36話 抗え
ノア様は倒れたバイアの死体にそっと近づいて、しばらく観察していた
「やはり、この者は悪魔で間違いないようだな、死して尚魔力濃度に変化が見られない」
「はい、それは間違いないでしょうね」
生き物は通常、死ぬと持っている魔力の濃度が時間と共に薄まっていき、最終的に枯れ果てる
だが、悪魔は例外的に、死後どれだけ時間が経過しても魔力濃度が薄まる事はなく、当然枯れ果てる事もない
生きたままの状態が永遠と保存されるのだ
更に言えば、悪魔の魔力は全て全く同じ性質をしているらしい
悪魔だけがこうなる理由は諸説ある、仲間の悪魔の養分になるという説だったり、自然界のバランスに関係している説など様々あるが、どれも確かな説とは言えず未だ未解明なままである
だが今それ自体は、ノアにとってどうでも良かった
この習性によりバイアが悪魔であると確定した事と、この習性を利用してある事を証明する事が可能だと気づいたからだ
「なぁアレス、出来れば1つ、頼まれてくれるか」
「?なんですか?」
その時ノア様が口にした事を、俺は初め全く理解する事が出来なかった
「バイアを…この悪魔をアトミック宮殿にまで持ち帰ってくれないか?後で少し使う」
「承知しました」
「…今更だが、もう敬語はやめにしないか?私は、できれば君たちの支えになりたいのだ、そんな存在を相手に畏るというのも変だろう?」
「いえ、あなたは俺たち兄妹の命の恩人も同然です、そんな軽い口を叩くわけにはいきませんよ」
「そう………か」
悪魔はそれ自体が貴重なサンプルであるため、撃破の際は必ず死体を研究室に納める事が、ナスカン王国では義務付けられている
「ところで使うって、悪魔の死体なんてなにに使うんです?」
「ん、あぁ…アイラの無罪を証明する、恐らくこれは、決定的な切り札になるはずだからだ」
「………………」
一瞬俺は、無意識に思考する事から目を背けた
どうせ意味がないのにアイラを助けようとする理由がわからないと、失礼にも俺は一瞬の内にノア様を否定した
「そんなの…意味ないですよ、アイラに対してなにをしたところで、どうせ意味はないです…」
「…どういう意味かな?」
わざとらしく聞いてきた、やはり気づいているのだろう、俺が以前と比べて、変わってしまった事を
「どうしてアイラが今、地下牢に閉じ込められているんですか?せっかく作った英雄法を蔑ろにして、民衆の対立を煽る結果となってまで…怖がってるんですよ、どうせ。彼女のあの圧倒的な力を、実際にこの目で見ましたからわかります、あれは、規格外の強さです、あんなのを王国の中に入れておくのが、この上なく無心に怖い…どうせそれが本音なんですよ、それに英雄法だって、言ってしまえばつい最近出来た法律、それはこれまでの、自国の力を結集し、皆で国を作っていこうというこれまでの風潮を一新するような法律です。だから例え国が施行した物だとしても、その変化を受け入れられない者が大勢いる、それは施行した国だって例外じゃない、誰も認められないんですよ!英雄法を!新しい考えを!そういうのが相まって、王国はアイラをスパイにしたがってるんです。彼女が怖いから、そして変化を認めたくないから、英雄法だって簡単に無視できる…あれこれ適当な理由をつけて自分達の我儘を押し倒す、それが奴らのしている事です、そしてその考えを変えようとはしないでしょうし、変わる事もどうせない!だから、意味がないっていったんです…まぁ結局、人間の考えなんて、いつまで経っても時代遅れのままなんでしょうね、それに誰も気づかないから、古い考えが正当化されていく、もうどうしようもないんですよ」
俺は下を向きながら、訴えるようにそう答えた
「…だが、全員がそう考えているわけではなかろう、大丈夫だ、アイラ君を無罪にさせる希望は、必ずある」
「そんな微かな希望じゃ無意味だって言ってるんですよ、弱い言葉なんて、すぐ強い言葉に呑み込まれるじゃないですか…」
庇うように振る舞ってくれたノアの一言を、当然のように切り捨てるアレス
だがノアは引き下がりはしなかった
これ以上アレスが自らの闇を語らせないために、ノアはアレスとの会話を続けた
「アレス、今から私の話す事は全て、私の自論だ、そこに説得力もなにもないだろう、それでも、できれば聞いて欲しい」
初めに慎重に前置きをしつつ、ノアはアレスに語り始めた
「アレス、君のいう通りだろう、この世界は…濁っている」
「!」
意外な返しだった、てっきり上辺だけの言葉を並べて、俺の気を逸らすための言葉を話すのかと思っていた
今からノア様の話すことは、ノア様自身の言葉なのだろうか、長年王国から特権を受けているノア様だ、憶測や偏見じゃない、ナスカンの本当の闇だって知っているはずのノア様の
俺の期待と僅かな不安はさておいて、ノア様は話を続けた
「法という確かな基盤がありながら、口癖のように仕方ないと呟いて台無しにするのは当たり前。効率と合理の元にそれが正しいと言わざるを得ない社会そのもの…濁っているとしか言いようがないだろう」
やっぱり、ノア様もそう思うのか、俺が信用できる中で、最も国の内政に詳しいであろうノア様がこう言っているのだ
これだけで、俺に改めて絶望を再認識させるのには充分だった、まるで自作自演のように
「それも全て、この世に同じ人間が1人としていないという揺るぎない事実が原因なのだとしたら、救われようのない話だ…」
ノア様は嘆くように言った、これが紛れもない本音なのだと思えば思うほど、どうしようもない現実に俺の心が侵食されるような気分になる
「だが、だがなアレス、この世で1人として同じ人間がいないように、この世に1人として、何一つ自分と違う人間もまた、1人もいないのだ、人間だけでない、他の亜人や悪魔でさえも、意思を持つ者全員が、自分と共通するものを何かしら持っていると、私は考えている」
………は?何を言っているんだ…
「そんなの…だからどうだって言うんですか、結局、なにをしたって意味のないこの現実は変わりないですよ」
「そうか…」
ノア様は一度理解したように深呼吸をした後、話を続けた
「アレス、ひとつだけ失礼な質問をさせてくれ、君はこれまで一度でも、本当の意味で今私たちが口にしている不条理と戦った事はあるのか?」
「……それは」
図星を突かれた、そう、そうなんだよ
「……その通りですよ、俺はこの世に確かに絶望していながら、実際にその残酷な世界と戦った事も、向き合おうとした事もない。ガキなんですよ、俺は……けど!!!仕方ないじゃないですか!!!」
俺は似つかわないほどの声量で必死に叫んだ
「怖いんですよ!!今見えている世界だけでも、途方もないほど暗くて辛いのに!それ以上先を見つめるのが!!!なにか少しでも抗おうとしてもどうせ何も出来ない事なんてわかってるし、もし仮に戦った先で、新しいまだ見ぬ幸せを見つけられたとしても!そんなのはもっと大きな絶望の前では、塵よりも小さいものなんです、それじゃあ意味ないんです…………!!!!」
「戦って無駄だと、何故言い切れる」
「じゃあ戦いさえすれば全てが解決するっていうんですか!!違うでしょ!!!」
俺はだんだんとムキになってきていた、けどそれでいい、俺は俺の意見の全てをノア様にぶつけようとしていた、今だけは、素直である事が許されている気がしたから
「その通り…だろうな、私が今から言うことに確かな確信などないかもしれない、だが、これだけははっきりしている事がある、社会は、何人もの人がいないと作れない、その人の全てが全員、全てにおいて皆異なった存在だと思うか?私はそうとは考えられない、全員に何か共通するものがあったはずだ、そうしたのが積み重なってやがて社会が出来上がっていった。そんな社会だからこそ、何か皆疑念に考えている事があるはずだ、君と私が、今こうして話しているのと同じように…それを武器にして戦えば、大丈夫、きっと勝てるはずだ」
「そんなの、何を根拠に…」
「根拠はない、だから何の説得力もないんだ、だが、もし全ての人間が全く違う考え方をしていたのなら、そもそも社会など存在していないと私は考えている。災害に打ち勝ちたい、天敵から逃げ延びたい、誰しもに共通した思いが結集して、世界に社会というものが出来上がった…どれだけ多くの人間がいたとしても、本質的なところは皆同じなはずだ」
………言われてみれば確かに、ノア様のおっしゃる事も一理ある、けどそれでも信じられない、信じる事が出来ない
ノア様のおっしゃる事は、理論の上での話だ、けど現実は、理論通りにいく事なんてない、例え奴らが俺と同じように考えていたとしても、どうせ無意味なプライドを発動させられて結果は変わらないのがオチだ
「君は、どれだけ時間が経過しても人の本質的な考えが変わらないから、だからいつまで経っても変化を認める事が出来ないと、確かにそう言った」
「そう…ですね」
「だがそれは、どれだけ時代が過ぎたとしても全ての人間には何処かに自分と同じところがあるという、裏返しでもあると私は思うのだ」
「………!!!だから…国に物申しても勝てると言っているんですか?」
「そうだ」
ノア様はそう、はっきりと断言した、確信はないと言っておきながらも、一言一句に確かな自信と確信があるように思えた
だけど実際、わからないじゃないか
どうせ無駄だ、俺が何をしたところで、結局都合悪く無視か、弾圧されて終わるんだ
結果が見えているのなら、どれだけ希望を持っていたって、意味はない
………………………………………………まてよ、
それが、なにもしてないって事なのか?
何もした事がないのに、勝手に無駄だと決めつけて、戦うことから逃げているというのか?
その通りだ、その通りだけど…でも、その通りだろ………
「……もちろんこれも全て、私が考えた都合の良い自論なのかもしれない、だが、例えそうだとしても私は、この思いが正しいと信じて戦い抜いてみせる、私が心から忠誠を誓ったナスカン王国が相手だとしても、その間違えを正すために…だから私は今、戦っているんだ」
優しく、暖かい風が吹いた気がした
唐突に、導かれたように、戦ってみようと思えた気がした
その時ようやく気づいたんだ、俺は、戦うことから逃げたがっていた
あれだけ世界への不平不満を身に纏っておきながら、結局俺は、戦うことから逃げていた
けどノア様は違う、戦うことへの恐怖なんて、俺からは微塵も感じていないように見えた
そしてこれが、正しいと思った、素直にこうなりたいと願った
後は気持ちの問題だ、俺自身が、本心に打ち勝てるかどうかの…
「ノア様…」
「?」
「お任せ下さい、バイアの死体を研究室に納めておきます、そしてこの事を国に訴えてみせます!アイラはスパイではないと!ロックドラゴンを召喚し、森林中のモンスターを凶暴化させたのはこの悪魔であると!!!!!」
自分に言い聞かせるように、宣言のような大きな声でノア様にそう言った
「………あぁ、すまないな、頼んだぞ!アレス!!」
その時、ノア様は笑っていた
心の底から笑っているように見えた、まるで嬉しがっているかのように、幸福を受け止めた直後のように
ノア様のこんな顔を見るのは、もしかしたら初めてかもしれない
何がそんなに嬉しかったのだろうか
「それともう一つ!この森にあるあのアルカリ性の川!あそこの水源の洞窟に、出自不明の檻があったんです!恐らく、ロックドラゴンはそこで召喚されて、そこの川に付着したロックドラゴンの魔力が、モンスターを凶暴化させていた!」
この話もノア様に言った、ノア様はきっと、二審の際に証拠になるはずだと信じたから
因みにそれを聞いたノア様の反応は、嬉しい事に、予想通りのものだった
「そんなものが…ありがとう!それは間違いなく有力な武器となる!……アレス、」
「はい」
「………いや、なんでもない、ありがとう、では、頼んだぞ」
ノア様はそう言って、何処かに向かっていった
俺はそれが早すぎて、どこに行ったのかは目で追えなかったが、どうにか追いかけるようにして見えた大空には、何よりも青い色が広がっていた
例えどれだけ世界が醜くても、それに抗う事が大切…評価・ブクマ、よろしくお願いします!