34. 悲願
計画の第二段階、すなわち魔族の殲滅を達成したときには、魔王を殺してから三十年が経っていた。魔族はしつこく増殖を続けて私に対抗していたが、自分以外の人間を強化して操るという方法を編み出したことにより、加速度的に魔族の討伐数を増やすことに成功した。
またこれと並行して第三段階、つまり四男の封印場所の捜索も行っていたのだが、そちらはまだめぼしい成果を上げることはできていない。
第二段階を達成してから五十年。ついに封印された四男を発見し、殺害に成功した。私が長い時間をかけている間に、奴隷となっていた人類は文明を再興し始めている。私が救世主として君臨するには少々都合が悪いため、その試みは挫いておく必要があるだろう。何か策を練らねばなるまい。
四男の封印場所周辺には、人間、動植物も多く封印されていた。これらが目覚めるには非常に長い時間がかかるため、放置しても問題ないと判断した。
そして今、私は最後の使命を果たすべく、ある場所を訪れていた。今までのすべてが今日のためだった、と言っても過言ではない。そのことを意識すると、歳甲斐もなく胸が高鳴ってしまう。
だが何の懸念もないかと言えば、そうではない。今から対峙するのは一筋縄ではいかない相手であり、私は愚かにも、彼にある要求を飲ませようとしているのだから。
「思ったよりも早かったな」
その言葉とともに、待ち人が現れた。初めて会ったときと寸分違わぬ姿をしている。
「お変わりないようですね」
「たかだか数百年で何が変わろうか」
「私は変わったと思いますが」
私は両腕を広げ、自分の身体を見ながら言った。実際、あのときから変わったことは多い。かなり歳を取ったし、腕と脚を一本ずつ失ってしまっている。だが最も大きく変わったことは、私が転生によって別の肉体を使用していることだ。
「そんな入れ物の話はしていない。その中身、つまりは魂に変わりがないという話だ」
魂が変わっているとかいないとか、私に判断はつかない。が、常に一つの目的が念頭にあったことは確かだ。そういう意味では、彼の言うことも正しいのかもしれない。
「――さて、用件はわかっている。約束を果たしてやろう」
取り留めもない会話から、彼は急に本題を切り出してきた。本来なら自分で切り出して流れを掴みたかったのだが、こうなっては仕方あるまい。
「ありがとうございます。ですがその前に一つ、お願いしたいことがございまして」
「お願いだと? ふん、浅ましいにもほどがある」
彼はあからさまに気分を害したようだった。しかし、ここで引くわけにはいかない。
「もう一度だけ、私を転生させてほしいのです。今のこの身体では、たとえ約束を果たしていただいたところで……」
「意味がないと言いたいわけか。なんと身勝手な」
そう、これは身勝手な願いなのだろう。だが、それの何が悪い。あんな理不尽に襲われなければこんな願いを抱くことはなかったし、理不尽に襲われたことへの埋め合わせがあってもいいではないか。
是が非でも彼を説得しなければならない。何か説得材料はないか。必死で頭を回すものの、上手い言葉は見つからなかった。歳のせいだろうか。あるいは、やはり最初から説得など不可能なほどに身勝手な願いなのだろうか。
しかし、彼の答えは意外なものだった。
「いいだろう。約束を果たしたうえで、今一度の転生も叶えてやる」
「――ッ、ありがとうございます!」
息を詰まらせながら、万感の思いで礼を述べた。これで唯一の懸念も消え去り、とうとう悲願が達成されるのだ。私は今にでも踊り出したい気分だった。
そのとき、小さく何かが光った。それが何であるかは、言われずともわかる。それは音もなくに私の眼前に進み出て、その場で静止した。間を置かず内側から光が発せられたかと思うと、それはすぐに直視できないほど強烈なものとなった。
強すぎる光を魔法によって遮断する。青白い光を放つ物体は大きくなり、徐々にその形を変えていく。一部始終を見守っていたはずなのに、物体は気づかぬ間に人型となっていた。百年単位の時間が流れようとも、その姿を見紛うことはない。
「ミレア……!」
体感にして百五十年ぶりの再会。自らの頬を伝う涙に気づいたのは、襟元がぐっしょりと濡れてからだった。しかし、泣くのはまだ早い。重要なのは、瘴気の侵されたミレアを治すことだ。
「お願いします」
私が言うと、すぐさま黒い靄が消え入るように天に昇っていった。ミレアの身体から瘴気の気配が失せている。気を失っているミレアだが、一気に血色がよくなったように思う。
「こんなものだろう。あとは目覚めるのを待つだけだ。」
「はい……」
歳を取って嗄れた喉が涙で震え、自分でも聞くに堪えない声だった。
あとは俺が三度目の転生を遂げ、その人生においてミレアともう一度出会えば、すべてが終わる。でも、問題が一つ。見た目が違うのに、どうやって俺がカインだと納得させればいいんだろう。何か説明を考えないと。
ああ、君を救うために世界を救ったのだと言ったら、俺がこの世界の救世主なのだと言ったら、ミレアはどんな顔をするだろう。喜んでくれるだろうか、それとも迷惑に思うだろうか。言わないでおくのがいいかもしれない。ただ一緒にいられれば、それでいい気もする。
俺はすっかり、ただの少年、カイン・マルクトゥスに戻っていた。取るに足らないけれど、輝いていた毎日。そんな日々が鮮明に、かつ急激に蘇ってきた。まるで走馬灯のように――
「転生魔法発動」
ファルシファルが告げた。カインは三度目の死を迎え、これから四度目の生を与えられるのだ。死ぬ直前の恍惚とした表情は、もしかすると走馬灯でも見ていたのかもしれない。
死んだ瞬間、それまで魔法で補われていた左腕と右脚が消失し、上半身の右側が重くなったため、カインの身体は右側に回転しながら倒れた。結果としてカインの遺体は仰向けになり、恍惚とした死に顔を晒した。
「ふはははははは」
広大無辺な空間に笑い声が溶け入った。
「何でも自分の思い通りに事が進むと思ったら大間違いだ。来世で自分の愚かさを見直すがいい。お前もそう思うだろう?」
ファルシファルが問うたのは、目覚めたばかりのミレアだった。