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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

愚者の恋

作者: 喜楽直人



「卒業を祝う席ではあるが、どうか少しだけ時間を頂きたい」


 これから卒業式が始まろうというその時だった。

 卒業生と在校生、そして教師陣一同が講堂に揃い、式進行役が開会宣言を告げようとしたその時にあわせて、その人は壇上への階段を上りながら声を張り上げた。


 胸元にあるのは、本日の式典の主役の一人であるという証である、白い薔薇の花だ。

 そうして。その人の金色の瞳は王族の証だった。

 ネビル・ダーゴン殿下。この国の第二王子である。


 堂々とした王子の後ろには、まわりの生徒たちより頭ひとつ分ちいさな可憐な少女が続く。

 ピーネ・ホワイト伯爵令嬢。伯爵令嬢といっても、一年前ちょうど最終学年に上がるタイミングに合わせて、この学園に転入してきたばかりの元は平民だ。

 上級階級にあったという親を事故で亡くした遠縁の娘をホワイト伯爵家が養女として迎えいれたという。華奢な肢体と可憐な顔、そうして上級階級とはいえ貴族家の令嬢とは一線を画する豊かな表情を持っていると、転入当初から評判があり、転校初日からなぜかネビルの傍に侍っている。

 そんなピーネを守るように王子の側近達が続き、更にその後ろからは、緊張した様子の令嬢たちが続いて短い階段を上っていく。


 彼らの胸元にはそれぞれ白い薔薇の花が挿されていることから、全員が同じ学年であり卒業生であることがわかった。


 ネビル殿下と横に並んだピーネを中心に、側近達と令嬢たちが壇上に並ぶ。


 彼等の視線は、壇下にいるひとりの美しい令嬢に注がれていた。


「この中に、この栄えある王立貴族学園のすばらしき学を修めた卒業生として相応しくない行いをしていた者がいる。しかもその者は、この卒業式において、成績優秀者のひとりとして表彰されることになっているという。そんな事を赦す訳にはいかないし、赦されるべきではない。むしろその人物は、断罪されることこそ相応しい」


 金色の瞳が見つめる先にいる令嬢の周囲から、さっと人影が離れていく。


 波のようなざわめきが囁かれる中、その令嬢はしずかに自分の婚約者の視線を受けて、見上げていた。


「……」


 レーシア・バタル公爵令嬢は、壇上から自分を見つめる婚約者を、いいや、その横にいる少女を睨み返していた。


 思いだけで人を殺せたなら、レーシアはすでに何百何千回、彼女を殺したことだろう。


 けれど少女は、婚約者であるレーシアを差し置いて、今この時もレーシアの愛しい婚約者の隣で、当然といった顔をしてのうのうと立っている。


 悔しくて。憎たらしくて。


 手にした扇が握りしめられ、ぎゅっと嫌な音を立てた。


 ネビルは、レーシアが婚約者たる自分ではない女性を隣に立たせることへ不安と不満と、その不実さについて訴える度に「そのような関係ではない」「心配するようなことはない。絶対だ」と宥めるようにいう癖に、少女を傍に侍らせることを止めなかった。


 勿論、ネビルに対してでなく、ピーネ・ホワイトに対しても、弁えるように伝えもした。


「ネビル殿下には婚約者がおります。バタル公爵が一女、レーシア。わたくしです。婚約者であるわたくしを差し置いて、婚約者のいる殿下の隣に立つのは単なるマナー違反以上の行いであり、我がバタル公爵家を侮辱していると分らないのですか?」


 公爵家を敵に回す覚悟があるのかと暗に伝えたというのに、ピーネは可憐な見た目に反して強気に言い返して来たのだ。


「私は、ネビル殿下から許しを得て、クラスメイトとして許された範囲でそのお傍におります。仰りたいのはそれだけでしょうか。ならば失礼します」


 まるで最終学年において、ネビルとクラスが分かれてしまったお前が悪いのだろうと言わんばかりの態度だった。

 この貴族学園のクラス分けは貴族としての階級や成績により分けられている訳ではない。

 学園の教師たちが話し合い、クラスごとの成績や爵位がある程度均一化できるようにバランスよく配置している、という事になっている。

 けれども一、二学年時には、第二王子であるネビルと公爵令嬢であるレーシアは同じクラスであった。

 だが最終学年である今年は、隣ですらない遠いクラスに分かれてしまっていた。

 その配置に、誰かの思惑が入っていたという可能性はあるだろうか。


 レーシアがクラスが分かれてしまった理由について考えている間に、ピーネは不作法にも勝手にレーシアの前から去ってしまっていた。


 ネビル殿下やその側近達といる時とは打って変わって、最後まで太々しい態度だった。




 あの時受けた屈辱を思い出す度に。

 彼らふたりが寄り添い侍る様が視界に入る度に。

 レーシアの胸は昏い嫉妬に焼かれる。


 言葉で諭すことは叶わなかった。


 だから。


 レーシアは胸を焦がすどす黒い嫉妬の炎が命じるままに、何度も彼女のノートや教科書を破り捨た。

 机に大きなバツ印を書いてやったこともある。

 ダンスの授業でパートナーを務めたという噂を聞いた時には、彼女のダンスシューズにインク壺をあけ、黒く染めてやった。


 それでも引く事のないピーネに焦れ、より近くで守るように傍に立つようになったネビルに焦れた。


 彼女の背中を、階段から突き飛ばしたのが昨日の夕刻のことだ。


 大きな箱を抱えて足元を気にする少女は、完全に周囲に対して油断していた。

 卒業式の前日という事もあって校内に人影もなく。

 レーシアがピーネを見つけた時、彼女は覚束ない足元を気にしながら階段を降りようとしていたのだ。


 まさに絶好の配置だった。


 今しかない、そう思った。


 その背中を突き飛ばし、階下の踊り場で無様に転んで呻く姿を確認した時は、ひさしぶりに胸がすく思いがしたというのに。


 残念ながら、壇上へと続く階段をのぼるピーネの動きからみるに、怪我のひとつもしなかったようだ。令嬢らしくない頑丈な娘だ。


 この卒業式に少女が参加しないだけでも良かったのに。本当に残念だ。



 こうしてネビルを伴ってピーネが壇上にいるということは、あの時、誰もいないと思っていたけれど、誰かに見られていたのかもしれない。

 もしくはピーネ自身に、顔を見られていたのかもしれないが。


 ……けれど、それならそれでいい。


 正式な婚約者として、なんの責もない私が、あんな少女に負けて振られるより、ずっと。


 自分がプライドを傷つけられたせいで愚かな真似をしたからこそ断罪され、それにより婚約が破棄される方が、まだマシというものだ。


 恋に破れた腹いせだなど、認める訳にはいかない。


 あんな元平民のピーネなどよりレーシアが劣っている部分など、小賢しい媚の売り方以外にある筈もないのだから。



「さぁ。せめて自分から、罪の告白をするつもりはないか? 犯した罪について反省を述べ、心を入れ替えるというならこちらとしても一定の配慮をしよう」


 お情けをくれてやろうというその提案に、身体中の血が沸騰した。

 馬鹿にして。


 私の矜持を、馬鹿にするな!!!


 背筋を伸ばして、壇上を見上げる。

 できるだけ優雅に笑って。

 その非難をうけてみせよう。


「冗だ……「冗談はおやめください。私は、私の敬愛する主を害する虫けらを排除したまでです。私はなにも間違ったことなど、しておりません!」


 私とネビル殿下の視線を遮るように、ずっと後ろで控えていたアリスが私の前へと進み出て、ハッキリとした口調で、それを宣言した。


「アリス?」


 まるで、数々の行為を自分が行ったかのような発言に、違和感と不安が募る。


 アリス・ナール子爵令嬢。母親同士が親友であったこともあり、幼い頃からずっと傍に居てくれたレーシアの親友。いずれネビル殿下と婚姻を結んだ暁には、王子妃側近として仕えてくれる約束をしていた存在だ。


 殿下がピーネを横に置くようになってからも、殿下の問い質す声に人影が散った今も、彼女だけはレーシアの傍にずっといてくれた。


 だから、レーシアはまっすぐ前を向いていられたのだ。


「アリス? あなた、なにを」


「やめるんだ、レーシア。君が影で彼女を諫めようと心を砕いていたのは知っている。けれどどう取りなそうとしても、もう遅いんだ。なにより彼女はまったく反省していない」


「えぇ、その通りです。さすが我がレーシア様の婚約者。あぁ、不実な婚約者ですけれど、ね?」


「違う! 何度でもいうが、私はレーシアを裏切ったりしていない!」


「ほほほ。口ではなんとでも言えますわね? けれど、何度レーシア様から忠言をされても婚約者のある身でありながら他の女性を傍に侍らせていらしたではありませんか。なぜでしょう? 一体どのような理由が? 貴族のしきたりに不安があったからとて、他の方にお預けになられればよろしいではありませんか。令嬢の補佐を異性がする必要がどこにあるのです? しかもそれを一国の王子するなどありえないことではありませんか。その理由すら説明できない。それで不実を否定されても誰が納得できるというのです!」


「それは……」


 アリスの詰問に、ネビルはどこか苦しげに言葉を詰まらせた。

 ちらちらと横にいる少女へ視線を送る。


「それは、ネビル殿下には不可能な相談です。これは私が陛下に願い出て、私の我儘を叶えて戴いたものですので」


 少女が一歩前に出て、そう宣言する。


 その顔は、この場にあっても静謐で、どこか超然としていた。


「ピーネ嬢。まだ一日ある。いいのか?」


 ネビルの問い掛けに、ピーネは少し寂し気な笑顔を浮かべ首を横に振った。


「いいのです。もう十分、ネビル様はお務めを果たして下さいました」


「ピーネ嬢。ありがとう、ございました」


 周囲にはまったく分らない会話が壇上で交わされていた。


 その会話の内容は壇下には聞こえない。すぐ傍にいた側近たちにも会話の意味するところは理解できなかった。


 けれど。ふたりだけに通じる会話を交わしている、それだけでレーシアには十分だった。


 まるで今生の別れのような愁嘆場を見せられて、レーシアの心は張り裂けんばかりに苦しくなった。

 いますぐ壇上へ駆け上がり、ふたりの間に割って入ってやろうとした。


 しかし周囲から見えない角度でぎゅっと腕をアリスに掴まれて、動けない。


「アリス。放しなさい」


 いつだってレーシアの命令に忠実であった親友であり腹心は、しかし今こそそれを受け入れず、レーシアの叱責を覆い隠すように声を張り上げ笑い出した。


「ふふふっ。あはははは! 婚約者でもない女性に、名前で呼ぶことを許しておきながら、不実ではないとまだ仰る?」


 あははと派手に笑うアリスに、レーシアは訳が分からなかった。


「違うのだ、ナール子爵令嬢。俺は本当に不実な真似などしていない」


 よほど焦ったのだろう。ネビルの一人称が俺になっていた。

 それでも頑なに否定するのは、自分の非を認めては、この後に影響がでると思っているからだろうか。


 この後──レーシアとの婚約を破棄した後。

 ネビルはピーネと新たに婚約を結ぶのだろう。


 それを思うと、自分から選び取ったのだと胸を張る気力が薄れていく。


 レーシアよりもずっと好きになった女性ができたと振られるくらいならば、自ら婚約者として相応しくない行動を冒すことをレーシアは選んだ。


 自ら選択して、婚約者という地位を捨てたのだとする為に。


 だって、レーシアはネビルが好きなのだ。


 婚約者として初めて顔合わせをするより前から。ずっとずっと。その笑顔が好きだった。憧れていた。


 正式に婚約者となり、すぐ傍でその努力をする姿を見ることができるようになり、憧れは尊敬を伴って恋となった。


 自らも彼の隣に相応しくあるために苦手な語学も頑張ったし、国内について不勉強な王子妃などいないと常に最新の情報を集め徹底的に覚えた。


 お陰で毎年卒業生の中から十名選出される優秀者として選ばれるまでにもなった。


 美しくある為に、すきなケーキも我慢して2個食べたくとも1個だけにした。

 時にはアリスと半分ずつだけ食べて我慢することもあった。


 どんなに疲れて眠くなっても、丁寧に化粧を落としてマッサージを受け、ストレッチを行なってから寝ることにしていたし、誰よりも美しい所作を身に着ける為に笑う時の首を傾げる角度も、食べたり飲んだりする姿も、すべてアリスと共に徹底的に研究し、理想を実現できるよう努力を重ねた。


 しかしそんな努力も無駄になろうとしている。いや完全に無駄だった。努力などしなければよかったとさえ思う。


 そんな努力をしているとは思えない、つい一年前まで平民であった名ばかりの伯爵令嬢であるピーネが選ばれたのだから。


「名前だけではありませんでしょう? ダンスの時間も、ずうっとおふたりでパートナーを組まれていらしたそうではありませんか。婚約者同士でもないのに。婚約者がありながら他の女生徒を毎回パートナーとすることも。婚約者がいる相手をパートナーとし続けることも。不実ではないと仰る。けれどそれと同じことを我が主レーシア様が為されたとしたら、婚約破棄だと騒ぐのはネビル殿下の方ではありませんか? ねぇ」


 アリスが壇上の面々に向かって糾弾している内容は、間違いなくこれまでレーシアがアリスの前でぶちまけた愚痴そのものだ。


『なぜ婚約者である私ではなく、ただのクラスメイトをあれほど傍に侍らせるの』

『毎回ダンスの時間はあのふたりで組まれるというのよ。なぜなの』

『なぜホワイト伯爵令嬢は、ネビル様を名前で呼ぶの』


『どうしてネビル様はそれを叱責せずに許されるの』


『どうして?』


『どうしてっ!』



「さぁ? どうなさいました。ネビル・ダーゴン第二王子殿下。不都合なことがあるからと黙られては話が続きませんわ?」


「黙れ、毒婦め。お優しいレーシア嬢が庇いだてして下さるからといっていい気になりおって!」

「そうだそうだ。ピーネ様の教科書やノートを破き、机に陰湿な落書きをしたり、靴にインクをぶちまけたのは、お前だろう。アリス・ナール」

「私、見ました。アリス・ナール様が慌てて私達の教室から出て行った後に、ピーネ様の机が荒らされていたのを」


 壇上で、後ろを取り囲んでいた有象無象が口々に言い立てるのを、レーシアは信じられない気持ちで聴いていた。


 どういうことだろうか。

 それらはすべてレーシアがやったことだ。

 ノートを破く時に力が入らなくて開いてから数枚ずつ破いていったことも。

 ピーネ自身の万年筆を使い、ペン先が割れるほど力を籠めて机に大きく×を書いた手に伝わるあの感触も。

 跳ねたインクが指に付き、なかなか洗っても取れなかったことも。

 大量にぶちまけたインクの臭いが鼻についてしばらくの間、消えなかったことも。


 全部ぜんぶ。レーシアの記憶に残っている。


 なのに。


「えぇ、私が、やりました。我がレーシア様の憂いを払うために!!!」


 堂々と宣言するアリスの姿に、呆然とする。


「言質はとった。衛兵! アリス・ナール子爵令嬢を取り押さえ、いますぐ連行せよ」


 壇上のネビルの言葉に従って、部屋の隅で待機していた衛兵たちがアリスの腕や肩を押さえつけ、無理矢理会場の外へと連れ出そうとする。


 レーシアはそれを、憔悴しきって追いかけた。


「皆様、お待ちになって? アリスは、アリスはやってないわ。すべてはわたくしが……」


 衛兵のひとりの腕に取りすがるレーシアの手を、壇上から降りてきたネビルが止めた。


「もういいんだ。レーシア。君のやさしさはわかっているから」


 そのまま肩を抱き寄せ、「もう諦めろ」と諭される。


「あきらめろって……でも、」


 混乱したまま、レーシアはただひたすらに首を横へ振り、否定を繰り返した。


 そこへ、場違いなほど軽やかな声が掛けられた。


「ありがとうございます。レーシア様が新しい教科書やノート、ダンス靴まですべて新品で差し入れして下さったお陰で、恙なく私は授業を受け続けることができました。あんなに怒っていらしたのに。さすがは、ネビル殿下が選ばれた方ですね」


 笑顔のピーネから礼を言われて、レーシアの混乱が深まる。


「え?」


 一体、なんのことだろう。

 どういうことだろうか。


 視界の先では口元に微笑みを浮かべたアリスが、周囲から罵倒を受けているのに。


 なぜ、覚悟を決めて、想いを断ち切る為にもピーネへ報復を行っていたレーシアが、よりにもよって、そのピーネから感謝されているのだろうか。


「ふ。なんでバレたんだって顔をしているね。レーシアがいつも使っている封筒と便箋を使わずに、更にインクさえ替えたとしても、この私が、愛しいレーシアの書いた文字を見間違える訳がないだろ」


 愛し気に見つめてくるネビルに、レーシアの顔が歪む。


 そんな! そんな馬鹿な!!


 なんてことを!!!!


「アリス!」


 レーシアの混乱した頭にも、ようやく事の次第が見えてきた。

 では、アリスが。

 幼い頃よりずっと傍にいて、レーシアを支え、時には叱り、時に励まし。悪戯をして怒られる時も、一緒に悩み苦しむ時も。どんな時でもすぐ横にいてくれたアリスが、そうしたのだと。


 アリスなら、それができた。

 文字の書き方を同じ教師について共に習い、お互いの文字の癖を真似して遊んだアリスならば。


 レーシア自身ですら自分で書いた気がしてしまうほど、そっくりな文字が書けるアリスにしか、できない。


 できはするだろう。けれど、どうしてなのか。

 そこが、レーシアにはどうしても分らなかった。


 何かの間違いなのではないかと、思ってしまう。



「そんな……どうして。あなた……ありす」


 レーシアの何度目かの問い掛けに、アリスが立ち止まって答えた。


「申し訳ありません、レーシア様。レーシア様があれほどお止め下さっていたのに。私はどうしても、我慢が出来なかったのです。レーシア様を悲しませる、ピーネ嬢のことが許せなかった。けれど、どうやら私の間違いだったようですね。ネビル殿下は、レーシア様を裏切ってなどいなかったようです」


「いや……だめよ。あり、す」


「私は、私が仕出かしてしまった罪を償うことにします。ネビル殿下、疑ってしまい、申し訳ありませんでした。ピーネ様にも。謝罪申し上げます」


 両腕を衛兵に掴まれながらも、それをまるで意に介さず、真っ直ぐに背筋を伸ばし淑女としての礼をとるアリスの姿は、不思議なほど美しかった。


 やり遂げたのだという達成感なのか。それとも。


 そんな静かに罪を受け入れ会場を去っていった親友とは裏腹に、レーシアはもうひとりで立っていることすら覚束ない有様だった。


 それでも、震える足を懸命に動かし、会場を後にしたアリスを追いかける。


 ぼろぼろと、ぼろぼろと。大粒の涙が溢れて視界が歪み、咽喉も痞えて言葉もうまく話せない。


 そんなレーシアを、ネビルが宥めるように強く抱きとめた。


「君が、アリスを庇っていたことはわかっている。けれどね、レーシア。アリスがやったことは、一つ間違えば殺人だ。それも戦争を引き起こしてもおかしくない程の重大犯罪になるところだったんだよ」


「え?」


 間抜けな。あまりにも間抜けな顔をしてしまったレーシアの前で、その人が、姿勢を正し声を上げた。


「改めて、ご挨拶を。パインテール帝国第一皇女ピネリアです。以後、お見知りおきを」


 名乗られたその名に、レーシアは反射的に最上級で淑女の礼をとった。

 周囲が状況を判断しきれていない中で、レーシアがとったその礼に、ピーネは誰よりも満足げに頷いた。


「友好国であるダーゴン王国第二王子ネビル様を第二王配として迎えいれるべく秘密裏の交渉に参りました。しかし、ご本人から『最愛の唯一が婚約者である』と断られてしまいまして。それでもどうしても諦められずに、一年間だけでも足掻かせて頂きたいと。こうして無理矢理、愛し合うお二人の間に割り込むべくのこのこと学園に通わせて頂きました。その際、唯一の最愛であるならば可能であろうと、おふたりを引き離し、常に私を優先して戴くことも含め、ダーゴン国王陛下へ願い出て許可を頂きました。一年間努力しても無理であったならば、すっぱりと諦めるとの約束の上で」


 ごめんなさいね、と首をこてんと傾けたその様は、憎みつづけたピーネの仕草そのものだ。


 けれども、その瞳の強さがまったく違っていた。


 これが、パインテール帝国王太女殿下の本質なのだろう。

 纏う覇気がまるでちがう。


「結果として、どんなに必死にお傍に侍ってみてもネビル様はちっとも靡いて下さらないし、レーシア様は苦言は呈しても正論しか仰らないし。せっかく許された中でもっとも低位であった伯爵家の養女を名乗ったのに、蔑むような言葉を使って詰ることすらされないし。ふふっ。ただ忠臣を諫め虐めを止めることはできなかったようですが、それとて裏を返せばそれだけ強く忠誠を捧げられている存在であるということ。しかも名前を隠して補償をされてしまえば、いくら厚顔なわたくしでも、負けを受け入れるしかございません」


 滔々と、隠し続けたその秘密の契約を、ピネリアが語る。

 そうして、少しだけ皮肉気に嗤った。


「まぁ、昨日階段から突き落とされた時にはさすがにやり過ぎでしょうと思いましたけれど。護身の心得の無い令嬢でしたら大怪我をするところだったでしょうね」


 ほほほ、と笑い飛ばすピネリアに、けれどもレーシアは震えが止まらなかった。


 怪我ひとつなかったようだから良かったものの、もし大怪我どころか死なせるようなことになっていたならば、レーシアが両国間での戦争の引き金を引くところであったのだ。


 ピーネの抱えていた箱の中身が、彼女自身が引っ掛けて破いてしまった薄手のカーテンであり見た目ほどの重量もなく、むしろクッションの役割を果たしてくれたこととも幸いだったのだろう。

 油断していたせいで背後から突き落とされ驚きこそしたものの、体術の心得のあったピネリアは怪我をすることなく着地できたそうだ。

 すぐに立たなかったのは、犯人にピーネが無傷だとばれて、隠し持っていた刃物を振り回されるといった修羅場に突入する可能性を考えての事だったようだ。


「まぁそれも私の我儘でレーシア様側には何の説明もせずに始めてしまったことです。婚約者から何も説明されずに一年。よく婚約者であるネビル殿下を信じ続け、耐えらえたと思います。わたくしの完敗です。故にそこは皇国への報告はしないことと致しましょう」


 言葉を区切り、わざとらしいほどにっこりと笑ったピネリアが付け足す。


「耐えられなくなったのが忠臣というのも、正直にいえば羨ましいわ」


 羨ましがる皇国の王太女は、どこまで理解しているのだろう。


(あぁ、アリス。あなたは本当の所をどこまで知っていて私の為に偽装してくれていたというの)


 レーシアは今すぐ親友の後を追って走っていきたかった。

 本当のことを、罪を告白し、自分こそが罰を受けてしまいたかった。


 でもそれで楽になるのは、愚かなレーシアの心だけだ。


 妬心に動かされるままピーネに嫌がらせをし、そのカバーに奔走した忠臣に気付くことなく、挙句その心を無下にしたレーシアは、今度こそ本当に婚約者を下ろされる。まぁそれはいい。元々がその覚悟をして行ったことだ。恋に惑い愚かすぎる私には当然の報いである。


 けれど。忠臣アリスの細工に気づくことなく「婚約者の文字である」と誇らしげに証言したネビルは皇国の王配に迎えられても、侮られ辱められることとなるだろう。


 ダーゴン王国も同じだ。女王となった暁にはピネリア様から侮られ、対等として扱われなくなる。そんな未来が見えるようだ。


 なによりも。


 自らの心の閊えを取り除くためだけに、ここですべてを告白するということは、アリスの挺身をすべて台無しにしてしまうことだ。


 ぐっと歯を食いしばって身体の奥から湧き上がる震えを押さえつけ、より深く腰を落とした。


「寛大なお言葉。ご配慮、ありがとうございます」


 絞り出した言葉に、身代わりとして罪を被ってくれた親友を、思う。


 彼女が願ったのは、国の平和か大国との友好か、それとも──


 ぎゅっと閉じた目を再び開けた時。レーシアの瞳はそれまでにない深い憂いを帯び、二度とは戻らない。


 絶対に、彼女の願いを、そのすべてを忘れてはいけないのだと心に誓う。




「さあ。時間を押してしまって申し訳なかった! 卒業を祝おう」


 第二王子のその掛け声で会場のざわめきが止まる。

 生徒たちが一斉に頭を下げると、粛々と卒業式の開会が宣言された。





**********



祝福はいらない。

名誉もいらない。

あなたが幸せでいるならそれだけで、私には十分だ。


けれど。


正直、あなたが誰かの妻となって得る幸せを、すぐ横で見続けるのはキツイなと思っていた。

それが相思相愛の、正真正銘この国の王子様とであっても。


それに貴族令嬢であるからにはいつか私も、あなたから離れ、あなたではない誰かの妻にならねばならないだろうし。


そうしてそれをあなたから祝福されたら、それこそ死んでしまいたくなる。



「だから。この結果に私は満足しているのですよ」


あなたの罪を背負った私の事を、あなたは一生忘れないでしょう?


ねぇ。なにより大切な、私のあなた。



「泣きながら追い縋ってくるお顔、かわいかったぁ」


鼻の頭まで真っ赤になって。

涙でボロボロで。

いつものすまし顔とは全然違う。


はじめての表情。


婚約者の不実に怒っている時だって、あんな顔はしてなかった。


私がさせた。私のためだけの表情。





死ぬまで忘れ得ぬように

この方法しかとれなかった愚かなる私の愛を


あなたに刻む




お付き合いありがとうございました。



*******


この後、アリスは修道院へ入れられます。

レーシアがネビルと結婚した際に恩赦が出されますが、「まだ(帝国に納得して貰うには)早すぎる」と自ら修道院に残ることを選択。

そのまま修道女の誓いを立て、終生をそこで過ごします。

たまに面会にくるレーシアとの時間は静かにお茶を飲み、ただひたすらに神へと仕え、レーシアが天に召された翌年に、彼女の生も終わりを告げました。



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[一言] ピネリア……なんて傍迷惑で我が儘な女。 ダーゴン王国を友好国なんて思ってないよね。属国扱いしてるよね。もし戦争が起こったら、原因となった重罪人は間違いなくコイツでしょ。 超重度の花粉症になっ…
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