国渡りのネオンが並び立ち、瓦屋根の上には金属の管や導線がびっしり。
空はいつも煤煙と蒸気で曇り、聞こえてくるのは三味線の音と、歯車の軋む金属音。
江戸情緒はそのままに──しかしここは、まぎれもなくサイバーパンク江戸である。
夜の江戸──。
石畳に灯るのは、提灯の朱と、異国渡りのネオン。
瓦屋根の上には管と導線が這い、三味線の音に歯車の軋みが重なる。
その闇を裂いたのは、空を飛ぶ蒸気駕籠の影だった。
ゴウン、ゴウンと鉄の羽音を響かせながら、町人を乗せた駕籠が長屋の屋根すれすれに滑り込む。
子どもが指を差して叫んだ。
「おっかあ、また空飛ぶ駕籠だぁ!」
その賑わいを遮るように、ズシリと石畳を踏む重い足音。
カン、カン、と鉄の下駄が響いた。
「御用改めである──」
青白い光を宿した瞳が、闇の中でぎらりと光る。
現れたのは、人の形をした機巧人形。
胸には徳川の葵紋、背には蒸気を吐く排気口。
──鉄の同心。
逃げ惑う人波の中で、一人の若い下っ引きが声を上げた。
「お、お頭! あいつですぜ、怪盗《煙突小僧》!」
その指差す先、屋根の上を黒い影が駆けていく。
背中には異国の導線を束ねた奇妙な荷物。
赤いネオンの光を浴びながら、煙突の間を縫うように走っていた。
鉄の同心が首をぎこちなく巡らせ、無機質な声を発した。
「目標確認──逃走者、捕縛対象」
次の瞬間、背中の蒸気口が轟音を上げ、鋼の体が宙を跳んだ。
鉄の影が夜空を裂き、屋根瓦を砕きながら追撃する。
町人たちは口をぽかんと開け、下っ引きの若者だけが震える手で十手を握りしめた。
「くそっ……こんなの、人間の捕物じゃねえ……」
それでも彼は足を踏み出した。
なぜなら──彼だけが、鉄の同心を制御する「謎の文字列」を読み取れる目を持っていたからだ。
瓦屋根を蹴り、怪盗《煙突小僧》が飛んだ。
背の荷物からは導線がのたうち、電光が迸る。
「ヒャッハァ! 捕まえられるもんなら捕まえてみな!」
その声が夜空に響いた瞬間──
ドォンッ!!
背から噴き上がる蒸気、鉄の同心が瓦屋根ごと跳躍した。
石の如き重量が瓦を砕き、衝撃波で提灯の火が揺らぐ。
青白い光を放つ眼が、逃げる怪盗を正確に捕捉する。
「対象追跡──逃走経路、屋根上──制圧開始」
ガシャリと腕が変形し、鋼の鎖が唸りを上げて射出された。
しかし《煙突小僧》は俊敏だった。
導線を巻きつけて電流を走らせ、鎖を焼き切る。
「おっと! お役所のブリキ玩具じゃ、俺様は捕まえられねぇ!」
火花が散り、瓦が砕け、蒸気と煤煙が入り乱れる。
見物していた町人たちは悲鳴を上げ、路地に逃げ込んだ。
その混乱の中、下っ引きの若者は十手を手に歯を食いしばる。
「……やるしかねぇ!」
彼の眼に、誰にも見えぬ淡い光の文字列が浮かび上がっていた。
鉄の同心の制御コード。
蒸気と歯車の奥で、命令の走る“見えざる回路”が読めるのは、この男ただ一人。
「御用改めぇぇぇっ!」
彼は十手を振り上げ、瓦屋根に飛び出した。
その叫びは、蒸気の轟きと三味線の調べに混じりながら、江戸の夜空を震わせた──。
瓦屋根を駆ける怪盗《煙突小僧》。
その後を鉄の同心が追い、蒸気と火花が夜空に散る。
「対象追跡──鎮圧開始」
ガシャン、と鉄の腕が変形し、鋼の鎖が放たれた。
だが怪盗は素早く導線を巻きつけ、火花を散らして焼き切る。
「はっはァ! ブリキの玩具にゃ、俺様は捕まえられねえ!」
鉄の同心の動きが一瞬、止まった。
回路が過負荷を起こし、制御不能の警告が走る。
そのとき──若き下っ引きの瞳が淡く光った。
彼の目には、誰にも見えない文字列が走っていた。
歯車と蒸気の奥に潜む、制御コード。
彼は直感的に理解した。
「……こいつの回路を、読める!」
十手を振り上げ、屋根から飛び出す。
「御用改めぇぇぇっ!」
その声に呼応するように、鉄の同心が再起動した。
青白い光を宿す眼が、怪盗を正確に捉える。
人間と機械──思いがけぬ共闘が、そこに成立した。
「対象捕縛、開始」
鉄の同心の声が、低く、力強く響く。
だが次の瞬間。
怪盗《煙突小僧》が背負った荷物から、異様な光があふれた。
「……見せてやるよ、異国の“禁制兵器”ってヤツをなァ!」
眩い閃光とともに、瓦屋根を貫く雷撃が走る。
蒸気駕籠が爆ぜ、提灯が次々と吹き飛んだ。
町人たちの悲鳴、鉄の同心の軋む音、そして下っ引きの息を呑む声。
夜空を裂く轟音が、江戸を揺るがす。
そして物語は──次回へ続く。