七十四話 間に合うか否か
Side ケリー
僕は急いでギルドの廊下を走っていた。普段だったら危ないし、ギルドマスターも怖いし絶対走らないんだけど、今は緊急事態だし許してくれるだろう。
さっきワロウさんと一緒に作った薬は僕の手の中にある。透き通った青い色でどこか神秘的な色合いだ。やっぱり、Bランクの魔物の解毒薬だけあって、普通の薬とはどこか違うような雰囲気がある。...色だけって言われるとそうかもしれないんだけど。
...とっとと。危ない危ない。ボーっと考えながら走っていたら、ハルト君たちのいる部屋の前を通り過ぎてしまうところだった。正直、寝てるところを起こされてからずっと動いてるからすごい眠たい。まあ、そんなことを言ってる場合じゃないのは僕もわかってる。
ノックもせずに扉をあけ放つと、そこにはぐったりして倒れているシェリーちゃんと何も言わずにうつむいたまま彼女の手を握っているハルト君とダッド君の姿があった。
その奥ではギルドマスターとサーシャちゃんが沈痛そうな面持ちで彼らのことを見ていたんだけど、いきなり駆け込んできた僕の姿を見て驚いたようだった。
「...その薬は...! でかしたぞ、ケリー!」
ギルドマスターは僕が持っている薬を見て、すぐにそれがなんであるのか分かったみたいだった。前にもアデルさんを治療するときに見ていたからだろう。この透き通った美しい色も記憶に残りやすいだろうし。
ギルドマスターの薬という言葉を聞いて、ハルト君とダッド君が驚愕した表情で僕の方を見てきた。彼らには悪いけど今は説明している暇もない。
「退いてくれ..! 今から薬を投与する!」
「く、薬...? 一体どうやって...」
「話は後! 間に合わなくなる前に早く!」
そういうと彼らはすぐに退いてくれた。僕はすかさず彼女の元へ座り込むと、彼女の状態を確かめてみた。...息は...している! まだ、生きてる! 顔色は土気色で状態はかなり良くないけど、薬を投与すれば...
僕は震える手で彼女の口元へと薬を運んでいった。もし、こぼしでもしたらそれだけで薬の量が足りなくなって解毒できないかもしれない。焦ってはダメだ...慎重に...慎重に...
彼女の口を広げ、ゆっくりと薬を注ぎ込む。粘度の低いその透き通った青い液体は、するすると彼女の口の中へと入っていく。飲み込んでくれ...! 頼む...! 僕の願いが叶ったからかはわからないけど、彼女は口の中に入った薬をゆっくりと嚥下した。
「よし...! 飲み込んでくれたぞ...!」
「...! た、助かるのか...?」
ハルト君が縋るような視線で見つめてくる。助かる...と言いたいところだけど、薬を飲んだから絶対に助かるとはいえない。今回は投与自体が大分遅くなってしまったこともあって、間に合うかどうかはまだわからない。
「...まだ、なんともいえないね。もう少し様子を見なきゃ...」
「何か...何か俺にできることはないか...!?」
「そうっす! 何でもやるっす!」
彼らは必死だった。けれど今の僕たちには薬を投与する以上のことはできない。後は彼女の生きようとする力が毒に勝つことを信じるしかない。
そう伝えるとハルト君は祈るような仕草で彼女の手を握った。ダッド君も無言でもう片方の手を握っている。その場に沈黙が流れる。ギルドマスターもサーシャちゃんも誰も言葉を発しなかった。ひたすら彼女が助かるように祈り続けていたんだ。
ときおり彼女に少しづつ薬を投与しながら、しばらくそのまま時間が過ぎていった。その時間自体は大した時間でもなかったんだけど、僕らにとっては永遠のように感じていた。薬を投与し始めてから少し顔色はよくなったみたいだけど、彼女の様子に大きな変化はない。その様子にみんな少し焦りを感じ始めたようだった。
「アデルのときはすぐに効果があったんだが...」
ギルドマスターがポツリとつぶやいた。聞くところによると、前にワロウさんがアデルさんに薬を投与した時はすぐに顔色がよくなって、明らかに効果が出たとのことだった。でも、そのときと今では状況が違う。
「噛まれてから大分時間がたっていますからね...体力自体も魔法使いのシェリーちゃんより前衛のアデルさんの方があったでしょうし...」
「状況が違う...か。当然だな。悪い、俺も少し焦ってるみたいだ...」
ギルドマスターが落ち着きがなくこんな風になっているのは僕は初めて見た。いつも冷静沈着で、他の人が大騒ぎしていてもほとんど焦ったりしない人なんだけど...助かるかわからないこの状況が続くことで少し精神的にやられているのかもしれない。
その一方で、ハルト君とダッド君はひたすら無言で彼女の手を握り続けていた。その視線はひたすら彼女の顔に注がれている。少しの変化も見逃さないようにという強い意志を感じる。彼らがそうし始めてもうどれだけ経っただろうか。その集中力はすさまじかった。
その時、ハルト君が小さく叫んだ。
「...!! い、今...口が動かなかったか...!?」
ハルト君はダッド君に確かめるように視線を彼に向けた。ダッド君もそれに力強く頷いた。
「確かに見たっす! 口が動いてたっすよ!」
その言葉に僕たちも思わず彼女の近くへと駆け付けた。パッと見た感じだとさっきと変わらない様子だったけど、彼らがそうだというなら間違いないだろう。変化の兆しがあったんだ。
そのまま彼女の様子を見守っていると、彼女は小さくうめき声をあげた。少し、回復したのかもしれない。そのことを喜んでいると、次は彼女の目がうっすらと開いた。意識が戻ったんだ。そう気づいた瞬間に僕はあまりの嬉しさにそのままうずくまってしまった。やった...!! やったぞ...!! なんとか...助けられたんだ!
「ここ...は....」
「シェリー...!! 目が...覚めたのか...!!」
「...ッ!!」
ハルト君が必死に呼びかける。ダッド君は様々な感情が爆発してしまったのか大号泣をし始めてしまった。それにつられてサーシャちゃんまで泣き出してしまって辺りは少し混沌とし始めてしまった。
そんな彼らの様子を見て逆に元の調子に戻ったのかギルドマスターが落ち着いた様子で僕に尋ねてきた。
「ケリー。どうだ? もう大丈夫なのか? 」
「...はい。おそらくは。意識が戻ったということは薬が効いている証拠でしょう。残りもこのまま投与し続ければ...」
「...そうか」
僕がそういうと、ギルドマスターもようやく緊張した顔から安堵の顔へと変わって、その場にどっかりと座り込んだ。安堵の中にも疲労が見え隠れする。
流石に今回のことは結構体力を使ったんだろう。半日もの間ずっとこの件に関わっていたんだから当然だと思う。そこへシェリーちゃんの悲しそうな声がしてきた。
「ハルト...ダッド...あなたたちまで...死んでしまったの...?」
「な、何言ってるっすか! 死んでないっすよ!」
「シェリー、ほら...手があったかいだろ? 俺もダッドも生きてる。...お前もだ」
そういうとハルト君は彼女に向けて握った手を目の前まで持ってきた。ダッド君も同じように自分が握っていた手をそのまま彼女の目の前に持ってくる。
「生きてる...? 私が...」
「そうだ。生きてるんだ! お前は助かったんだ!」
「...またこうやって話せるなんて...思ってなかったっす...」
ダッド君はまた泣き出してしまった。ハルト君も泣き出しはしないもののその目じりには涙が見える。シェリーちゃんは最初状況が飲み込めていなかったようで呆然とした表情で天井を眺めていたけど、そのうち目から一筋の涙が落ちた。




