七十三話 思わぬ手助け
「なんで今更...! 期待させるようなことを言うんですか...!」
感情が高ぶったのかサーシャはワロウの胸のあたりをぽかりと叩いた。当然威力は全くなく到底ケガをするようなものではない。しかし、ワロウの体はその一撃でぐらりと揺れた。
「お、おい。しっかりしろって! 」
ジョーが倒れる前に何とかワロウを支えて事なきを得たが、その様子を見たサーシャは驚愕していた。一体ワロウはどうしてしまったのだろうか。そんな表情だ。そしてその時、サーシャはあることに気づいた。
「え...? ワロウさん...血...」
ワロウは今、ダンから借りている上着のおかげでぱっと見は普通に見える。だが近づいてよく見てみると血まみれで、防具には激しい損傷が残っている。なにがあったかは容易に想像できた。
サーシャの目が驚愕で見開かれたのを見て、ワロウは少し慌てた。倒れそうになったのは疲労と貧血のためであって、ケガ自体はポーションと回復術で治っており命に別状はない。だが、それをいちいち説明している時間は今はない。仕方がないので実際にケガをしていないということだけを見せることにした。
「いや、血まみれに見えるが問題ない。ほら、別にケガしてないだろ?」
「え、あ、ホ、ホントだ...でも、なんで...」
「悪いな。細かい話は後だ。今は薬を作らなきゃならないんでね」
「そうだよ! 薬部屋に行くんだろ? 早く行こうぜ!」
「...サーシャ、アイツらにはオレのことは黙っておいてくれ。余計な心配をさせたくないしな」
「ちょ、ちょっと! 後で説明してくださいね! 」
悪いと思ったが今は説明する時間も惜しい。混乱するサーシャをそのまま置いて、ワロウとジョーは薬部屋へと直行した。シェリーの様子を見ておきたい気持ちもあったが、この血まみれの状態で行ったところで更なる混乱が生まれるだけだろうと思ったのだ。
ワロウがジョーの肩を借りながら薬部屋の前までたどり着くと、何やらぶつぶつ言う声が聞こえてきた。
「...できる準備全部やれっていうけどさ...それってどれだけあると思ってるのかな...」
「大体作る薬すらわからないのに準備っていう方が無茶なんだよな...どの薬草を刻めばいいかわからないし...とりあえず魔法装置の準備はしたけどさ...」
聞き覚えのある声だ。しかし、こんな明け方にその人物がいるはずがなかった。そもそもギルドですら開いていない時間なのだ。ワロウは震える手で扉を押し開いた。
「あっ! やっと来たんですね。待ちくたびれましたよ」
「ケリー...お前、なんでここにいやがる...?」
そこにいたのはギルドの専属薬師のケリーだった。しかし、彼は今は勤務時間外で普段は家で寝ているはずの時間だ。しかも彼の口ぶりから察するにワロウのことを待っていたような節がある。一体なぜだろうか。
「もう4、5時間は前かな...サーシャちゃんに家で寝てるところを起こされたんですよ。こんな時間にどうしたのって聞いたら、ギルドマスターが呼んでるって言って...あわてて準備して飛び出してきたんですよ」
「ボルドーが...?」
「ええ。事情も聞いてます。シェリーちゃんを助ける薬を作るんでしょう? 早く取り掛かりましょう! 何を準備すればいいかわからなかったんですけど、とりあえずできることはやっておきましたので」
(ボルドーの奴...! 相変わらず最高の男だぜ、お前はよ...!)
部屋の中を見渡すと、すでに調合器具が机の上に準備されていて、鍋には沸かしたお湯が沸騰している。ついさっきまで準備していたのであろう大量の薬草が刻まれて種類ごとに分けてある。
何を使うかわからなかったからとにかくあるものを片っ端から刻んだのであろう。そして淡い色を放つ魔法装置の姿もあった。そこには、デススパイダー用の解毒薬を作るための準備がほとんど整っていたのだ。
しかも、そこにはケリーがいる。先ほどまではジョーの手助けを借りつつ、なんとかワロウが体を引きずってまで薬を作るつもりだったのだが、薬師のケリーがいるならば話は大分変わってくる。彼は元々腕の良い薬師だ。ワロウの行う作業自体をほとんど任せられると言っても過言ではない。
(できる...! これなら薬は作れる! 後は時間だけだ...)
「...よくやってくれた、ケリー。正直、半分無理だと思ってたがなんとかなりそうだ」
「そ...そんな...僕は準備しただけですから...実際に作るのはワロウさんでしょう?」
「いや...悪いが調合作業もやってもらうことになる。今、体が言うことを聞かねえんだ」
「え...?」
そこで、ケリーはワロウの様子がおかしいことにようやく気付いた。そもそもジョーの肩を借りながらこの部屋に入ってきたため、あまり体調がよくないんだろうとは考えていたが、まさかそこまで悪い状態だとは思っていなかったのである。
しかし、よく見てみるとワロウの着ている服や防具はボロボロで、あちこちに血痕が残っている。間違いなく大ケガだろう。そう思ったケリーはあわててワロウのそばまで駆け寄った。
「ど、どうしたんですか! このケガ! ひどいケガじゃないですか! 」
「いや、ケガ自体はポーションで直した。問題ない。ただ、疲労と貧血でまともに動けねえんだ」
「ポ、ポーション...そ、そうだったんですね...わかりました。ワロウさんは指示だけお願いします。後は僕が実際の作業を行いますので」
そういうとケリーは調合器具の前に立った。この時ほどケリーの後ろ姿が心強いと思った時はなかった。普段は気弱で、ボルドーの無茶ぶりを断り切れず、ぶつぶつ文句を言っている姿が思い浮かぶが、やるときはやる男なのだ。
ワロウは早速ケリーに指示をしながら調合を開始した。アデルのために調合をしたあの時と手順は変わらない。始めにキール花を細かく刻んでもらってそれを水が沸騰した鍋の中に入れる。
すると最初は刻まれたまま浮いていたキール花が徐々に水に溶けてゆき、最後には消えてなくなってしまう。
「消、消えました...合ってるんですよね?」
「そんなにビビらなくていい。別に本当に消えたわけじゃない。溶け込んでいるだけだ」
「了解です...」
若干びくびくしながら調合を続けるケリー。シェリーの命がかかっているのだ。それだけ緊張しても仕方がないかもしれない。次に魔法装置の中に鍋ごと突っ込むよう指示するとケリーが鍋をもって魔法装置の中に慎重に置いた。
そこから先の設定はワロウが限界に達している体に鞭を打ちつつなんとか設定した。ケリーにやってもらってもよかったのだが手順が少々複雑で、指示するよりも自分でやった方が早いと判断したのだ。
ワロウが設定し終わると、全体が青く光り始める。今思って見るとこの光はワロウが使った回復術のときの光とよく似ていた。何かしら関係があるのかもしれないが、それに対する考察は後だ。しばらくすると光が弱くなってくる。魔石が切れかけているのだ。ケリーに追加で魔石を注ぎ込んでもらいつつ調合を続ける。
そのまましばらくたった後ワロウは鍋の中の状態を確認すると、更にケリーがすでに刻んであった数種類の薬草を鍋の中に放り込んだ。すると今まで透明だった液体が濁った緑色に変色する。
「今まで透明だったのに...すごい色になっちゃいましたね」
「問題ない。前もそうだったからな。そのうち透き通った青になるはずだ」
その後も、数種類の薬草を混ぜてという作業を何回か繰り返したのちに、最後に網で鍋の中の固形物をすくうときれいに透き通った青い液体だけが残った。...前と同じ薬ができた。そのはずだ。
「...できた。前と同じ色だ」
「す、すごい...これがBランクのデススパイダーの解毒薬...ですか」
ケリーはできた薬を目を輝かせながら観察している。Bランクの魔物の解毒薬なぞ、普通の薬師だったら見る機会も触る機会もほとんどないシロモノだ。彼が興奮するのも仕方がないだろう。
「そのはずだ。...ケリー、お前が持って行け」
「え...ワロウさんが持って行った方がいいんじゃ...」
「...悪いが、もう限界だ。オレのことは...アイツらには...黙って...」
そこまで言うと、ワロウは座っていた椅子から崩れ落ちそうになった。それをすんでのところでジョーが支える。薬を無事に作り終えたことで気が抜けてしまったらしい。限界で気を失ってしまったようだ。
「ワロウさん! 大丈夫ですか!?」
「...気を失っただけだ。もう限界だったんだろ。悪いけどその薬はお前が持っていってやってくれ」
「ジョーさん...で、でも...ワロウさんが自分のことは話すなって...なんて説明すればいいのやら...」
「まあ、適当に外から来た冒険者がたまたま持ってたとか言っときゃいいだろ」
「そんな無茶な...」
「ほら、行った行った! さっさと行かねえと間に合わなくなるぞ! 」
「わ、わかりましたよ...ワロウさんも無茶言うんだから...」
いかにも気が進まなそうな顔をしていたケリーだったが、そのことでもめている場合ではないと思い直したらしい。そのまま薬を持って急いで部屋を出て行った。シェリーの元へと行くのだろう。
その一方で、部屋に残されたジョーは念のためワロウの様子をもう一度確認する。顔色はよくないが呼吸はできている。さっき言ったように気絶しているだけだろう。そこで、ジョーは安堵したかのように大きく息をついた。
「ふぅぅ...全く無茶しやがって...ケガだってこんなに...ん? ケガ...」
そこで、ジョーは少し違和感を覚えた。治っているケガの量が多すぎる。そう思ったのだ。自分たちが渡したポーションはあくまでも下級のものであって、ケガを際限なく治せるというわけではない。いくら二本持っていたからと言ってもこんな量のケガを治せるものだろうか。
「...まあ、ポーションの効果は一定じゃないしな。もしかしたら自分で調合した傷薬を使ったからかもしれないし...」
いくらでも可能性はある。気にするほどのことでもないだろう。そう思ったジョーはその違和感のことは忘れてしまった。そして、一つ大きく伸びをすると、思案気な顔つきになった。
「ワロウ...このままここに置いておくと風邪引きそうだしな...」
「...仕方ねえな。家までそんなに遠くないし運んでやるか...」
そうつぶやくと,ジョーはワロウを担ぎ上げた。人一人を運ぶのはかなりの重労働のはずだが、門番のジョーは鍛えていることもあり、軽々とまではいかないが普通に担ぎ上げた後に部屋を出ていった。そして、誰もいなくなった部屋では切り忘れた魔法装置の小さくうなる音が響いたのであった。




