十二話 ワロウの師匠
しばらく作業を続けていた二人だったが、ワロウが火にかけた鍋の中に刻んだ薬草を放り込み、後はひたすら沸騰するまで待つのみになった。手持ち無沙汰になった二人の間に沈黙が流れる。それを最初に破ったのはアネッサだった。
「ねえ...ここまでの技術、まさか独学で学んだんじゃないでしょう?」
「そりゃそうだ。オレにも一応師匠はいたからな」
「へえ...なんて人?」
「ルーロンっていう爺さんだ。どこで何やってたのかは全く知らないがな」
「ルーロン?ルーロン...ルーロン...どっかで聞いたような...」
ワロウが自分の師匠のことを紹介すると、その名前に聞き覚えがあったようで、アネッサは宙をにらみながら思い出そうと必死になっている。が、結局思い出せなかったようだ。
「どこかで聞いたことはあると思うんだけど...忘れちゃったわ。有名な人なのかしら?」
「いや...どうだろうな。確かに薬師としての腕前は大したもんだったが、人付き合いがあまりよくなくてな。有名になるような人じゃないとは思うが...」
ルーロンは気難しい性格で、あまり人前に出てどうこうするような人物ではなかった。実際にディントンにいたころもあまり人がいない郊外の場所に済んでいたくらいだから、それは間違いない。
だが、そのルーロンの薬師としての腕前は本物だった。ワロウも習い始めの頃はルーロンがどの程度の薬師なのかよくわかっていなかったが、こうして薬を作るのにだいぶ慣れた今も、あの老人を超えられるような気は全くしない。
「その人に魔法装置の使い方も教えてもらったの?」
「そうだ。あの人はどんな薬でも魔法装置を使ってたからな。今から思うといくらかかってるんだっていう話だが」
ルーロンは薬を作るときは必ず、魔法装置を使っていた。それがどんなに簡単で加速する必要が薄いものであってもだ。本人は”この装置を使った方が早いから”といった理由で使っていたようだったが、それだけの理由で使えるほど魔石は安くはない。
ワロウ自身もケリーから魔法装置にかかる金額を聞いて、初めてその高さに驚いたのだ。まさか、ルーロンが湯水のように使っている魔法装置が動かすだけでこんなにも大きな金額がかかるのかと。
アネッサと会話していると、火にかけていた鍋が沸騰し始めた。これで熱するのは終了だ。後は魔法装置に突っ込むだけでいい。ワロウは鍋の中身をこぼさないように慎重に持ち上げると魔法装置の中に鍋ごと突っ込んだ。
魔法装置のいくつかのボタンを操作すると、辺りに淡い青色の光が漏れ始める。いつ見てもこの光は心を落ち着かせてくれる。前にも思ったが、この光は回復術を使った時の光とよく似ている。だからどうというわけでもないのだが。
「全部の薬で魔法装置使ってるって...それ、いくらで売ってたの?」
「いや...値段は普通だったと思うぜ。そんなに高ければ誰も買ってくれなかっただろうしな」
「...信じられないわね。それじゃ損するばっかりじゃない」
ルーロンの薬は他の薬師のものと比べるとやや高いというのはあった。だが、それはあくまでも薬の効果が高いからであって、しかもその金額自体も法外に高いわけではない。
もし、魔法装置の代金を含めるのならば、2~3倍の値段で売らなければ利益などでなかっただろう。
「まあ今から考えてみるとそうなんだが...なんか魔石を安く手に入れる方法でもあったのかもしれねえな」
「えー? どういう方法よ」
「あくまでも推測だっつーの。ホントはどうだか知らねえよ」
ルーロンが慈善家であれば、魔法装置を使ったより薬効の高い薬を普通の値段で売っていたとも考えられるのだが、そこまでお人よしな性格だったとは思えない。
むしろワロウに言っていた早くなるからという理由が、彼の本音だったのではないかとワロウは思っていた。魔石は何らかの手段で手に入れていたのであろう。そう言えばそんなようなことを言っていたような気もする。
ワロウがルーロンとの会話を思い返していると、アネッサがもじもじと何かを聞きたそうにワロウのことをちらちら見始めた。しかし、そのまま迷っているのか中々口を開こうとしない。
ワロウとしてもそんな態度を取られると気になってしまう。自分から催促をかけようかと思ったその時、アネッサが迷いを振り切ったのか、ボソボソと小さい声でワロウに話しかけてきた。
「ねえ...ちょっと気になってることがあるんだけど...」
「なんだ」
「今回の件、偉い人が関わってるの?」
その質問をするのは勇気が必要だったようだ。アネッサは緊張しており少し声が硬い。
「いきなり突拍子もないこと言いやがって...誰だよお偉いさんって」
「それは...町長...とか?」
「オレに聞くな。なんでそんなこと思ったんだ?」
「だって...魔石だってどんどん使ってもいいって言うし、薬がそれだけ高くなっても支払えるってことでしょ?それにCランク冒険者を雇ってる人なんだからそれなりの地位にある人じゃないかなって思ったんだけど」
(この娘...意外と鋭いな。誤魔化すのは厳しいか)
アネッサは鋭かった。まあ、確かにバルド金に糸目はつけないといった態度や、そもそもCランク冒険者が雇われているという時点で推測は十分ついてしまうだろう。
ここで、変に誤魔化そうとしてもうまくいかなさそうな気がしたのでワロウは素直に本当のことをある程度ぼやかして伝えることにした。
「まあ...そんなところだ。ここの町の関係者ってわけじゃないがな。あまり深くは聞かないでくれ」
「わかってるわよ。あまり突っ込んでもいいことなさそうだもの」
そう言うとアネッサはため息をついた。
「ハァ...厄介事に巻き込まれちゃった気分だわ」
「大丈夫だろ。流石にお前にまで厄介事なんて降ってこねえよ」
「ホントかしら。もし薬の効き目がなくても私のせいにしないでよね」
「一体オレを何だと思ってるんだ...」
話している間にも反応は進んでおり、もはや完成間近のところまで来ていた。普通に作っていたら2,3日はかかる作業なので、どれだけ魔法装置が便利なものなのかがよくわかる。
ワロウが頃合いを見計らって、装置から鍋を取り出すと、そこには濃い緑色の液体が出来上がっていた。後はここから刻んだ薬草をすくいだして完成だ。
「よし、こんなもんだろう」
「ちょっと見せて...うわ、すごい色してるわね...飲まされる人が少し可哀そうだわ」
「毒にやられたままよりかはマシだろ。そんなことより片付け、手伝ってくれ」
そう言ってワロウが片付けに取り掛かろうとすると、それをアネッサが手で制した。
「いいわよ。後はこっちでやっておくから。早くその薬持って行ってあげなさいよ」
「いいのか?」
「さっきの白金貨、明らかにこっちが貰いすぎだもの。それくらいはやらないとね」
「悪いな。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうぜ」
ワロウは素早く鍋の中にあった薬液を瓶に移すと、それを持って早速ペンドールが泊っている宿へと向かったのであった。
そしてワロウが行った後の部屋にはアネッサ一人が取り残される。
(...どこが普通の冒険者なのよ。あんなに調薬ができる冒険者が普通にいたら商売あがったりじゃない)
アネッサは改めてワロウの調薬技術の高さに驚いていた。まだ、本格的に薬師として活動しておらず、半人前だという自覚はアネッサにもあったが、まさか冒険者が自分よりもはるかに高い技術を持っているというのはにわかに信じがたかった。
(それに...師匠の話も気になるわね...ルーロン、ルーロン...)
「....もう! あと少しで思い出せそうなのに!」
思わず声に出して、アネッサは一人でプリプリと怒るが、それに対して反応してくれるものはいない。少し寂しさを感じるアネッサであった。
それから少し考えてみたが、結局きっかけがなければ思い出せなさそうなので、今回はあきらめることにして、 アネッサは元々の仕事だった片付けに取り掛かった。
「えーと...まな板洗って...鍋も洗って...後は...そうだわ、使わなかった分の薬草も戻しておかなきゃ」
一通り辺りを見渡しながら、何から片付けるべきか考え始めるアネッサ。その彼女の目にあるものが止まった。
(魔法装置...)
彼女の顔から見る見るうちに血の気が引いていった。ワロウがそのまま残していった魔法装置はまだ淡い青色の光を放っており明らかに稼働中である。
だが、彼女自身は前にも言ったように魔法装置の扱いに関してはまだきちんと習ったことがなく、一人では止められるかどうかさえ怪しい。
(ま、マズい...このままじゃ魔石がどんどん減っていっちゃう...でも、止め方なんかわからないわよ...!)
(無理やり止めようとして、壊れたらいくらするかわかったもんじゃないし...)
「ちょ、ちょっと待ってー!! 魔法装置だけ止めていってよー!!」
慌てて叫んでみるが、当然ワロウはすでに立ち去った後であり、それに答えるものはいない。誰かに聞こうにも、ワロウ以外でこの魔法装置を扱えるのは彼女の祖父のバラルくらいしかいない。
まさか、ここから離れた自宅まで歩いて行ってバラルを連れてくるわけにもいかない。バラルは腰の調子が悪く、今日だってそれのせいで来れなかったのだから。運んでくるわけにもいかず、完全に八方ふさがりになってしまった。
「もー!! 何だっていうのよー!!」
激しく取り乱すアネッサ。だが、結局魔法装置に入っていた魔石はワロウが必要最低限に調整したものであり、それから少しして燃料が無くなった魔法装置は自然に止まったのであった。




