143話 生きる場所
「言ってくれるじゃないか、リュカも君くらいになれば、ここまで賢くなるんだろうか」
この人は重いはずの腰を軽いように持ち上げ、眼を私に見せながらこう言った。
「そうだな、全部言う通りだ。俺は逃げていた、あの貧しい暮らしから2人を護らなきゃいけない責任から逃げていた、笑えるくらい白状な奴だ…でも」
この人は更に足を前へ進めた。
「俺だってまだ、家族の1人でありたい、いや…俺が家族を支えたいって気持ちはまだ残ってる!!!」
「じゃあ…!!!」
「だからこそ、やっぱり俺は戻れねぇ」
また振り出しに戻ってしまった。
ここまで言って、まだ戻る気になれないのか、この人は。
一瞬そう思ったが、次にこの人が伝えた言葉でその疑惑は消え失せた。
「それなのに、こんな事考えるようなやつだ。例え戻れたとしても、またこんな風に逃げ出そうとするんじゃないかって、それだったら…」
言い切ろうとして言葉を止めた。
リュカ君の父親は私から目を逸らしながらも力強くその場に立ち上がっている。
「それは…いいんじゃないですか?」
表情は崩さないまま、言葉でそっと撫でてあげた。
「そんな風に迷った時は、近くにきっとご家族がいるんでしょ?リュカ君がいて、奥さんがいる。貴方は1人では生きていけないでしょ?それなら…いいえ、そうだからこそ、2人に相談してみればいいんじゃないしょうか?悩んでる時に、一緒に相談できる…こんな綺麗事が当たり前にできるっていうのが、一緒に生きてるってことなんだと、私は思います」
少し解けた父親の表情が、更にもうひとこえの助けを求めた。
「けど、実際問題俺はどう思われてるか…」
「それは、私がここにいるのが答えですよ」
潤んだ父親の瞼の裏が、僅かに光を反射した。
「私はリュカ君にお願いされてここに来ました。自分の身すら厭わないほど必死で、泣き叫ぶようにお願いしてきました。あんなの…心からご主人の事が好きじゃないと、できないですよ!」
思わず声が震えるくらい叫んだ。
そして、父親はしばらく放心した。
放心して、抜け落ちたような息を零した後に膝から崩れ落ちた。
「そっ…か」
父親の瞳から、大きな雫が落ちていく。
「ありがとう、本当に…本当に…」
泪を拭いながら父親は大きく立ち上がり、ひょうきんな見た目相応の微笑みをみせた。
「いいえ、それに気づけたあなたも、強いんだと私は思います」
だから私も、微笑みで返した。
「それじゃあ、行きましょうか」
「あぁ、ここから出よう」
私は父親を横抱きにし、渾身拳を地面に放って大きく飛び跳ね、陽光が覗いていた穴をくぐって洞窟から脱出した。
その後、ヘアメタルで地面までの橋をかけ、そのまま地面へ着地した。
…ようやく、帰ってきたのである。
「……ここが、地上…」
父親は目に映る景観に圧倒されていた。
草木がなびき、小鳥の囀りが聞こえ、健やかな風が微笑んでいる。
「そう、これからあなたは帰るんです、家族の下へ」
「あぁ…そうみたいだ」
「薬草はお待ちですか?」
「もちろん」
父親は右手に掴んでいる薬草を持ち上げた。
「おっけ、それじゃあ…行きましょう」
リュカ君の待つ家までの道中、私たちは積もっていたいろいろな話を弾ませた。
「なんか、随分長い時間、あそこに閉じ込められていたような気分だよ」
「そりゃあ、2日くらいあの状態だったんですから、実際かなり長い間あそこにいたんですよ」
「そっか、それもそうか」
父親は小刻みに笑っている、手ぶらで歩いているみたいに、その足取りも軽い。
「しかし、君はすごいなぁ…失礼だが、俺を説教してくれていた君は、とてもその歳の子どもだとは思えなかった」
そう言いながら私の全身を見つめている。
言われてみれば、父親からは私が14歳の少女に見えている訳か、
とは言っても、父親の見た目からして何れにせよ私の方が歳下だとは思う。
しかし、面白そうだから私の方が歳上という設定で突き通してみる事にした。
「えぇ、そうなんです!実は私、前世の記憶があって、それも含めると今大体100歳くらいなんです!」
当時から転生の話はあまり人に言わない方がいい気がしていたのだが、リュカ君の父親になら、冗談っぽく話せば問題ないかなと思った。
しかし、それに対する返答は思ったよりもあっさりしたものだった。
「ははは、そうか笑、君でもそんな冗談を言うんだなぁ」
やんわりと事実を否定されたのと、若干の子ども扱いを受けたような気がした。
冗談めいて話した私に非があるのは事実だが、それでももう少し本気にしてもよかったんじゃないかと思う。
少し悔しい。
といった会話をしている内に、いつの間にかリュカ君たちの家に到着していた。
目の前にはやはり、質素で小さな木製の家が佇んでいる。
「それじゃあ、後はがんばってくださいね」
「あぁ、君も…最後まで本当にありがとう。もし何かあれば今度は俺たちを頼ってくれないか?君にしてやれる事なんて少ないかもしれないけど、それでも君の助けになりたい」
「いえいえ、私としても、仲間ができてとても嬉しいです」
その時、奥の方から扉が開かれる音がした。
それを辿って振り向くと、使い終えた水を抱えたまま、潤んだ瞳とともにこちらを凝視する男の子…リュカ君の姿があった。
「父ちゃん!!!」
抱くように持っていた水を落としたのを合図に、リュカ君は全速力で父親の元に駆け寄った。
「父ちゃん!!!」
潤わせた瞳を涙が貫通し、その笑顔で真っ直ぐ父親に抱きつく。
「リュカ…ごめんな、遅くなって、父ちゃん…あんな所に閉じ込められちまって」
「うんうん、いい、父ちゃんが無事ならそれでいい…!!!!!」
親子は涙で胸を撫で下ろしながら、お互いに優しく抱きしめ合った。
その姿は尊いと形容する程度では全然足りないく感じて、私がこの場にいる事さえ烏滸がましいもののように思えた。
「アイラさん、本当にありがとう…おれ」
「大丈夫よ、お礼なんて、それよりも、分かってるでしょ?」
お礼なんて、それこそ身分不相応だ。
「うん、分かってる。父ちゃん!」
「あぁ、そうだな!」
リュカ君は父親を催促し終えたとほぼ同時に母親の元へと走っていった。
父親も後に続こうと駆け出したが、直後に止まり私の方を振り向いた。
「本当に…ありがとうございました!!!」
全身に感謝を込めたようにお辞儀をされた。
だがやはりそれを受け取るには、私では小さすぎる。
「いえいえそんな、私はお願いされてやったまでで、あはは」
「いえ、それでも、あなたが我々家族を救ってくれた事に変わりはありません。なんとお礼を言ったらよいか」
我々家族…その言葉を聞き逃さなかった。
あの父親の口からそれが聞けたなら、もう私の役目は終わったと、確信して前を向ける。
「ご主人から家族という一人称がきけたから、それが何よりのお礼ですよ」
「おーい!父ちゃん早くーーー」
その時、母親の方からリュカ君の呼ぶ声が聞こえてきた。
「ほら、息子さんもああいってますし」
「そう…だな。ああ!!いま走っていくーーー!!!」
リュカ君に大声で伝えて、父親も急いで母親の元へ駆けていった。
その最中、左手に強く握られている薬草をエコロジーカウンターで見つめた。
植物名は[マキシマムセラピー]、
効果は、あらゆる怪我・病気を後遺症含め一切の副作用なく完治させる。
___表示された情報には、確かにこう書かれている…
あの家族は貧しい、それは…誰が見ても疑いようのない事実だろう。
だが決して、弱い家族という訳ではない。
寧ろその逆、彼らは底のなく強い家族だ。
人の目一つなく、言葉の通じないモンスターだけが抜根する山奥に、たった3人だけで生きてこられた共鳴力を持っている。
そして…その共鳴に気づけた父、自分も含めたその共鳴を何よりも大切にできる息子、どんな時でも共鳴と共に抱きしめてあげられる母…
あの家族はきっと、これからも…いや、今以上に息が苦しくなるような事もあるかもしれない、
だけどあの家族なら、間違いなくそれすらも些細なことにできる。
手を繋ぎ繋いで、助け合って、笑いあって乗り越えていける。
私には、そう確信がもてたから、だから…
何も言わず、手を振ることもなく立ち去って、祝福をした。
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