142話 家族の輪
「それでも、いやだからこそ俺は、あの家には戻らねぇ」
この人はそう言って、再び私から視線を外した。
どこまでも頑固に、私の話を拒み続けている。
この人は家族のというのを何だと思っているのかと、つくづく言いたくなってくる。
正直この時点で、この人の株が私の中で頗る暴落しているが、とはいえこの人がリュカ君の父親で、あの奥さんの旦那さんであることに変わりはない。
釈然としないが、それでもこの人を説得しないといけないのだ。
「そうは言いますけど、でもやはりあなたは!!!」
「うるせぇ、何度も言わせんな。俺にそんな資格ないんだよ」
この人はまたそう言って、私から目を背けた。
その時の言葉には、どこか儚さのようなものも感じられたが、それに気づけるような心の余裕はなかった。
とにかく、どうにかしてこの人の心を改めさせる文句を考えないと、
だけどどうすれば良い?
この人の不貞腐れ具合は見るからに重症だ。
リュカ君が必死になって私に助けてと懇願した辺り、普段から家族を蔑ろにするような人ではないはずだ。
普段から慕われていなければ、子どもにあれほど愛情を向けられるとは考えずらい。
あれだけ困窮している家庭ならば余計にそうだろう。
恐らく、この人は自分が陥った状況に困惑しているだけだ。
無理もない、危険を承知だったとは思うけど、それでもただ薬草を取りに行っただけで、危うく命を落としかけたのだ。
死が徐々に迫ってきて、冷静でいられるほうが難しい。
私はあの熊に襲われた時も、坑道の奥に捨てられた時も、一週回って何故か異様に達観していたけど、そんな心境に至れる人間なんてほんとんどいないだろうから。
じわじわと心が削られていく中で、本当に終わりだって覚悟したはずだ。
それこそ家族の安否をも諦めるような…
そんな中で突然私が現れて、碌な説明もされないまま死の窮地から抜け出されて、
困惑も当然しただろう、混乱もしただろう。
それ故に自暴自棄になって、思いつきの言い訳を並べてやさぐれているだけなのだ。
そう…だと信じよう、そうだと信じて説得を続けよう。
そうでないと、解決までの道が途方もないように感じて気が遠くなる。
頼むからそうであってくれよと心から願いながらもう一度説得を試みた。
「ご主人」
「まだ何かあんのか」
「あなたは何のためにここに来たんですか」
やや鋭利な口調で言った。
「…妻を助けるためだよ、だから早くその草持ち帰ってくれ!」
「違います。そうじゃなくて、あなたは何でこんな場所に来たのかと訊いてるんです」
この人は針で刺されたように振り向いた。
「どう言う意味だ?」
「あなたは確かに危険な目に遭った、そのことは確かに気の毒な事だと思いますし、失礼ながら同情もします…だけど、こうなる事、あなたは分かっていたんじゃないですか」
「?」
「ここは外から見ても一目瞭然、もの凄く危険なところです。いくら奥さんのためだからって、そう易々と来れるような場所じゃない」
「…だったら何だ」
この人は身を守りながらのようにそう聞いてきた。
いい反応だ。
こう訊いて図星のような反応をしたという事は、少しは父親としての心が少なくとも存在はしていると言う事だ。
だったらまだ可能性はある、教員時代に鍛えた話術でどうにか説得してみせる。
「あなたはここが危険な場所だと分かってここに来た、今のような目に遭うのも十分に覚悟していたはずです。その上で奥さんを助けようとした理由は何?」
「そんなの…っ、、、」
この人はあからさまに言葉を詰まらせた。
奥からこみ上ってきた大波をせき止めるようにして、
「ご主人がご自身の事をどう評価しているのかは分かりませんし、そこを詮索する気なんてありません。だけど、今のようにな状況になるって分かってここに来たのなら…それは!自分の命を無下にしてでも!!奥さんを助けたかったからではないですか!?」
今が好奇と判断して、私は自分の言いたい事を全てこの人に畳みかけた。
またもや狙い通り、この人の表情にセメントで固めたような余裕はなくなってきている。
そこを突くように、更に追撃を加えた。
「それはつまり、それだけご家族を大切に想っているからじゃないんですか!?だったら!俺は家族に顔向けできないないなんて言わないでください。資格がどうとかじゃない、あなたはご家族の下に帰りたいと想ってる!だったら!!!」
私はこのままとどめを刺そうとした。
ここで一気に畳みかければ、リュカ君たちの下に帰せると思った。
けど、この人は全く想像していなかった反論をぶつけてきた。
「そんな事俺が一番分かってる!!!」
説き伏せるようにそう叫ばれた。
「あぁそうだ、さっきから君の言ってる事は全て正しい。悔しいくらい正論だ」
そう零しながら、この人は右手を強く握りしめた。
「けどなぁ、だからこそ…駄目なんだよ…」
この人は前を見ないような眼を見せながら続けた。
「君の言う通り、俺の家族…いや、俺が夫であるあの家族は貧乏だ。妻は身体が弱くて、あまり働く事ができないかったから、家族の暮らしや…リュカを楽させてやる為の努力は、全部俺がやるしかなかった。けど、その俺がこんなだったせいで…」
この人は声を震わせながら両手で頭を掻きむしった。
ただ必死に、無造作に、錯乱するように掻きむしった。
「俺がもっと働けていれば、俺がもっと稼げていれば、2人にこんな暮らしをさせずにすんだんだ…俺が、俺なんかと出逢わなければ、きっとエマだって幸せになれたはずだ!!!」
この人の叫びで、僅かな空気の流れすらよく聞こえるほどの静寂が辺りを覆った。
私ははっきり聞こえるほど息を呑み、もう一度この人に語りかける。
「…だから、ご家族の下には戻らないと、そう言いたいんですか」
「………」
それには何も返事せず、ただ私の視線から逃げた。
___しかし、これでこの人が何を抱えているのかははっきりした。
そのくだらない荷物をどうやって下ろしてあげればいいかも分かった。
だがその為には、私自身の礼儀と道理を捨てないといけなかった。
それは、この見た目なら許されるかもしれないが、前世の事も加味するとあまり褒められた行為ではないだろう。
それでもいい。
そうだとしても、私はこの人に二言以上言ってやりたくなった。
あの子のプライドを曲げてまで頼まれた約束だからという使命感よりも個人的な感情がかなり前へ出てしまっているが…
それでも、こうしないと私が我慢できなかった。
「おい」
私は恐ろしく鈍い言葉を使ってこの人の首を振り向かせ、そのまま胸ぐらを掴んでこの人を私の手中に捕らえた。
「!なっ、何するんだよ、離s…」
「いいから黙って聞きなさい」
私はこの人の目の前で、内にある魔力を崖の周辺にいるであろうモンスターを威嚇しすぎない程度に放出した。
「!?」
これだけでも、この人は生存本能からかひどく顔を引き攣った。
この脅迫するような勢いのまま話を続ける。
「自分が役立たずだからあの家族は苦しんでる?思い上がりもいいところね、あれだけ困窮した家、あんた1人で支えられるわけないでしょ?それこそ、あんな暮らしをする程度の社会的力しかないあんたに」
「なん…だと…!!!」
この人は少し声を荒げた。
「で?そんなあんたは今までどうやってあの家族を支えてきたの?1人で何もできないなら、これまでやってこれたのには理由があるはず、じゃあそれは何?」
「それは」
言い切る前に切り捨てた。
「あなただって分かってるんでしょ?奥さん、リュカ君、そしてあなた自身…3人があの家で一緒だったから、これまでやってこれたの」
私はもう一度この人の眼をみた。
「部外者が偉そうにって言いたげな眼ね。だったら関係者に相応しい覚悟を私に示しなさいよ、少なくとも、そんな眼ができるくらいにはまだ家族の一員だって思ってるんでしょ?」
この人は目元を隠し、何も発さず黙り込んでいる。
「結局あんたは逃げてるだけなのよ、崖から落ちたのをいい機会に。責任感っていう都合の良い場所に逃避して、これから先の未来に目を背けてるだけ」
そのまま首元を掴んでいた手を離し、この人を地べたに落下させた。
この人は変わらず下を向き、口先一つ動かしていない。
私は更にそこへ、両足を地面につけている私が立ちはだかった。
「どうしたの?反論できないの?さっきまでのように言い返してみなさいよ、ほら」
私は静かに鋭利な視線を突きつけた。
また、一瞬の静まりが辺りを包んだ後、この人はようやく、ゆっくりと顔を起き上がらせた。
藁を破り捨てたような眼を魅せながら、
次回、この講論が決着する
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