九話 追いかけられた理由
ワロウが冒険者を引退することを真剣に考え始めたとき、一人の大柄な男が話かかけてきた。誰だと思って顔を見上げてみると、そこにはギルドマスターのボルドーが立っていた。
ギルドの仕事をほっぽって来たのだろうか。
「なんだワロウ。しけた顔しやがって」
「ボルドー! お前、ギルドほっといて来ていいのかよ」
「仕事はジーク(※副ギルドマスター)に任せてきた」
「あんまこき使ってやるなよ、ギルドマスター」
「別にそんな大したことは任せてない。あいつなら問題ないだろう」
そういうとボルドーはワロウの隣に腰を下ろした。そしておもむろにどこからか酒瓶をとりだすと栓を開けた。
すると中の酒の芳醇な香りがワロウの鼻を刺激した。きっと高級ないい酒なのだろう。
「お前も飲むか?グープ産の上等な奴だ」
「おっ、いいもん飲んでるじゃねえか。ご相伴にあずかるぜ」
ボルドーは、ワロウの杯に酒を注ぎ、自分の杯にも注ぐとそのままぐいっと杯をあおり一息に飲み干してしまった。
「もったいない飲み方するねえ。これだから金持ちは」
「うるさいな。飲み方は人それぞれ、だ。ところで...」
ボルドーは一回話を区切ると真剣な顔になった。重要な話をしようとしているようだが一体何の話だろうか。ワロウには心当たりはなかった。
「森狼の件だが、お前が場所を間違えていたという可能性はないのか?」
「おいおい、今その話すんのかよ。後でよくねえか?」
「いや、人の記憶は時間がたてばたつほど怪しくなる。人は怪しい記憶を自分の都合のいいように解釈してしまう。できるだけ早いうちに事実を聞いておきたい」
ボルドーはつい先ほどギルドで伝えたばかりの森狼の話が気になっていたようだ。ノーマンの結婚式に参加しに来たのが主目的だと思うのだが、どうやらそれをいったん置いておいて話を聞きに来るくらいには気になっているらしい。
「...まじめな奴だな。わかったよ、仕方ねえなあ。森狼の縄張りだろ。あれは...」
ワロウは、その縄張りはここ数年変化していなかったこと。自分が森狼にあったときはまだ夕方で辺りは暗くなく場所を間違えていたとは考えにくいことを伝えた。
「急に縄張りが変わった可能性が高いということか...」
「ああ、あそこらへんはにおい草が生えていて元々森狼がよりつかなかったところだからな。よっぽどなにかがあったとしか考えられねえ」
におい草はその独特のにおいから嗅覚が鋭い魔物には避けられる傾向があった。森狼もまさにその代表で普段ならにおい草が生えているところには近寄りもしなかったのである。
その森狼がにおいを我慢してまで、縄張りを移動した理由。それはなんなのだろうか。
「より上級の魔物が来たかもしれん...か」
「まあ、可能性は低くはないと思うぜ」
より強い魔物に追われて弱い魔物が逃げてきて、普段とは違うところで襲われてしまうといった話はたまに耳にすることである。
しかし、今回は追われてきた魔物が森狼であるということが問題だった。
「森狼を追い出せるとなると、相当厄介だな、ボルドー」
「...結局その結論になってしまうか」
ボルドーもある程度予想はできていた結果であったようで、渋い顔をしながら思案気な顔になった。
ディントンの町の周りでは森狼以上の魔物、つまりDランクより上の魔物はほとんどいない。ただ、誰かが直接確認したわけではないが森の奥の方には強力な魔物がいるのではないかとうわさされている。
その強力な魔物が町の方へ降りてきたのではないかと考えたのだ。
「オレが偵察してくるか?」
「いや、相手は少なくとも森狼以上の相手だ。Dランクに任せるわけにはいかん」
「じゃあどうするんだよ。この町にCランクなんていねえだろうが」
「...いや、今回は俺が偵察に出る」
「ハア!?正気かよ?一体どこのギルドに自分で偵察に行くギルドマスターがいるんだよ!?」
「俺は元Bランクだぞ。この町の中なら俺が一番強い」
「いや、それはまあ、そうかもしれないけどよ...」
仮にもギルドのマスターという重要人物ががぽんぽん危険な現場に偵察しに行っていいわけがない。しかし、ボルドーが町で一番強いのは確かでありもっとも安全に偵察できるというのも間違いとはいえず、討伐ならまだしも偵察くらいなら...という気もしなくもない。
どちらが正解とも言えず、ワロウは言葉を詰まらせた。
ワロウが言葉を紡げないでいると、その沈黙を肯定と受け取ったボルドーはもうこの話は終わりだというようにパンと手をたたいた。
「さて、じゃあ次はお前がしけた顔してた理由でも聞くか」
どうやら、引退のことを真剣に考えているときの表情を見られていたようだ。こちらは完全にただの興味で聞いているようで目が笑っている。
「ほっとけ」
「所属している冒険者の心のケアもギルドの仕事のひとつだからな。ほっとくわけにもいかん」
「“ただの興味本位です”って正直に言いやがれ」
ワロウとしても最初は話す気はなかったが、後でいきなりやめると言い出すと面倒が起こるかもしれないと思い直し、ここで話しを通しておいてもいいかという気になった。
「まあ、...大したことじゃねえが」
「言ってみろ」
「冒険者、やめるかもしれん」
その言葉を聞いたボルドーの顔からは今までのからかうような様子が一瞬で消え、焦った顔になった。そのまま少しの間言葉を失っていたが、何とか絞り出すようにワロウに返事をした。
「..........どこが大したことねえんだ。一大事じゃねえか」
「どこがだよ。たかが中年のおっさん一人が冒険者やめるくらいで」
「大したことないかどうかは一回置いておいて、いきなりどうしたっていうんだ?」
「なんというか....張り合いがなくなっちまったのさ」
ボルドーはその言葉を聞くとどこか遠い目をして、ワロウに尋ねた。
「ノーマン、か」
「...ああ、ま、そういうこったな。別に張り合ってたわけでもねえが、今まで同世代で一緒に冒険者やってたやつが辞めちまうとよ。なんつーかやる気が抜けちまった」
「よくある話だ。実際に俺もパーティメンバー同士が結婚して抜けたときに一緒に辞めたからな」
「...そうだったのか。初耳だぜ」
「初めて話したからな。この町ではお前しか知らん」
そこで、ボルドーは大きくため息を吐くと、ぼやき始めた。
「興味本位で聞くんじゃなかったな。俺まで憂鬱な気分になっちまった」
「自白しやがったな。やっぱり興味本位じゃねえか」
「うるさい、うるさい。今俺はお前が辞めた後のことを考えるので忙しいんだ」
「オレが辞めたくらいでそんな影響ないだろうが。何をそんな考える必要がある?」
ワロウが不思議そうな顔で聞くと、ボルドーは再度大きなため息をつきながら話し始めた。
「お前がいなくなると、まず薬草の採取量が足りなくなる」
「そんなのオレである必要がねえだろ。他の誰かにやらせろよ」
「後、お前指定の指名依頼を受けられなくなる」
「誰か森に詳しいやつに適当に受けさせればいいだろ」
「そう簡単な話じゃない。今までお前が作ってきた信頼があるから指名依頼は成り立つんだ。お前以外のやつに受けさせるんならそいつが信頼を積みなおさなきゃいかん」
それはそうかもしれないとワロウも思った。いくら強くて知識を持っていようが、信頼
がいきなりできるわけではない。もちろん強さがあった方が信頼されやすいという傾向はあるが。
「それに、薬草採取だってお前が冒険者兼薬師だからこそ簡単に手に入る薬草も多かったんだ。処理の仕方も丁寧だしな」
「.......意外と評価してくれてたんだな」
「当たり前だ。評価してなかったらDランクはくれてやらん」
ワロウは昔のこともあり、無意識のうちに自分を低く見る癖があった。自分がそこまで評価されていたとは思っていなかったし、実際にこうして自分のことをギルドマスターであるボルドーの口から聞くこともなかった。
実際には自分が高く評価されていると知って、少し心が揺れ動いた。もう少し冒険者をつづけようかとも思った。しかし、口からは逆の言葉が飛び出した。
「でも...そろそろ潮時な気がするぜ。今でこそ普通に依頼を達成できてるけどよ、いつまでできるかわかんねえ。もういい加減にいい歳だからなオレも」
「...年を取ると動けなくなってくるのは当然だがな。まだ、お前は動けるだろう」
「おいおい、ギルドマスターならオレにしかできない仕事がある現状をどうにかしたほうがいいんじゃねえのか」
「あーあー聞こえない聞こえない」
ボルドーは耳をふさぎ聞こえないふりをする。その様子はまるで母親に小言を言われていやがる子供のようだ。
「ガキかよ!いい年こいたおっさんが何やってんだ」
ワロウが非難の目でボルドーを見ると、ボルドーはその目から逃れるように立ち上がった。
「おっと、そろそろ戻らなきゃなんねえな。ジークをあまり待たすとかわいそうだ。ノーマンに挨拶して戻ることにするぜ。じゃあな」
「さっき、大したことは任せてねえとか言ってなかったか?あ、おい、待てよ!」
ワロウは引き留めたが、ボルドーはそれを無視して会場の中心へと行ってしまった。
ノーマンに挨拶しに行ったのであろう。
(逃げやがったな、ボルドーのやつ...)
追いかけても意味がなさそうだったので、その場にまた座り込むとワロウはまた、酒に口をつけ始めた。
ちびちび酒を飲んでいると顔見知りの冒険者達が何人か声をかけてきた。その彼らと談笑しているうちにいつのまにかお祭り騒ぎも終わりを迎えていたようで、あたりはすっかり静かになっていた。
最後にノーマンに一言言って帰ろうと、中心部へ向かうとそこにはすっかり酔いつぶれていびきをかきながら寝ているノーマンがいた。
(おいおい、勘弁してくれよ...なんで誰もつれってってやんねえんだ...)
辺りを見回したが、まともに動けそうなのはワロウしかいない。
既に暖かくなり始めているとはいえ、夜の風は冷たくこのまま外に放り出しておけば風邪をひいてしまいそうだ。
(今日の主役を風邪引かすわけにはいかねえか...)
仕方がないと、首を振りつつワロウはノーマンを担ぎ上げた。いくら今装備をしていないとはいえついこの前まで現役の冒険者だったノーマンは体格がよくかなり重い。疲労で限界のワロウにとっては厳しい戦いになりそうだ。
(ぐっ...無駄に重いな...こっちだっていい加減限界だっつの...)
(昨日今日で色々あったからな...)
最初、ノーマンが結婚するという話を聞いてから、その贈り物を手に入れるところで死にかけて、森狼から逃げ切った後も爆発で死にかけて、そこで幸運にも手に入れた腕輪はなぜか外せなくなってしまい、ノーマンの結婚式に出て冒険者をやめようかと思った。
そして今は酔いつぶれたノーマンを担いで歩いている。
(なんか、散々な目にあっただけのような気もするな)
(結局この腕輪はなんなんだ?あれからうんともすんとも言わないが)
ワロウは若干ノーマンを引きずりながら自分の腕を見る。そこには、完全に沈黙し、ただの装飾品になってしまっている腕輪があった。
(まあ、結局ただの腕輪か。あれから何も起きねえし)
(とりあえず、今はコイツを家に叩き込まねえとな)
ワロウは、絶対にこの貸しは高くつけてやろうと考えつつ、夜のディントンの町を歩くのであった。