渦巻く風と竜の歌
改稿しました。
くぬぎ峠の隠れ里には、優れた薬師達が住んでいた。
里の人々は、幼い子供の頃から、来る日も来る日も薬と向き合って暮らす。山中を大人と歩き回り、薬となる植物を知る。年長者と川辺や岩場の鉱物を学ぶ。それが彼等の日常だった。
薬師の中でも魔法薬師と呼ばれる者は、魔法を使える。しかし、くぬぎ峠の里人は、誰一人として魔法が使えなかった。
にもかかわらず、驚くべき薬の数々を作り上げる。その秘術とも言うべき技術を守るため、彼等は峠の里に隠れ住む。
さて、この里に一人の少年がいた。名を、ミストと言う。霧の深い朝、生を受けた赤毛の子供だ。
15になって、独り歩きも慣れた頃、渓流で傷ついた飛竜と出会った。
川床を塞ぐように巨大な体を伸ばした、灰青色の竜。ミストと同じ濃紫の瞳だ。
苦痛に歪んだ表情。渓流を染める朱い血。
ミストは、知らん顔など出来なかった。
話しかければ、言葉が通じる賢い飛竜。ミストが応急処置を行うと、乗せていた親友の行方が心配で、すぐに飛び立とうとした。
聞けば、竜と魔法使いを狙う大国の騎竜部隊に襲われて、咄嗟に低い所で落としたと言う。
親友は魔法使いだ。親友が捕まらないように、自分はわざと飛び続けた。追手の放った毒矢によって、翼の根元を射抜かれてもなお。
くぬぎ峠の付近の渓流では、川床の鉱物が薬効成分を染みださせている。竜が川に寝そべっていたのはその為だ。
「もう大丈夫」
と言い張る竜を説得するミスト。頑固な竜は頷かない。ミストは、治療しながらの旅なら、と渋々飛行を許可するのだった。
飛竜と共に、ミストは暴風の谷と恐れられる険しい峡谷に差し掛かる。親友と別れた場所への最短距離だ。
来たときは、山の中腹をゆっくり回ったのだと言う。追手に姿を曝して、親友が飛竜の背から降りたと気づかせない配慮だ。
「僕はどうする気だったの?」
よしんば、竜が万全だったとして、弱々しい人間に過ぎないミストには、谷の暴風が耐えられない。飛竜に乗せてもらっても、振り落とされ、渦巻く風に体をバラバラに引き裂かれてしまうだろう。
呆れたミストが、谷を望む岩場の窪みから覗いていると、風がひとつの糸束のようになって、近づいてきた。
風の束は、渦巻きながら青く色付く。やがてそれは少女の髪を形作る。瞳は星を散りばめた銀の色。透き通った青白い肌。細く優しい手足。
見惚れるミストに、風の一族だ、と、竜が囁く。
風の一族には、名前がない。青の朝一番とか、緑の夕焼け雨とか、ミスト達が名前だと認識している概念とはかけ離れた、認識符号があるだけ。
風の娘は、飛竜の話を聞くと、騎竜兵へ怒りを覚えた。竜の追手は、どうやら暴風の谷でも乱暴を働いているようなのだ。
一族の者が捕まって、何処かへ連れ去られたのは、一度や二度ではない。
風の娘は、谷底へ竜とミストを連れて行く。風に乗った少年と飛竜は、滑るように深い谷へと降りたのである。
風の一族は、飲食も住居も必要ない。しかし谷底には、風雨を凌ぐ木陰や、人も飛竜も食べられる木の実があった。ミストと飛竜は、ありがたく一夜の宿を借りるのだった。
こうして一行に風の娘が加わり、竜とミストは、風に包まれて暴風の谷を安全に越える。
谷向こうの岩山では、偏屈な巨鳥一族に手こずった。それでもどうにか岩壁の頂を飛び越え、荒れ地に出る。荒れ地の悪魔は、風の娘が吹き飛ばしてしまう。
漸く戻った飛竜の谷。
緑豊かな山々に囲まれた秘境だ。飛竜の親友が竜と連絡を取れなかったのは、竜笛を壊されたから。竜笛は、魔法使いが離れていても竜と連絡を取り合えるように、作ったものだという。
魔法使いは、修行の旅をしていた。旅の途中で、偶然に飛竜の谷を見付けたのである。
賢い灰青色の飛竜と、知恵ある黒髪の魔法使いが親友になるのに、あまり時間はかからなかった。
飛竜が成竜になる時、幼竜時代の鱗が剥げ落ちる。落ちた鱗は自分で食べるのが普通だ。しかし、魔法使いは一枚だけもらい受け、魔法の竜笛を作ったのだ。
その大切な友情の証を、騎竜部隊が乱れ打つ、恐ろしい魔法の矢が砕いてしまった。
騎竜となった荒くれ竜は、特権意識を持っていた。竜に生まれたからには、英雄をのせて戦場を天駆けなくては、と嘯く。
しかし、魔法使いを親友に持つ飛竜は、乗り物扱いが気にくわない。
風の娘は自在に飛び回り、騎竜部隊の方向感覚を狂わせる。魔法使いは親友の竜の背から、水や氷を振り撒く。そこに光を反射させて幻惑させる。
ミストはくぬぎ峠に伝わる忘却の秘薬を、娘の作る風に乗せる。
それから後、悪意を持つ者達が飛竜の谷を見つけることは出来なくなった。
谷が隠されても、ミストと風の娘は、仲良く竜の谷を訪れる。魔法使いは、龍笛の代わりに歌を作った。
今でも、魔法使いが竜を呼ぶ低く落ち着いた歌が、時折微かに聞こえるという。
お読み下さりありがとうございました。