ある少年の話Ⅳ
一か月後、俺とエド、父さんは再び街を訪れていた。前回よりも多くのトゲ、それから毛皮や肉など売れるものはすべて持ってきた。
「これで買えるかな?」
「買えなきゃ困る。そうじゃなきゃ、罠づくりでマメだらけになった手が報われねえ」
エドの言葉に深く頷いた。
翌朝、前回と同じ薬屋にトゲを全部売り、どうにか毛皮と肉も捌ききった。昼食と移動中の軽食を抜けば、なんとか目標金額に足りる。
「やったなあ!」
「喜ぶのはアレを買ってからだよ」
興奮するエドを落ち着かせ、早速お目当ての店へ向かった。
魔族の侵攻が激化したせいで没落した貴族たちは、財産を売却して当座の生活資金を確保した。その中で真っ先に売られたのが魔導書である。生活の役には立たないが、そこそこの高値は付くからだ。
それらの多くは街へと流れ着き、魔道具店や骨董品店などで扱われている。いま向かっているのはそういう類の店だ。つまり、プレゼントは――
「お、着いたな!」
目の前の看板には、『タレス魔道具店』の文字。文字を読めるようになったきっかけが魔導書だと思うと、この看板を読めるのが感慨深く感じる。
いかにもという怪しげな雰囲気は一切なく、清潔感のある現代風の建築物だった。店内も明るく、木の温もりを感じる心地よい空間が広がっている。
「いらっしゃーい」
扉を閉める音が聞こえたのか、店の奥から店員と思しき女性が出てきた。魔法使い然としていない、至って普通の身なりをしている。
俺たちの姿を認めるや、店員さんは少し驚いたような表情をした。
「あっ、この前の! 来てくれたんだね」
「その節はどうも。取っておいてもらえてますか?」
「もちろん。ちょっと待っててもらえる?」
そう言って、店員さんは再び店の奥へと消える。
一か月前、街から帰る直前にこの店に立ち寄った。そのときに一番初歩的だという魔導書を取り置いてもらっていて、今日はそれを買いに来たのだ。
「あれ……?」
店員さんの声が聞こえた。なにやら不穏な空気を感じる。
「おっかしいなぁ」
またも店員さんの声。今度は少し震えている。
「確かにここに置いておいたはず……」
「売っちゃったんじゃないでしょうね!?」
耐えきれずにエドが叫んだ。俺もほとんど叫び出しそうだったが、今のを聞いてかえって落ち着いてしまった。
「いや、売ってない売ってない!」
「本当ですか!?」
「本当だよ! 帳簿を見ても売った記録ないし!」
店員さんは奥から出てきて、帳簿らしき冊子を開いた状態で掲げた。ここからではよく見えないが、堂々とした態度は嘘をついているようには見えない。
このとき店員さんの目が潤んでいるのを見てしまい、いたたまれない気持ちになった。店員さんにとってもこれは想定外の事態なのだろうから、もう少し優しく接しよう。
俺は努めて冷静に、思い浮かんだ考えを述べてみた。
「売ってないとしたら、他の店員さんが動かしちゃったとかはありませんかね?」
「店員は私だけだから……」
「となると、泥棒?」
「でも、朝一に見たときにはあったはずなの。私は一日中店を離れてないし、それはないと思う」
「そうですか……」
提示した可能性がことごとく否定されてしまう。俺とエドはもちろん、店員さんも途方に暮れているようだった。
そこへ一筋の光が差した。比喩ではなく、物理的に。背後の扉が開いたのである。
「おう、お客さんか。ずいぶん若いが、金は持っとるのか?」
振り返ると戸口に白髪の男が立っていた。わずかに腰が曲がってはいるものの、目つきは鋭い。
「あ、おじいちゃん。何してたの? あと、その言い方は失礼だよ」
白髪の男は店員さんのお祖父さんのようだ。言われてみれば、はっきりとした目が似ているような。
おじいさんは失礼を謝罪することなく、質問にだけ答えた。
「ゴミを燃やしてきた」
「ゴミって? 何かあったっけ」
「ほれ、店の奥に初等魔導書が置いてあっただろう。ああいう程度の低いもんをまとめて燃やしてきたんだ。店の空間も限られとるからな」
時が止まったかのような静寂。店員さんの激しい剣幕によってそれが破られるまでには、かなりの時間が過ぎ去ったように感じた。
「何してんの、あれは売り物だよ!?」
「いや、ゴミだ。あんな初心者向けのやつ、うちには相応しくない」
「相応しくないって、そんな大層な店じゃないでしょうが!」
「あの程度の魔導書で何をむきになってるんだ」
激昂する店員さんに対し、おじいさんは飄々としていて悪びれる様子もない。そんな態度を見かねてか、店員さんの言葉は激しさを増していく。
「あれはね、ここにいるお客さんが予約していたものだったの。だからむきになってるの。私に店を譲るって言ったくせに、勝手なことしないでよ!」
「そんなこと知らんし」
「知らなくても、私に許可なく店のものを燃やすのはおかしいでしょ!?」
「元々は儂のものだから」
「今は私のものだよね?」
「まあ……」
ここで初めて、おじいさんが気圧されたような気がした。店員さんも同じように感じたのか、おじいさんとの距離を詰めていく。
「じゃあ話を戻すけど、私に許可なく燃やすのはおかしいよね?」
「はい……」
それから数度の問答の後、最終的におじいさんは店員さんに睨み下ろされる格好となり、店員さんと俺たちに謝罪をした。ついさっきまでの鋭い眼光は見る影もなく、もはや憐れみすら感じる。
そして今度は店員さんが俺たちに向き直り、頭を下げた。
「お客様が予約されていたものをなくしてしまったのは店の責任で、つまりは私の責任です。本当に申し訳ございませんでした」
「ああ、いえ、そんな――」
「責任があるって、じゃあ具体的にどうするんだよ。手がボロボロになるまで頑張って金稼いできたのに、謝られたくらいじゃ納得できねえぞ!」
俺のしどろもどろの返答は、エドの雄叫びによって掻き消された。恫喝のような口調に半ば呆れつつ、これだけ堂々と主張できることに半ば感心してしまう。
そんなエドの荒れっぷりを見ても店員さんは取り乱すことなく、冷静に補償を提案してくれた。
「もちろん、それだけで済ませるつもりはありません。どれでもお好きな魔導書を一冊と、祖父の収集品を一つ差し上げるというのでどうでしょうか?」
「なっ、儂のコレクションを勝手に!」
「私の店の品を勝手に燃やしたんだから、私も勝手にさせてもらいます」
「あう……」
おじいさんのささやかな反抗はあっけなく退けられた。
俺たちは提案を受け入れた後、店員さんと一緒に目的にあった魔導書を選び、おじいさんの蔵でコレクションを見せてもらった。どれも価値がわからなかったので、エドと相談して一番綺麗な石ころをもらうことにした。
「これ、いいですか?」
「ダメに決まって――」
「ぜひもらってください!」
「あう……」
おじいさんには悪いけど、店員さんの顔を立てるためにもらっておいた。
「それで、もらってから聞くのもなんですけど、これってどういうものなんですか?」
「わからないのにそれを選んだのか!?」
「悪いかよ」
それまで黙っていたエドが生意気な口を利くと、おじいさんは余計に顔を赤くした。
「封印結晶がどれほど貴重なものか知らんのか!? たとえ魔族だろうがその中に封印し、悠久の時の彼方に葬り去ることができるんだぞ!」
「封印って?」
「何も知らんのだな!」
「なんだよ、教えてくれよ」
「簡単に言うと、その結晶の中に閉じ込めちゃうのよ。結晶の中では時間がとてもゆっくり進むから……そうね、長い眠りに就くようなものね」
おじいさんがそっぽを向いてしまったため、店員さんが教えてくれた。
エドが質問を続ける。
「閉じ込められたら、もう二度と出られないの?」
「長い時間が経って、封印が解けるまでは出られないわね。封印を解除する魔法があるという噂はあるけど、今まで見てきたどの魔導書にも記載はなかったわ。だから、私はないと思っているの。つまり、一度封印してしまえば、人間には考えられないくらい長い時間、その中からは出てこられないってことね」
「ふーん」
「だからくれぐれも丁寧に扱ってね」
店員さんの声に真剣なものを感じて神妙に頷く。珍しくエドもしかつめらしくしていた。




