14. 二九八号は転生者である
私は治療室に運ばれた。担当であるイアスもその理由は知らないらしく、道中はずっと不思議そうにしていた。
「やあ、二九八号。君は生まれたばかりにもかかわらず、魔力の放出量を抑えることができるようだね」
開口一番、先生はそう言った。はったりとは思えぬ、自信に満ちた声色だった。
いずれ悟られるとは思ってはいたが、想定よりも早い。どうやってその事実を知ったのだろうか。
「などと言っても、君自身には自覚などないだろう。君は極めて高い魔力を持つがゆえ、無意識のうちにそれを行ってしまっているのだから。まさに奇跡的な才能だ」
幼少期からそうした天才を発揮する人間はいるが、私はそれとは異なっている。つまり、先生の推論は誤りと言える。とはいえ普通の思考の持ち主なら、誰だってこの結論に至るだろう。よもや赤子が意識的に魔力を制御したなどと思うまい。
「と、考えるのが普通の思考の持ち主だ」
耳元で囁かれたそれは、まるで私の思考を言い当てているかのようだった。
「だがあいにく、儂は普通の思考の持ち主じゃあない!」
会話をしているのかと錯覚してしまうほど、先生の台詞選びは完璧だった。ここまで完璧だと、気味が悪くなってくる。まさか心が読めるわけでもあるまいに……
「儂にはお前の心が読める」
一瞬の狼狽。だがすぐに、そんなはずはないと自分に言い聞かせる。
「いいや、私にはお前の心が読めるのだ」
先生がいつの間にか、私のことをお前と呼んでいることに気がついた。私の幼い姿ではなく、私の老いた魂を見て二人称を選んだかのようだ。
「そう、儂にはわかっている」
やめてくれ。その続きを口にしないでくれ。幼い身体に引きずられたのか、情けない懇願が胸の内に湧き出でる。
しかし無情にも、先生は止まらなかった。
「お前は転生者だ」
決定的だった。魔力制御の件が当て推量だったとしても、転生などという単語は心が読めでもしなければ出てこない。この魔族は本当に心が読めるというのか!
もしそうなら、今ここでこいつを殺さねばならない。殺すのは簡単だ。憑依して自殺に見せかければいい。いや、憑依魔法の発動には目を合わさねばならない。面倒だから、他の方法にすべきか。
すでに私の中で殺害は決定しており、その方法を検討する段へと移っていた。しかし、それすらも読まれているかもしれないと思うと、適切な方法を選び取るのは難しかった。
「待ってくれ!」
大声に思考を遮られる。
一転、諭すような調子で先生は続けた。
「早まるでない。儂を殺せばすぐにそれが伝わるようになっているし、念のため厳重な保護下に事の経緯を記した書物も残している。ここで儂を殺したからといって話は終わらんぞ」
これを聞いて、私は自らの短慮を恥じた。この程度のことが頭に浮かばず、安易な殺害に走ろうとしていたとは。
「安心せい。儂はお前の味方だ」
嘘だ、魔族が人間の味方をするわけがない、と心の中で呟く。
私はもはや、先生と会話をしているつもりになっていた。
「これは嘘ではない。儂はお前に研究への協力を望んでいる。それが叶うなら、たとえ同胞が死に絶えてもいいと思っているほどだ」
種の存続と自らの欲望を天秤にかけ、後者を取る者がいるとして、そんな者を信用できようか。いや、できるわけがない。馬鹿馬鹿しい、と一笑に付そうとした。
しかし、できなかった。私も同じだと気づかされたのだ。
転生の間際に王が言っていたように、人類を救うためならどんな犠牲も払う覚悟がある。そして、私が信ずる救済のためには多大なる人命が失われることは間違いない。あのときの三万人が比較にならないほどの数になるだろう。
もちろん、死は救済であるとか、尊い犠牲はみな救済されるとか、そんな詭弁を弄することはしない。死は死でしかなく、死ねばそこで終わりである。その先には何もない。そしてこうした詭弁の入り込む余地をなくしているからこそ、己の信ずる救済に絶対的な自信を持てるというものである。
同胞の犠牲を厭わぬ先生もきっと、同じような覚悟を持っているに違いない。だから私は自分を信じるように、先生を信じる。先生を疑うことはすなわち、自分を疑うことになってしまうから。
「信じてくれ」
信じてくれという言葉は、信じるなと同義だと思っている。
しかし今、私は信じてみようという気にさせられていた。殺すのは信じられないと思ったとき、あるいは利用価値がないと思ったときでも遅くないだろう。
それに、私はこの時代に関する知識が不足しすぎている。それを補う意味でも、先生を引き込んでおくのは悪くない選択だと思われた。
『信じよう』
念話魔法を使って答えると、先生は辺りを見回した後、ぎこちない動きでこちらを向いた。笑いかけてやると、先生は引きつった笑顔を浮かべた。
***
アンティエルは用意した台本を確認しながら、二九八号が治療室に運ばれてくるのを待っていた。二九八号が仮説通り転生者ならば、この台本通りに演ずることによって研究協力を取り付けることができるはずだ。
もし転生者でない場合、物のわからぬ赤子にひたすら話しかけ続けることになるわけだが、それは些細な問題だった。治療室にはアンティエルと二九八号以外はいないため、誰にもその様子を見られることがないからだ。強いてデメリットを挙げるとすれば、時間を無駄にすることくらいか。
時間通り、イアスが二九八号を運んできた。あの日以来、イアスが異常行動を示すことはなかったのだが、アンティエルはなんとなく身構えてしまう。
「じゃ、一時間に」
「うむ」
返事とともに扉を閉める。
そして、舞台俳優アンティエルの一人芝居が始まったのだった。
『信じよう』
台本を丁寧に演じ終えると、どこからともなく声が聞こえ、アンティエルは咄嗟に周囲を窺った。誰かに見られていたのかと不安になるも、その誰かは存在しないようだ。では、今の声は二九八号が?
半信半疑で籠の中へと目を向ける。そして目に入ったものに、ひっ、とごく小さく息を呑んだ。
二九八号が笑っている。新生児特有の曖昧な笑みではなく、明確に意識して笑っているのだ。幼い顔には全く不釣り合いな、邪悪な笑みだった。
その瞬間、アンティエルは確信した。
二九八号は間違いなく転生者である。そして、幼子の姿をした悪魔であると。




