11. 反逆者の襲撃
ある日のこと。けたたましい鐘の音とともに、魔族たちの叫び声が聞こえてきた。
「敷地内に人間が侵入した!」
その意味を吟味する暇もなく、次から次へと言葉が雪崩れ込んでくる。
「養成職はそれぞれ自分の担当を守れ!」
「特に二歳以下の担当は注意しろ!」
「それ以外は直ちに排除に向かえ!」
すべて異なる魔族の声だった。返事をする声もそれぞれ異なっている。先輩、後輩、先生、それから新たに生まれた二九九号の担当しか見たことがなかったため、これほど多くの魔族がどこに潜んでいたのかと不思議に感じた。
間もなく、新生児を担当する魔族三体が部屋に入ってきた。皆一様に殺気を放っているが、それほどの重大事なのだろうか。魔族の根城に人間が侵入したところで、さっさと殺してしまえば済む話だと思うのだが。
「今回の反逆者どもは、勇者の末裔だという情報がある。油断するなよ」
「うっす。前の養成機関でも何度か襲撃を受けてるんで、たぶん大丈夫っす」
「それを油断と言うんだ」
「イアス君って、やっぱり絶望的に馬鹿だよね」
最後に発言したのが二九九号を担当するラミだった。先輩後輩の二体と違い、女性型の魔族である。
それにしても、フィデル――ラミが先輩のことをそう呼んでいた――の発言が気になる。反逆者が勇者の末裔だと言っていた。最後の勇者はそれまでの勇者たちと同様、魔王討伐に失敗したものの、子孫は残したということか。
そうであれば、反逆者たちは私にとって邪魔な存在になる。私以外に救世主、人類の解放者は必要ない。
「や、やめろぉ……!」
断末魔にも近い絶叫が響いた。反響具合からして距離はあると思われるが、その言葉からは痛いほどに恐怖が伝わってきた。
最初は人間が殺されたのかと思ったが、すぐにそうではないと思い至る。人間が殺されそうになったとき、咄嗟に魔族語が口を衝くわけがないのだから。魔族語ばかり聞きすぎて、人間も魔族語を話すのものだと錯覚してしまっていた。
この推測が正しいならば、魔族を恐怖に陥れるほどの猛者が侵入していることになる。その目的はおそらく、人間の子供の誘拐、いや奪還と言ってやるべきか。反逆者と呼ばれていることと、魔族たちの様子から判断するとそんなところだろう。
魔族でない気配が近づいてくる。放たれる魔力はかなりのもので、なるほど勇者の末裔であるというのは嘘ではないらしい。とはいえ、私の敵ではない。
さて、三体のお守りたちはどうするだろうか。私の予想では――
盛大に扉が破壊されたようで、私の籠の上を扉の破片が通過していく。今のが当たっていたら普通の赤子は怪我をしてしまうはずだが、反逆者はそこが気にならないのだろうか。
「新生児室。情報通りだな」
人間の言葉。魔族と違い人間の言語は統一されていないが、私は二十を超える人語を操れる。今のはアッシャー王国とその周辺地域で使用されるもので、私の母語だった。前世の母語であるから、前母語とでも言うべきだろうか。
それにしても、情報通りとは気になる言葉だ。養成機関内に反逆者に与する者がいるというのか。
――フィデルの咆哮が思索を断ち切る。
「イアス、子供たちを見ていろ! 俺とラミで抑える!」
「うっす!」
イアスの返事が開戦の合図だった。
迸る魔力と瘴気、衝撃と爆発音、二九七号と二九九号の大泣き。この生を受けてから、最も騒がしい時間が到来した。
イアスは三つの籠を一か所に集め、覆いかぶさるようにした。必死で赤子を守る姿は、人間の親よりも親らしい。ここまでするほど、戦士を献上することは重大事なのであろうか。
「お前たち、俺が守ってやるからな」
泣き止まぬ赤子二人に対し、イアスはそう言って笑いかけた。そして全く泣く気配のない私を見て、
「さすが俺の二九八号は肝が据わってるな」
と再び笑った。
いつものとぼけた調子とは打って変わって、実に頼りがいのありそうな姿を見せている。だが、ここではそれが命取りになってしまう。
私は憑依魔法を発動させ、瞬く間にイアスの身体を乗っ取った。と同時に、背後から迫りくる殺気。籠を三つとも抱えて身を翻し、距離を取る。
「へえ、やるね。一番弱いと思ったのに」
ここで初めて侵入者の全貌を目にした。整えられた金髪、碧い瞳、柔和な笑み、皴のない衣服はどれもこの場には似つかわしくなく、まるで侵入者然としていない。ただ、その手に握られた血濡れた長剣だけが、彼が侵入者であることを告げていた。
床にはフィデルとラミが転がっている。まだ息はあると思われるが、傷は深く、再び戦闘に加わるにはかなりの時間がかかるだろう。予想通り、私一人で相手をすることになったようだ。
金髪の男は私――イアスの身体――を値踏みしている。身長などの体格はもちろん、先ほどの回避行動、今の立ち方や呼吸法まであらゆる情報を統合し、自身の敵たりうるのかを見極めているのだ。
「強いはずはないのに、君は間違いなく強い。この部屋に入ってきたときとはまるで別人のようだ。魔族得意の変身でもしたのかな? 見た目に変化はないようだけど」
よく喋るやつだ。こういう場で口が回るやつはたいてい、自分の強さを過信している。鋭い観察眼は持ち合わせていても、それを自身に向けることができない性質らしい。
「キミがそれほど強いなら、僕の強さがわかるでしょ? キミに僕は倒せない。キミは無駄死にしてしまうんだ。そんなのは嫌だろう? だから、そこの赤ん坊たちを寄越してくれるかな? 人間の子は人間が育てるべきなんだよ」
先ほどの推測は正しかった。反逆者と呼ばれる人間たちは、人間の子どもを魔族の手から救おうとしているのだった。真の救世主は、この私しかいないのに。
「愚かな」
「あ?」
「いや、なんでもないっすよ」
「そうかな? 今、侮辱的な言葉が聞こえたと思ったんだけど」
面倒なやつだ。自分が相手より強いと確信しているのなら、さっさと殺して奪っていけばいいものを。それができないということは、確信には至っていないということの証明ではないか。あるいは本当に、私に情けをかけているつもりなのか。だとしたら、本物の馬鹿ということになってしまうが……
しばしの睨み合い。いや、一方的に睨まれていただけで、私は別に睨んでなどいなかった。ただ男の方を向いていたにすぎない。
男は剣の血糊を振り飛ばし、服の裾で拭った。勇者の末裔であるのに、清浄魔法の一つも使えないのか。それとも、私への挑発か。
正解は後者だったのだろう。私が反応を見せないでいると、こめかみに静脈が浮かんでいくのがはっきりと見て取れた。怒りに任せ、身体に力が入ってしまっている証拠だ。
そうして痺れを切らしたのは、当然ながら向こうであった。長剣が閃く。




