ある少年の話Ⅹ
封印結晶の封印を解くことができる人を知っているというネアンネルの言葉に、俺は礼儀も忘れて叫んでいた。
「本当ですか!?」
「本当だとも。まあ、正確には人じゃなくてエルフなんだけどね」
こんなにも簡単に目的の人物、いやエルフが見つかるなんて、とても信じられなかった。封印結晶を解放できるならば、きっとミレアの治療だってできるはずだ。一生を捧げる覚悟だったのに、拍子抜けしてしまった。
「でもさ、なんでそんなことを聞くの? カインみたいな田舎の子どもが封印結晶を持っているとは思えないけど」
「持ってるんです。ここに」
俺が懐から封印結晶を取り出した途端、ネアンネルは立ち上がって駆け寄ってきた。そして四方八方からじっくりと観察し、一言。
「本物じゃん」
それを聞いて、この封印結晶が本物である保証などどこにもなかったことを思い出した。これが本物で本当によかった。そうでなければ、ミレアは確実に死んでいたのだから。
「なるほどね。要するにカインは、その中にいる人間を助けたいわけか。瘴気に侵されているのは、例の魔族のせいなのかな?」
なぜミレアが封じられていることがわかったのか、そのことよりも、聞いたことのない言葉の意味が気になった。
「しょーきとは何ですか?」
「魔族の力の源で、人間でいう魔力みたいなものだよ。人間とかエルフがそれに長時間触れていると、身体がおかしくなる。言いにくいけど、その中に入っている人間はかなり危ないね。長くは持たない」
「で、でも、封印結晶の中なら大丈夫ですよね?」
「大丈夫なわけないだろ。封印結晶の中でも時間の流れはある。外界と比べてものすごくゆっくりなだけでね」
「そんな……」
封印結晶に封じてさえいれば、ミレアは安全だと思い込んでいた。ネアンネルはミレアが長くないと言ったが、どれほどの時間が残されているのだろうか。場合によっては、本当に今すぐにでも件のエルフのもとへ赴かなければ。
「長くないって、それはどれくらいの時間ですか?」
「そうだねえ、長く見積もって二百、短くて百年とか?」
「は、百年?」
「うん、そんなもんだろうね」
最初はからかわれてるのかと思いもしたが、エルフが長命な種族であることに思い至ると合点がいった。エルフにとっては、百年も長くはないということなのだ。今のは心臓に悪いやり取りだった。息も荒くなっている。
「じゃ、時間もないことだし今からでも会いに行くか」
「今からですか?」
「え、嫌なの?」
正直なところ、今から行くのは肉体的にも精神的にも辛かった。だが、いつネアンネルの気が変わり、そのエルフに会いに行けなくなるかわからない。
「いえ、もちろん行きます」
言い終わるや否や視界が光で溢れ、気づいたときには明るい太陽の下にいた。地面は真っ白で、反射してくる太陽の光が目に痛い。空は抜けるように青く、今まで見たどんな空よりも澄んでいた。
「ここはいったい……」
呆けたような俺の呟きに、即座に答える者があった。
「ここは我が聖域。人間風情が足を踏み入れていい場所ではないのだが……お前は?」
抑揚のない、だが極めて力強い声。そこには俺への拒絶が明確に感じられた。この声の主がネアンネルの言っていたエルフなのだろうか。もしそうなら、下手な返答は憚られる。
どうすればいいか判断がつかぬうちに、再び声が聞こえた。
「たった今、ネアンネルから話は聞いた。人間など放っておけばいいものを、あの森猿も面倒なことをしてくれる。――で、封印結晶を持っているらしいな。見せてみろ」
たった今って、ネアンネルがこの場にいないのにどうやって話したというのか。と、そんな疑問は置いておいても、姿も見えない相手に封印結晶を見せるにはどうすればいいのか。
「ここだ」
俺の思考を読んだようなタイミングだった。ついさっきまで何もなかったところに、床と同じ真っ白な椅子に座ったエルフが現れた。足先がちょうど目線の高さになるくらいに座面の高い椅子で、実に冷ややかな目で見降ろされている気がした。
「何を呆けている。早く来い」
「は、はい……」
理解を超越することが連続したせいで、もはや思考能力など残っていない。言われるがままにエルフの方へ歩く。
足元まであと五、六歩というところで、懐から黒い塊が飛び出した。それが封印結晶だと気づいたのは、それがエルフの掌の上に乗ってからだった。
「ふむ、この封印結晶は本物だな。そして森猿の言う通り、中の人間は瘴気に侵されているらしい。すでに瘴気暴走を起こした後のようだし、生きているのが奇跡的な状況だな。これを救ってほしいと、お前はそう言うのか?」
「おっしゃる通りです」
瘴気暴走という言葉に聞き覚えはなかったが、とにかくミレアの状態がまずいことだけはわかる。
そしてこの話ぶりから察するに、目の前のエルフがネアンネルの言っていたエルフなのだと確信するに至った。
「その願い、叶えてやろう」
続くこの言葉を聞いたときには、さすがに耳を疑った。こうも簡単に会えただけでも望外の成果だというのに、あまつさえ本当に助けてもらえることになるなんて。
「だが、条件がある」
「それはもちろんです。何でもする覚悟はできています」
「そうか、それはいい」
このときまでは、何でもする覚悟はできていると思っていた。ミレアのためなら命だって懸けられると。しかし、俺の覚悟は甘かった。次の瞬間に突きつけられた条件は、俺の命一つでは到底足りないものだったのだ。
「魔王を殺し、勇者の一族を滅ぼせ。それが条件だ」
相変わらず平坦な声は、とても冗談を言っているようには聞こえなかった。そもそも仮に冗談だったとしたら、恐ろしいほどつまらない。だからたぶん、これは冗談じゃない。