176話 心ハ世界ヨ一所懸命
曇り空から雨が降り始めた。
私たちはあの後とりあえず、いやほぼ無意識に体を休ませようとし、キルが私を吹き飛ばしてできた小さな洞穴の中でお互い並ぶように倒れていた。
雨々が地面を打ちつける音が響く前で、2人とも何も言わずにその場で倒れ込んでいる。
キルの方は知らないが、私の方はなんとなく気まずかった。
「初めから終わらせる」とか偉そうな事抜かしてキルに勝ったはいいものの、今の私には勝つことよりももっと大事な目的があの勝利にはあった。
だがそれは、私がこれまでその是非を何ら疑いもせず自信満々でキルに行ってきた行為を自ら否定するというものだ。
それをしようとすると過去の…ついこの間までの自分の姿が脳裏に過って…なんか、恥ずかしくなった。
「あ…あの…」
小っ恥ずかしさを何とか振り払って、無理矢理高いが声を出した。
だが恥ずかしさにはすぐそれを堰き止められて、その続きは出せなかった。
私は目と頬が赤くなり、その場で弱々しく縮こまる。
「え、えっと…」
「俺の負けだな」
小さいが無理矢理声を出してなんとか続けようとしたところに、キルが先んじて話を始めた。
「え?」
内心でとてつもなく慌てていたせいで思考が間に合わず、つい間の抜けた返しをしてしまった。
「今の戦いは間違いなく俺の負けだ、だから…悔しいが、これからも俺はお前に隷属するって事になるんだろ…」
キルは右手を握り締めながらそう言う。
だが伝えないといけない、そうはならない、私たちを…私とキルを、初めから全部終わらせないといけない…!
「…ぁ、ぁ、えっと…」
なぜ、なぜ声を出せない。
ただ言うだけで拗れすぎたこのわだかまりが解けるかもしれないのに、なぜ言えないのだ。
思えば昔からそうだった。
女子高生だった頃、1年の9月くらいから好きで、3年間クラスが一緒だった男子に告白できずに卒業してしまった。
昔から私は、自分の想いを他人に伝えられない。
あの時は「まぁ陰キャに恋愛はキツいよね」くらいに思ってたけど、どうやらそんな次元ではなかったらしい。
自分の素直を他人に伝えて、それが相手の素直で返されない事を極度に恐れているのだ。
それなのにその素直の形は是が非でも自分の望む通りであれと祈る。勇気以前におこがましい。
ほんっとヘドがでるくらいのコミュ障だ。
____いや、違うな、今は違う。今はただ心のどこかで、「まぁ最悪言わなくていいか」と考えているだけだ。
恐らくそうだ、間違いなくそうだ。
この期に及んで、まだどこかに私を欺こうとする私がいるらしい。
…だけど、それももう終わりにしよう。何も考えるな、ただただ、終わらせよう。
「…一つさ、言わなきゃいけない事があって」
「なんだよ」
「…私さ、正直もう、あんたに復讐する気とか、実はもうないんだよね」
「は!?おいちょっと待て、それどういう意味だ!?」
キルは当然ながら動揺を隠せず、私に凄まじい勢いで、その意味を言えと詰め寄ってきた。
だが私はその勢いに反し相変わらず縮こまって頭に手を当てたまま、「だから…言葉の通りよ、それも今に始まったって訳じゃなくて、たぶん昨日今日より少し前から…復讐をすると誓ったせいで引くに引けなくなって、惰性で復讐をする事になっちゃったんだと思う。無意識に…」と答えた。
「たぶんって…なんだよそれ…」
だが当然キルは納得がいかなかった。私は壁に背中を押しつけながら左手で両目を隠す。
「だからその…えっと」
出せ、勇気を、正しいかどうかとか、側から見てどうかとか考えるな、とにかく気持ちを伝えろ。
「ごめんなさい!!!今まで本当に、ごめんなさい!!!!!」
私はこの場で土下座した。
キルは両手を目の前で振って慌てている。
「土下…いやいいって謝罪とか、大体そもそもの始まりは俺…チッ、ああクソ!!!」
キルは両手で頭を掻きむしった。
「なんか馬鹿馬鹿しくなってきたじゃねぇか!なんのためにB・Mまで使ったんだよ、とか…クソ!!!」
B・M…あのアビリティの事だろうが、改めてそれが何なのか気になった。
ようやく心の通り道を塞げた影響で少し心が浮き足だっていたのか、私はこの時この瞬間だけならキルに何を訊いても許されるような気がして、それについて質問してみた。
「ね、ねぇ、そのB・Mっていうの、結局なんなの?ただのアビリティじゃなさそうな感じだったけど…」
「あ?B・Mのことか…チッ、それはな」
キルも一度頭を落ち着かせたいのか、意外にもすんなりと話してくれた。
「お前、バスカ村って分か…るだろうな、あの剣持ってんなら」
「え?バスカ村?」
びっくりした、まさかキルの口から自分が2年前お世話になった、聖龍の剣を譲ってくれたあの村の名が出てくるとは思わなかったからだ。
「やっぱあの剣あの村のやつか。あの村から少し離れた所にな、これは知ってるか分からなぇが、ちょっと大きめの蔵があるんだよ」
「蔵?」そんなのあったんだ…
「知らなかったか。その蔵にはな、あの村の勇者伝説がかなり詳しく記載されてるんだ、それに加えて、誰でもその勇者の力を使えるようになれるある秘術が書かれてた」
「それが…B・Mってこと?」
「そうだ、しかもかなり簡単にできんだよ、魔力操作のやり方を知ってりゃガキでもできるくらいな、それを使えばその勇者が纏っていたという魔力をそのまま体内に取り組む事ができる、その影響であれだけ強くなれるって話みてぇだ、魔力が赤くなるのは、たぶん他のやつの魔力を体に捩じ込んでるから。ちなみに擬輪廻珠ってのは、その勇者が生涯かけても会得できなかったアビリティの未完成体らしい。本来なら[輪廻珠]っていう別のアビリティである筈だったらしいが…とにかくB・Mを使えばその擬輪廻珠も使うことができる」
「でも、リスクがあるんでしょ?」
「あぁ、あれを使い続ければ、いずれ俺は魔力そのものになる」
「え?」
説明の意味が少し分からなかった、あれは使い続けると肉体に過度な負担がかかるとかそういう類ではないのか?
「言ったろ、あれは勇者の魔力だ、自分より遥かに強い、他人の魔力。そんなもん捩じ込んで、なんの副作用も起こらない筈がねぇ。あれは魔力が強すぎるんだ、そのおかげで俺は一時的に強化されるが、同時にその魔力がどんどん俺の体を取り込んでいく、最終的にはあの赤い魔力と肉体が同化して、やがて空気中に還元されちまうらしい。尤も、そうなるまでに俺の体が保てたらの話だがな」
「…保てなかったら…どうなるの…?」
私は恐る恐る訊いた。
キルの語ったそれは、私の想像を絶する副作用だった、動揺をほとんど隠せていない。
「そりゃ死ぬだけだ、シンプルにな。まぁ途中で解除すりゃあ済む話なんだが、そうすりゃお前には勝てねぇだろ」
私はキルの両肩を強く掴んだ。
「あんたなに考えてんの!?あんたが私と戦った理由が自分のためでもソナちゃんためでも関係なく、あんたが死んじゃあ意味なくなるでしょ!?」
____その時、教えるように私の脳内にレイ君のある言葉が過った。
『ごめんなさい、キルはちょっと気が強くて…でも根はいい人ですよ』
瞬間、私はキルの肩から手を離し、気づけば後ずさっていた。
同時に、ある事を何としてでもキルに訊かなきゃいけないと思った。
「ねぇ、あんたはなんで、私をダンジョンの奥に縛りつけたの?」
「あ?それは何回も言っただろ、お前がパーティに邪魔だと思ったからだよ」
「違う、そうじゃない。もっと、ちゃんとした…本当の理由を教えて」
まさかと思った、認めたくなかった、受け入れたくなかった。
「それは…」
キルは少しの間躊躇う素振りをみせたが、どう判断したのか、小さく息を吸った後はすぐにその理由を話した。
「ただ…ムカついただけだよ、いくらソナが紹介した奴とはいえ、いきなりパーティに入ってきたお前のせいで、ソナが危険な目に遭って…それで、我を忘れたっていうか、信じられないくらい衝動的になっちまったっていうか…だから…」
キルはここまで話して、その続きを言わなかった。
何か押さえ込むかのように、ただ大きく口を開いていた。
私も唖然とした。
そんな真相があったところで、キルが私がダンジョンの奥に縛りつけたという事実は変わらない。
変わらないけど、でも…だが、しかし…
____まるで正義の意味そのものが、実は悪であると指摘されたような気分だ。
「…なんでこれ言ったんだろな、俺」
キルは唐突にそう呟く。
「これを言えゃぁ、お前にした事を正当化できるような気がしてた、だからずっと言わなかった。馬鹿だよな、そんな事で正当化できる訳ねぇのに、てかそもそもこれは、正当化しちゃいけねぇ」
「…なんで、正当化しちゃいけないの…」
段々訳が分からなくなってきた、僅かでも疑問に思えばそれを自動的に質問していた。
「…俺が正当化できなかったからだ、自分がした事なのに。お前をああしてから、ずっと俺の脳裏に罪悪感が漠然と付きまとうようになった、それは普段は見えるものじゃなかったけど、もし一度でもそれを見れば俺は罪悪感で耐えられなくなる、そんな気がした。だからこの2年間それから目を背け続けてきた、お前が復讐に来た時も、俺はできる限り悪人であろうとした、あんな事しておいて何の罪悪感も感じねぇのは間違いなく悪人だと思ったからだ、今思うと当たり前の事だな…とにかく悪人なら悪人然とした行動や思考をし続ける事で、罪悪感から目を背けるって状況を強固なものにしようとしたんだよ、でもそれもその内疲れてきて、よくよく考えりゃそれ自体駄目だろって気づいて、でもソナは護りたかったから、だから…だ」
変わらず雨は降りしきる。
地面を強く打ちつけ、2人の耳を震わせる。
「…私が言うのは、違うかもしれないけど、もう全部終わらせない?この蟠り」
「………」
「なんかもう、色々と訳が分からなくなってきたっていうか、それが正しいような気もするの。あんたを、私に隷属させるとかじゃなくて、普通に、一緒に…って」
「………」
キルは何も答えなかった。
私も、実際はほとんど無言だった。
その時、一匹のレオネドライオンが急ぐようにこの穴の中に駆け込んできた。
レオネドライオンは頭を震わせて、立髪にこびりついた雨水を払っている。
「この子…もしかして…」
「レオ…だろうな。そうか、お前がレオを逃したのはこの辺りだったか」
キルはレオをじっと見つめた。
その奥にある何かと重ねるような眼で、哀しそうにただじっと見つめていた。
「…終わらせる…か。確かに、それでいいのかもしれねぇな」
「!」
「俺も分からなくなってきた、何が正しくて何が間違ってるのか、そもそも良い悪いで測る事自体が違うような気すらする…あぁそうだな、それでいいのかもな」
キルは雨空を見ながらそう言った。
「………」
その時、この穴に新たに3体、モンスターが来訪してきた。
背中からイカのような触手が生えた、人型のモンスターが。
私たちに明らかな敵意を向けて。
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