33. 真なる魔王
「なんじゃこりゃあああああ!」
賭けは私の勝ちだった。中空に召喚されて落下していく治療室の天井を突き破り、叫んでいるアンティエルが姿を見せた。アンティエルが地の果てまで落ちて行かぬよう、魔法でその場に浮遊させる。
「え、あっ、イクサス様、脚と腕が⁉」
「よく来てくれた。アンティエル」
今日が魔王を討つ日だと、アンティエルには伝えていない。そのため、突然の出来事になおさら混乱しているようだった。私の身体が欠損していることも、混乱を助長している節はあるのだろう。
「少し協力してほしいことがあるんだ」
「え、ええ。それはもちろん、いつものことですから」
「いい返事が聞けてよかったよ」
「あ」
すでにアンティエルの心臓は私の手中にあった。上半身にぽっかりと空いた穴から血を流しながら、アンティエルは実に呆けた表情で宙に浮いている。が、もう用はない。浮遊状態を解除すると、真下に広がる暗黒へと消えていった。
視線がアンティエルを追って下に向いたとき、魔王が四つん這いの姿勢から片膝を立てるのが見えた。完全回復が近いようだ。時間がない。
犠牲者の一部を片手に、最高速度で魔王へ肉薄した。片膝立ちになっているおかげで、顔の位置が上がり、心臓を口に入れやすくなっている。好都合だ。
しかし、あと拳一個の距離まで迫ったところで、腹部に強烈な衝撃があった。殴られたと認識すると同時に吹き飛ばされ、魔王との距離が開く。何とか右手の握力を発揮し、アンティエルの心臓を離さずに済んだのだけが救いだ。
そう思った瞬間、右手首が切断され、右手は心臓を握ったまま落ちていった。まるで心臓が本体たるアンティエルの身体を追いかけていったかのようだ。
ほんのわずかだが、予想外の事態に身体が硬直してしまう。そこへ追撃の殴打。視界が揺らぎ、心臓を見失ってしまった。きっともう、二度と見ることは叶うまい。
「私の勝ちだ」
自己崩壊がほとんど収まり、傷の修復も済んだ魔王が高らかに宣言した。
「――いいや、まだだ」
そしてそれに答えたのは、私以外の誰かだった。とはいえ、この場には私と魔王しかいないはず。この前提をもとにすると私以外が答えたのであれば、それは魔王本人と他ならないということになるが――
「なにをする気だ! やめろ!」
突然、魔王が叫んだかと思うと、苦し気なうめき声を漏らし始めた。同時に、魔王の背中から左右の腕とは別の腕が生え、地底を目がけて伸びていく。
三秒後、その腕はアンティエルの心臓を掴んで戻ってきた。そのまま腕は巣穴に帰るかのように魔王の背中へと消えた。直後――
「ぐあああああああああああ!」
絶叫が空間を満たした。その残響が消えぬうち、魔王の身体が再び自己崩壊の様相を呈し始めた。あの正体不明の腕が、アンティエルの心臓を魔王の体内へ取り込ませたに違いない。
もはや魔王は原形を留めていなかった。醜い肉塊と成り果て、動くことも、言葉を発することもない。その肉塊からぽろりと一部がこぼれ落ち、見る間にボロボロと崩れていった。
『これでやつは死んだ。お前のおかげだよ、人間』
頭の中で声がした。魔力の気配はないため、瘴気術による念話だろう。だが術者がどこにいるかわからず、私は中空に言葉を投げた。
「誰だ」
『我が名はリゲルギウス。あの忌々しい半人半魔に吸収されていた、哀れな先代魔王とでも名乗っておこうか』
予想はしていたが、私の兄は先代の魔王を吸収し、その座を奪っていたようだ。そしてたった今、人魔の均衡が魔族の側へと傾いたため、兄に吸収・抑圧されていた先代魔王が表出し、その腕がアンティエルの心臓を回収したということなのだろう。
すると状況的には、目の前の肉塊がリゲルギウスであると判断するほかない。私は肉塊に向けて話しかけた。
「兄は死んだのか?」
『ああ。もともと不安定で脆弱な存在だったからな。我から切り離されたことで、ついにその肉体を保っていられなくなったというわけだ』
「そうか」
質問への回答によって、やはり肉塊こそがリゲルギウスなのだと判明した。いや、そんなことより兄が死んだことの方が重要だ。これで想定外の厄介な敵を排除することに成功したわけだから、あとは魔族の残党を始末してしまえばいい。
『さて、人間よ。私を解き放ってくれたことに免じて、苦しませずに殺してやることを約束しよう』
リゲルギウスが束の間の沈黙を破った。ただの肉塊ごときが何を言っているのか。
「それは本気で言っているのか?」
『ああ、この姿を見て侮っているのだな? よかろう。今に真の姿を見せてやる』
そう言うと、肉塊は見る間に変形した。現れたのは――
「なんだ、さっきと同じじゃないか」
「この姿形は元来、我のものだ。我を吸収したあいつが、我に成りすましていたにすぎん。本当に、つくづく癪に障るやつだ」
腹立たし気に捲し立てたリゲルギウスは、一度言葉を切り、今度はゆったりと満足げに続けた。
「だがしかし、あいつに感謝せねばならんこともある。それはあいつがこの身体の主導権を握っていたとき、大量の同族を吸収してくれたことだ。そのおかげで今、我はかつてないほどの力に満ちている。奇手をもってあいつを葬った程度で調子に乗っているようだが、そんなことで私を倒すことはできんぞ?」
一瞬後には、リゲルギウスは死んでいた。私が召喚した十を超える疑似聖剣に貫かれ、さらに魔法で焼かれて息絶えたのである。最後まで語らせてやったのは、私と同じく兄に苦しまされた者への同情ゆえだ。リゲルギウスは自分の優位性を信じて疑わぬまま、夢想のうちに死んでいったに違いない。
ところでここで一つ、少々疑問に思っていたことが解決された。それは聖峰の場所を知っていたはずの兄は、なぜ聖峰を跡形もなく消し去って置かなかったのか、という疑問だ。聖峰がなければ疑似聖剣は作れないため、私は魔王討伐を諦めて別の道を探ったに違いない。そうすれば、私に殺されずにすんだはずだ。
それにもかかわらず、兄は聖峰を残していた。私に殺されない自信があったという理由もあろうが、一番は人魔の均衡を保つうえで、聖結晶が有用だったからだろう。リゲルギウスは、兄が大量の魔族を吸収したと言っていた。その大量の吸収によって魔族側に傾いた均衡を保つため、聖結晶を摂取していたのだと推測できる。
さらに言えば、兄は魔王都という世界で最も瘴気の濃い場所にいたために、均衡は常に魔族側へと傾きかけていた可能性もある。そうであれば、より多くの聖結晶を欲したに違いない。しかも本人曰く、勇者の血を引く者には聖気耐性があるらしい。となると、聖気の効果を得るには、かなりの聖結晶が必要だったことだろう。だからこそ、聖峰の坑道はあのように整備されていたのだ。
さて、これでようやく計画の第一段階が終了したわけだが、その感慨に浸っている暇はない。次は第二段階だ。現時点で生存している魔族をすべて、この世から消し去らねばならない。本来ならそこで計画は最終段階に進むはずだったのだが、四男が封印されていることを知ってしまったため、そちらに対処することが第三段階として追加される。その他にも計画の変更点はあるが、差し当たっては魔族の掃討に取り組むことになる。最終段階を達成するのはまだ先のことになりそうだ。




