それは、どうやって使うのですか?
「ミラベル・ナイトレイ! 今この場をもって、君との婚約を破棄する!」
という台詞から始まる、どこかで読んだような断罪劇。
始めたのは此処アストラリウム国の第一王子、レオニス・オルレアン。金糸の髪に紺碧の瞳と絵に描いたような美貌は、今は怒りに満ちている。
傍に控えている側近候補、宰相子息ナイジェル・アークレイン、騎士団長子息フェリクス・ドレイクウッドもまた厳しい表情を浮かべていた。
「……理由をお聞かせ願えますか? レオニス様」
対して銀糸の髪に翠色の瞳の美貌の持ち主、公爵令嬢ミラベル・ナイトレイは酷く冷静だった。こうなることは分かっていた、と言わんばかりに。
「君は王太子妃としてふさわしくない、それだけだ」
レオニスの言葉に、ぴくり、とミラベルの柳眉が跳ね上がる。
「あら、何をもって私がふさわしくないと仰るのか理解できませんわ。幼少の頃より貴方を支えるべく王太子妃の教育に励んでおりましたのに」
「確かにその努力は認めよう。……が、『ふさわしい』となると話は別だ」
「まあ、それは心外ですわ」
ミラベルは扇を広げ、目を細めてみせた。そしてその視線が、静かに動かされる。
「では、貴方の隣にいるその御方が、ふさわしいと仰るのかしら?」
その先にいたのは、男爵令嬢ソフィア・リンドン。ストロベリーブロンドに紫色の大きな瞳が愛らしい少女だ。
しかし少々不思議なことに、彼女はミラベルの強い視線を受けてもレオニスに縋ったり、怯えたりする様子はない。ただ静かに見返してくるだけだ。
そこに何の感情も読み取れないことに、ミラベルは少々訝しく思うも、まあいい、と口を開く。
「……レオニス様」
「なんだ?」
すう、と翠色の目が悲し気に細められた。
「いえ、貴方だけではありません。アークレイン様、ドレイクウッド様」
名を呼ばれた2人は目を見開きつつも、同じように「何でしょうか?」と問いかける。
「あなた方は『魅了魔法』にかけられています」
ざわり、と会場中に不穏な空気が満ちた。
かつて恋人を得るため、人心を掌握するため、果ては政策を左右するために使われた『魅了魔法』。その余りにも強力な、そして人の心を操るというその性質故に、魔法規制法により一切の使用が禁じられている。
「……馬鹿な」
「信じられないのも無理はありませんわ」
ミラベルは沈痛な面持ちで首を横に振ってみせた。が、きりりと表情を引き締め、レオニス達を真っすぐに見据える。
「ですがこれが事実なのです。私なら皆様をお救いすることが出来ますわ」
「あの、すみません!」
別の声がそれを遮った。ミラベルは邪魔された、とばかりに発言の主……ソフィアを睨む。
「なんでしょうか、リンドン様? 公爵令嬢である私の発言を遮るなど……やはり立場を弁えていらっしゃらないようね?」
その視線に怯むことなく、ソフィアは口を開いた。
「不敬なのは百も承知です。ですが、冤罪を着せられて死刑になるのはもっと嫌です!」
ソフィアの言い分も最もだ。禁止魔法を人に対して使ったら、最悪死刑になる。
「ナイトレイ様の仰りたいことは、要するに私が『魅了魔法』をオルレアン殿下に使った、ということですわね?」
「……結論を言うとそうなるわね」
我が身を顧みなさい、と言わんばかりの視線を向けられ、ソフィアはぐっ、と胸元で拳を作った。そして、すう、はあ、と深呼吸をして、そして口を開く。
「お聞きしますけど」
「それは、どうやって使うのですか?」
思いもかけない言葉だったのだろう、また騒めきが起こる。
「歴史の授業で習いましたけど、『魅了魔法』が禁止されたのって150年前ですよね? 私その前に生まれてなどおりませんけれど。調べたんだろうっていうのもありませんわ。そのような魔法の使用方法は、厳重に管理されてて閲覧するにも凄く沢山の書類書かないといけないと聞いております。そのような手間のかかること、私やっておりませんしやりたくもありませんわ」
一気に事実を捲し立ててやれば、ひそひそと囁く声があちこちで聞こえた。
「確かにそうですわね……」
「リンドン様は男爵家でしょう? 閲覧する伝手などありませんわ」
「使い方知らないんじゃなあ……」
「いや、そもそもリンドン嬢は……」
会場の空気が逆転しそうになったのに焦ったのか、ミラベルは言葉を紡ぎ出した。
「生まれつき使えたのでしょう」
「ふっ……」
余りのことに噴き出すソフィア。ぴくり、とミラベルの眉が跳ね上がる。
「何がおかしいの?」
「失礼しました。……貶めるのなら、その相手のことをよくお調べになった方がよろしいかと」
ツメが甘いんですよ、とソフィアは答えた。
「私は魔法が使えません。使うための魔力が無いのですから」
「……っ!」
ミラベルの顔が歪む。
アストラリウム国では10歳になると、教会で『魔力鑑定の儀』を行う。簡単に言えば『魔力の有無』を、そして魔力が有ればその『資質』を鑑定するものだ。
魔力が有ればそれを生かす職業へ、無ければ別の職業へ……要するに自身の進路を決める道標のような意味合いを持つ儀式だ。それは学院でも反映されており、一年間の基礎教育を終えた後は『普通コース』か『魔法コース』を選択することが出来る。
もちろん『魔力無し』と判定されたソフィアが所属するのは『普通コース』だ。魔力が有っても『普通コース』を選択する生徒がいない訳ではないが、ほとんど稀だ。
「教会の鑑定は『魔力無し』でしたよ。魔法が使えない私が、どうやって『魅了魔法』を使えたのですか? もしかして誰かにやらせた、など苦しい理由を持ち出そうとしていますの? じゃあ、その『誰か』をここに連れて来ていただけますか? 当然、突き止めているんですのよね? 早く連れて来てくださいな」
「あ、あなたっ、この私になんて口をっ……!」
「冤罪を着せようとしている相手にはらう敬意はありません。こちらは死刑になるかどうかの瀬戸際なのですから」
わなわなと震えるミラベルに、話になりませんね、とソフィアは息を吐いた。
「ああ、ですが『仮に』オルレアン殿下達が魅了魔法にかかっているとして」
「何故、ナイトレイ様が解決できるのでしょうか?」
「先ほど仰られていましたよね? 『私なら皆様をお救いすることが出来ますわ』と」
そう言われて気を取り直したのか、ミラベルは笑んでみせる。
「ええ、その通りですわ。私には魔力がありますもの」
貴方と違って、と言外に感じたが、そこはスルーしてソフィアは続けた。
「……確かにナイトレイ様であれば、魅了魔法が精神深くに食い込んでいても解くことが可能でしょうね」
「ええ、その通りよ。日数はかかるでしょうけれど、私なら」
「その必要はない」
「……え?」
ミラベルの目が見開かれる。
遮ったのはソフィアではなく、渦中のレオニスだった。紺碧の瞳は、確かな強い光を湛えている。
「私たちを縛っていた『術』なら、もう解けている」
ナイジェルもまたモノクルを直しながら口を開いた。
「はい、リンドン嬢のおかげです」
フェリクスはがしがしと後頭部を掻きながら溜息を吐く。
「まったく……頭がぼうっとするわ、口が意思とは関係なく動くしで最悪だったぜ。本当に助かったよ」
それに合わせて他の2人からも礼を言われ、ソフィアは「気になさらないでください」と微笑んだ。
「なっ……貴方が何故……!? いえ、貴方が解けるということはやはり」
「違いますよ」
突破口を見つけたとばかりに口撃しようとするミラベルを、ソフィアはきっぱりと否定した。
「私はただ薬草を煎じただけです」
「オルレアン殿下たちにかけられた『催眠』を解くために」
ざわっ、と不穏な騒めきが満ちる。
まさか、第一王子及び側近を催眠にかけるとは。なんと大それたことを。
それが止む間も与えず、ソフィアは言葉を続ける。
「ヒプノブルーム」
びくっ、とミラベルの肩が震えた。
「まあ、魔力が有る無しに関わらずご存知でしょうけれど、一応説明しますと人を軽い催眠状態に陥らせるものです」
「で、でもそれはっ」
「ええ、ごく少量……適切な量であれば、害はありません」
「ですが『大量に』摂取すれば話は別ですわ」
かちり、とモノクルを直しながら、ナイジェルが引き継いだ。
「要するに我々に大量にヒプノブルームを投与し、精神を白紙に近い状態にする。そうすればコントロールするための魔力は、非常に微弱でも事足ります」
「だが、俺たちには毒見役が付けられる。……が、例外ってのは存在するんだよな」
フェリクスは目を悲し気に伏せる。
それが誰のことなのか、察した周囲はまた騒めいた。
「ミラベル、君自身なのだろう? 私にヒプノブルームを投与したのは」
レオニスの瞳が、真っすぐにミラベルを捉える。
そう、婚約者からの『差し入れ』を、疑うこともなく口にしてしまったのだろう。
「……信じたくはなかった。アメリア、何故このようなことを?」
「セラフィナ……どうして……」
ナイジェルの婚約者アメリア・ヴァレンティナ伯爵令嬢、フェリクスの婚約者セラフィナ・アーデルハイト伯爵令嬢。
悲しそうにそう問われた2人の顔が、見る見る内に青ざめていく。
「そ、そんな……、ミラベル様から渡された『あの粉』が、まさかそんなものだったなんて……!」
「知らなかったとはいえ、なんと恐ろしいことを……申し訳ありません」
嘘を吐いている様子には見えない。アメリアとセラフィナは利用されただけだったのだろう。
(まあ、予想は付きますわ。『婚約者の方ともっと仲良くなれるよう、特別な魔力を込めたものよ』とか言って丸め込んだんでしょうね)
それを素直に信じるのもどうかと思うが。
まあ、第一王子婚約者兼公爵令嬢、さらに親交を深めていた友人に『陥れられる』など夢にも思わなかったのだろう。
謝罪を繰り返す2人の肩を、ナイジェルとフェリクスは沈痛な面持ちでそっと押さえた。
「君の友人から重要な証言が得られたな。……これでもまだ、言い逃れをする気か?」
レオニスに絶対零度を思わせる視線で見据えられ、ミラベルは顔から色を失い、唇を噛みしめた。
ソフィアもまた厳しい視線をミラベルに注ぐ。
「私に罪を着せようとしたのは、我がリンドン家が薬草の栽培及び販売を取り扱っているからですわね。罪を着せた後は私ごとリンドン家を取り潰せば証拠は残らない……そうお考えになられたのでしょう?」
「……っ」
ミラベルの肩が大きく震えた。その反応だけで充分だ。
「私などに高位貴族の方々が声をかけてくる状況を『おかしい』と思わない筈がありません。殿下達が催眠状態に陥っていることを進言し、治療をし……そのせいであらぬ噂をたてられてしまいましたが、ナイトレイ様が『勘違い』してくれたおかげで、それを隠れ蓑として順調に『調査』に協力することが出来ましたわ」
「リンドン家の販売履歴から定期的にヒプノブルームを買っている者を絞り込めば、後は芋づる式だった。そして……」
「君の魔力の『資質』は『精神操作』だ」
他者の心や意識、感情、思考を直接コントロールしたり影響を与えたりする『精神操作』は、その効力故に慎重にその力を使わなければいけない。医療行為や戦争などの有事、魔物の対処などが正しい使い方にあげられる。
それ以外のこと……つまり『私利私欲』のために使った場合、厳しい罰則が下される。そこに身分はもちろん関係ない。
「君はもう王太子妃にふさわしくないどころか、己の魔力を私利私欲に使った『罪人』だ」
ガシャンッ!
衛兵がミラベルの喉元に剣を突きつけて拘束した。
「……こんな、こんなのおかしいわ」
ミラベルは目を見開き、ぶつぶつと呟く。
「嘘よ、だってソフィアは魅了魔法の使い手で、それで教会の記録を改ざんして……」
「そのようなこと許される筈がありませんわ。それにもう一度言いますが、私は使い方を知らないのですよ?」
ソフィアが言い返すと、ぎろっ、とミラベルは恐ろしい目つきで睨みつけて来た。
「嘘吐くんじゃないわよ!! アンタは魅了魔法でレオニス達を籠絡するのよ! それを私がお救いして」
「黙らせろ」
レオニスの指示を受け、衛兵がミラベルに口枷を噛ませた。それでも尚聞き苦しい喚き声をあげるミラベルを、レオニスは容赦なく「連れて行け」と指示を出す。
ずるずると物を扱うように引き摺られていくミラベル。扉が静かに閉められ、ようやく喚き声が聞こえなくなり、周囲は安堵の溜息を零した。
「ナイジェル、フェリクス。お二人を落ち着かせてやれ」
レオニスに促され、ナイジェルとフェリクスは「失礼いたします」と礼をし、それぞれの婚約者の肩を優しく抱いて会場を後にした。
「そしてリンドン嬢。改めて、心からの感謝を」
レオニスは胸に手を当て、深々と頭を下げた。それにソフィアは息を飲みつつも、同じく胸に手を当てて頭を下げる。
「勿体ないお言葉です。謹んで頂戴いたしますわ」
頭を上げて、顔を見合わせて笑みを浮かべる。
そして。
「皆、騒がせてすまなかった。これは王子たる私が陥った愚行を示し、同じ失策を誰にも繰り返させぬために整えた舞台だ。嗤いたければ嗤うが良い。だが忘れるな。それが、志を継ぐ者の責任だということを」
その言葉は、会場に重々しい響きを持ってゆっくりと浸透していく。
紺碧の瞳はただただ真っすぐに、強い光を宿している。そこには、もう一点の曇りもない。
人々は自然に胸に手を当て、最上位の礼を取った。
レオニスは一瞬だけ目を閉じ、何かを堪えるような表情を浮かべた。そして目を開き、口元に笑みを浮かべる。
「……感謝する」
わあっ、と歓声が弾けた。
「さあ、夜会を続けよう。存分に楽しんでくれ」
その言葉に、人々は思い思いに本来の目的……夜会を楽しむことにした。
「リンドン嬢、この功績に何か褒美をとらせよう。何か希望は?」
ソフィアは少し考えて、口を開く。
「では、我が家の薬草を今後ご贔屓にしていただけませんか?」
「ああ、それはもちろんだ。父にもそのように進言しているところだった」
「ありがとうございます」
カーテシーをすると、レオニスはその青い目を細める。
「他にはないのか?」
「いえ、これ以上のことなど、勿体なく……」
「それでは私の気が済まない」
澄んだ紺碧の瞳で見つめられ、ソフィアはむずむずと心の奥がざわつくのを感じた。
「それでは……」
「ダンスを踊っていただけませんか?」
紺碧の瞳が大きく見開かれた。
「そのようなことで良いのか?」
ソフィアは困ったように微笑んでみせる。
「私にとっては、これ以上ない願いです」
男爵家の身分で、王子と踊ることなんて夢のまた夢だから。
叶えてくれるのなら。
「そうか……では」
大きな手が、差し出された。
「お手をどうぞ」
「……はい」
震える手を重ねれば、優しく包み込まれる。
手袋越しでも感じる熱は、酷く熱くて。
周りが2人のために場をあけてくれた。その中で向かい合い、音楽に合わせてステップを踏んでいく。
ソフィアはダンスが少々不得手だったが、レオニスのリードは巧みだったおかげで苦もなく足が動いた。
(ああ、夢のよう……)
溢れそうになる何かを、ぐっと堪える。
先程の『舞台』も、そして今見ているこの光景も。
決して忘れることは無いだろう。
そして今、紺碧の瞳に、自分が少しでも綺麗に映って欲しいと。
ソフィアは精一杯の笑みを、その口元に浮かべてみせた。
(終)