第五話 沈黙は金
(この匂い… どこかで嗅いだことがある)
(森の中で…そうだ…これは…!)
ワロウは突然立ち上がった。その様子にびっくりしたのか近くにいたマリーがしりもちをつく。ペンドールはやおら立ち上がったワロウに対して何かを突き止めたのかと興奮した面持ちで話しかけてきた。
「な、何か分かったのかね!」
「ああ……いや」
一瞬話しかけたワロウだったが、ふと頭にあることがよぎった。
(いや...まだだ...)
(今、この場所で話すべきじゃねえな)
「いや...悪い。特に何かわかったわけじゃねえんだ。正直なところ、病気にはそこまで詳しくなくてな」
咄嗟に誤魔化そうと適当なことを言うワロウ。正直上手く誤魔化せるかどうかは怪しいと思っていたが、特に指摘されることもなかった。
「そ、そうか...」
それを聞いたペンドールはあからさまに落ち込んでしまった。もしかして..という思いが彼の中にあったのだろう。
ワロウはその姿に多少申し訳なさを感じつつも、やはりこの部屋にいる人間にワロウの思い付きを聞かせたくはなかった。
とりあえず別のところで話をしたいが、ここでいきなり部外者のワロウがペンドールと二人きりで話したいと言っても怪しまれるだけで意味がないだろう。そこでワロウは一計を案じることにした。
「さて...これ以上お邪魔しても意味はなさそうだ。部外者のオレがずっといるのもよくないだろう」
「ああ、いや...来てくれただけでもありがたい。バルトもご苦労だった。ちなみにこの町以外の薬師の知り合いはおるかね...?」
ワロウの方を伺うようにして聞いてくるペンドール。既にこの町の薬師には診てもらったとバルドが言っていた。
となると後はこの町以外の薬師に賭けるしかないということになる。まさに藁をもすがる状態なのだろう。
「いるにはいるが...全員ディントンにいる。娘さんがこの状態じゃ連れて行くのは難しいだろう」
ここからディントンまではそれなりに距離がある。この状態の娘を連れてくのは流石に厳しい可能性が高い。
「むむむ...こちらに来てもらうことはできないかね?」
「そりゃ、わからんなあ。だが、こっからディントンまで一週間はかかる。往復で二週間だ。...そこはよく考えた方がいい」
”よく考えた方がいい”...はっきりとは言わなかったが、暗にワロウは告げていた。このままでは彼女は二週間も持たないだろうと。
ペンドールもそれを理解したのか悔しいような悲しいような怒りのような...複雑な表情を顔に浮かべた。だが、その表情を浮かべていたのはほんの一瞬だった。
すぐに笑顔に戻ると、にこやかにワロウに対して話しかけてくる。この切り替えの早さは流石は大商会の主といったところだろうか。
「ありがとう。ワロウ君。ここまで来てもらってすまなかったね。何かお礼をさせてくれ」
「いや、いいさ。結局何もしてないからな。それに...」
そこでワロウはバルトの方を見やった。視線を向けられた本人は何のことだかわかっていないようで?マークを顔に浮かべている。
「もうさっきもらったようなもんだからな」
「ふむ...?」
さっきバルトにおごってもらった食事は、そこら辺の食堂の食事の数倍はする。ここに来て診てみる程度であれば十分すぎる報酬だろう。
「...ワロウ君は冒険者にしては欲がないね。実に珍しい」
冒険者というのは基本的に金にがめつい人間が多い。そもそも冒険者になろうとする人間は貧乏人が多く、その理由の大半は一発でかい山を当てて、優雅に暮らしたいというものなのだ。
強くなりたいとか本当に冒険がしたいという冒険者ももちろんいるが、全体から見るとその割合は低い。
「この歳になるとあんまりがめつくのもみっともないと思ってね。それに経験上欲をかきすぎると後でろくな目に合わねえことは知ってるからな」
冒険者を長くやっていると痛い目を見ることも何度も経験する。ワロウ自身もまだ駆け出しの頃は、金に目がくらんで散々失敗した経験がある。
「なるほど、なるほど。こう言っちゃあ失礼だが、確かに私とそこまで歳は変わらなさそうだ」
ワロウの姿を下から上まで眺めながら、結構失礼なことを言い出すペンドール。だが、歳なのは事実だし、否定する意味もない。そんなワロウを気に入ったのか、ペンドールの顔は徐々に明るさを取り戻してきた。
「面白い。なかなか君のような冒険者と関わることは無かった。お近づきの印と言っては何だが...これを受け取ってくれ」
そう言ってペンドールが差し出してきたのは薄い金属の板だった。よく見るとうっすらとペンドール商会という文字と、そのペンドール商会を示すものなのか、馬車とその上に大量の荷物が乗っている絵のようなものがある。
「なんだこりゃ。土産物か?」
「いや、それは私からの紹介であることを示すものだ。それを持ってうちの系列の商店に来てくれれば色々とサービスをしよう」
「系列?」
「ああ。店のどこかにそれに描いてある絵と同じ絵を飾るよう言ってあるからそれを目印にしてみてくれ」
ペンドールが渡してきた謎の板はどうやらペンドール商会の紹介状のようだ。これを持っていれば色々と融通が効くようになるらしい。
「いいのか?オレなんかよりもっと渡すべき人間がいるんじゃねえのか」
この板はかなり有用だ。特に道具、防具、武器、薬など様々な買い物をする冒険者にと手は垂涎ものの板のはずだ。Eランクの冒険者にポンと渡してもいいのだろうか
「いや、私の商人としての勘が告げているんだ。君にこれを渡しておいた方がいいとね」
勘というものは案外馬鹿にできない。勘とはその人物が今まで得てきた経験からこうしたほうが良さそうだと判断するものだからだ。
ワロウ自身もこの今までの経験から導き出される”勘”によって窮地から辛くも逃れたことが何回かある。
そして、今。商人として長い経験を持っているペンドールが渡したほうがいいと思ったのならば。それは当たる可能性が高い。そもそも、ワロウにとっては何の不利益もないのだ。
「…勘、ね。そんじゃありがたく受け取っておくぜ」
「ああ、持っていってくれ。…では、バルト。悪いが見送りを頼めるかね?」
「ええ、わかりました」
手を降るペンドールに見送られながら、ワロウとバルトはその部屋を出た。ワロウの横にいるバルトは残念そうな顔をしていた。
「やっぱ、お前でも知らなかったか。もしかしたらと思ったんだがな」
その言葉に対してワロウは声を潜めて返答した。
「そのことだが…少し話しておきたいことがある」
「え?」
「このあと時間はあるか?」
「あ、ああ。無いことはないが…」
ワロウとバルトは先ほどの酒場に戻ってきていた。どこに行くか悩んでいたが、結局内緒話をするのならあそこが一番いいという結論になったのだ。
個室に入り込むと、さっそくバルトが問いかけてくる。
「それで?話ってなんだ?」
「ああ...さっきの件だが、わからなかったというのは嘘だ」
ワロウの突然の暴露にバルドは一瞬固まってしまった。驚くのも無理はない。嘘というのは一体どういうことなのだろうか。
「う、ウソだと?どういうことだ」
「一つ、心当たりがある」
その言葉にバルトは再度驚愕の表情を見せた。ただのEランク冒険者のワロウが何人もの薬師が突き止められなかった原因がわかったのだというのだから。
恐る恐るといった様子でバルトが先を促す。
「...その心当たりとやら、教えてくれ」
「...ああ。あれは...病気なんかじゃない。あれは...」
それに続くワロウの言葉にバルトは先ほどよりもはるかに驚きの表情を見せたのであった。
 




