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日向雨の巫女  作者: 稲石いろ
第五章 見えていなかったもの
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第六話

 当主継承の儀が行われる十八歳の誕生日まであと数日に迫ったその日、陽雨は執務後の就寝前までの時間を使って、自室の隣の空部屋で衣装合わせに臨んでいた。

 振袖は決まっているが、帯や小物類、当日の髪型なども決めなければならないため、衣装室の担当者と陽雨専属のスタイリスト兼美容師が揃って時間を取ってほしいと言ってきたのである。新たに本家当主が就任すると大広間の歴代当主の写真に新当主のそれが加えられるので、陽雨の最高の晴れ姿を写真に収めなければならないと今から張りきっているらしい。

 金彩の豪華な袋帯や、鮮やかな刺繍の施された伊達衿、色とりどりの帯締め……と和装用品を床いっぱいに広げた布の上に並べて、初めからあまり関心を見せなかった陽雨そっちのけで、衣装係と美容師がふたりでああでもないこうでもないと言い合っている。陽雨は交わされる会話を聞き流しながら、青色の振袖を着せられた自分を鏡越しにぼんやり見つめた。

 合わせているのは金糸で華やかに織り出された七宝文様の帯と、藤紫色のシンプルな平組の帯締め、帯揚げと伊達衿も似た色合いのごく淡い紫。月臣に貰った藤の花の簪と振袖が馴染むように選ばれたものたちだ。あの簪は冬野の刀が蔵から持ち出された一連の騒動の中で歪んだり飾りが取れたりしていて、落ち込む陽雨を見兼ねた月臣によって似た部品を使って直せないかと修復に出されていた。淡藤色の着物のほうはもっと酷い状態で、破れや汚れでもう二度と着られそうになかったので、せめて簪だけでもと月臣が職人に当たってくれたのだ。無事に手元に戻ってきたことが嬉しくて、陽雨は髪飾りだけは自分の意思を強硬に主張して譲らなかった。


 どうしても気持ちの沈む当主継承の儀も、月臣の簪があるだけで幾分陽雨の気持ちを明るい方向に引っ張ってくれる。振袖の鮮やかな青色は清々しく、紫陽花がしっとりと舞い散る上品な柄行きは陽雨の好みと言えなくもない。……けれど。

 陽雨は鏡に映る振袖を見つめて思う。


 ――冬野は、陽雨がこの振袖を身にまとうことを厭わないだろうか。


 衝撃を受けたように眼を見開いて、傷ついた顔をして陽雨の八つ当たりを受け止めていた冬野の姿が、今も陽雨の脳裏に鮮明に焼きついている。思い出すたびに胸が軋むのは陽雨に後ろめたさがあるからだ。

 生前の冬野はきっと、待望の娘に期待や希望を溢れさせていただろう。成長したらこんなに可愛げのない娘になっていて、幻滅されたかもしれない。それだけの醜態を晒した自覚が陽雨にはあった。


 はあ、と重たいため息を落とした陽雨に、どうやら言外に急かされていると感じたらしく、衣装係が「こちらで決定にいたしましょうか」と言った。陽雨の目から見ればとっくに完成されたコーディネートだったが、陽雨より気合の入っている装い担当たちはまだ熟考し足りないのだろうか。

 窓の外から小さく雨の音が聞こえてくる。月臣や朔臣を付き合わせなくてよかった。今日はふたりとも霧生の家に帰るので、天気が悪くならないうちに屋敷を出るよう小一時間ほど前に追い立てたのだ。丹波老の忠告があって以来、陽雨をひとりで歩かせたがらないふたりには難色を示されたが、自室はすぐそこだから、終わったらすぐ寝るからと今日ばかりは押し切った。


「貴女たちが儀式にまとうに相応しいと判断したのなら私に異論はありません。次は髪型ですか?」

「はい。皆瀬様、こちらへ」


 従順な陽雨にうっすら苦笑しながら衣装係が下がり、和装用品を片づけ始めた横から、今度は美容師がケープを手に近づいてくる。陽雨の手元にはヘアカタログの雑誌が置かれていたが、陽雨はこちらも申し訳程度に流し読みしただけで「任せます」と投げていた。

 大きな三面鏡の前に座らされ、背後に美容師が回って陽雨の髪を持ち上げる。そこにノックの音が鳴った。


「わたくしが」


 衣装係が片づけの手を止めて扉に向かっていく。誰何の声に扉の向こうから聞き覚えのある声がした。よく陽雨の洗濯物を回収しに来る、この東の棟付きの使用人だ。今まで夜に彼女が現れたことはなかったのに、こんな時間に何の用事だろうか。

 そう考えながらも、陽雨はすぐに美容師が差し出してきた雑誌の紙面に気を取られてしまった。


 ――背後でどさりと物音がした次の瞬間には、人影が視界いっぱいに肉薄していた。


 いつもの使用人、ではなかった。陽雨と美容師に向かって突き出された手。その手のひらには見覚えのある、式神の印。


「っ――」


 なんとか風の術を放って陽雨の前にいた美容師を突き飛ばす。代わりに式神が放った術を無防備なまま浴びて、途端に立っていられなくなった。崩れ落ちた体がやけに重たい。意識が遠のいていく。

 式神は倒れ伏す美容師には目もくれず、陽雨の腕をぞんざいに掴み上げた。白足袋のままの足が宙に浮く。陽雨は抵抗もできずにされるがままに抱えられ、次の瞬間には気を失っていた。

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