第五十二話 方向転換
(マズい...!)
姿勢を崩してしまった私は隙だらけだ。当然、奴がそんな隙を見逃してくれるはずもなく、奴の大きな拳が私の体に突き刺さった。
「が...はッ...」
私はその攻撃によってふっ飛ばされた。その一撃は重く、私の体はそのまま宙を舞った。強い衝撃が体全身を襲い、そのまま意識が無くなりかける。
「...!まだだ...!」
まだ、あきらめるわけにはいかない。彼らとの約束がある。必ず生きて戻ると約束したのだ。それを破るわけにはいかない。
私はなんとか意識を保つと、すぐにその場から飛び退いた。次の瞬間、奴の上から振り下ろすような拳がその場に突き刺さった。その場所は大きく陥没している。あれを喰らったら間違いなくその場で死んでいただろう。
とはいえ、負傷してしまった今、先ほどよりも条件は悪くなってしまった。このまま戦い続ければそのうちやられてしまう。
かといって、この場から逃げ出すのも難しい。ウシク達のための時間稼ぎがまだ十分ではないということもあるが、何よりも奴は走るのがかなり早い。
私がこのまま背を向けて一目散に逃げていったとしても、すぐに追いつかれてしまうだろう。当然それではだめだ。
(どうすればいい...どうすれば...)
今のところはまだなんとか攻撃を躱せてはいる。ただ、先ほどの万全な状態のときですら奴の攻撃を避けそこなったのだ。
ましてや、今の私は先ほどの攻撃のせいで体のあちこちが痛み始めていた。このままずっと攻撃をかわしつづけることは無理だろう。いつか必ず捕まってしまう。
(...ぐ...無理...なのか?)
私の心の中で”絶望”が顔を覗かせてきた。
レイナが苦境に立たされている一方で、ウシク達は順調に距離を稼げていた。元々ここは草原で走りやすかったというのもあるが、それほど必死で逃げ続けていたということもある。
いくらか距離が離れたことによって、全員の心に多少だが余裕が出てくる。今までは無言でずっと走り続けていたが、アンジェがポツリとつぶやいた。
「...ねえ、ホントに大丈夫なの?一人で置いてきちゃったけど...」
「...ああ。今はそれを信じるしかない」
ソールが沈痛な面持ちでそれに答える。彼もレイナが危険だということは重々承知している。だが、あの時はそうするしかなかった。
「クソ...なんなんだあの化け物は...アイツのせいで...」
ウシクが悪態をつく。あの時はリーダーとしてレイナを残していくという手段を選び、冷静に対応していたように見えた彼だったが、感情的な部分では納得できてはいなかったのだろう。
「そうだな...冒険者になってから長いが、あんな奇妙な魔物は初めて見た」
ワロウはウシク達よりもはるかに長く冒険者として生きてきたが、あのような複数の魔物をつぎはぎしたような奇妙な魔物は見たことがなかった。
いったいあれは何だったのだろうか。とてもではないが自然に生まれるようなものとは思えない。
(...待てよ。よくよく考えてみると、あの化け物も研究の成果...という可能性もあるのか)
自然に生まれるものではないとしたら、考えられるのはそれが人為的に生み出された可能性である。ついさっきワロウたちはレッドウルフに奇妙な板が取り付けられていることを確認した。
あれはきっとどこかの組織が禁忌とされている”魔物の研究”に手を出した...ということだろう。それを考えてみると、先ほど襲ってきた化け物もその研究の一部なのではないか...そんな可能性も十分考えられる。
「レッドウルフの怪しげな板といい、あの化け物と言い、誰かから狙われてるのか...?」
「なーに言ってんのよ。心当たりでもあるわけ?」
「馬鹿野郎、オレは清く正しく生きてるから誰かに恨まれるようなことはねえよ」
「...」
アンジェは無言でワロウの言葉に抗議してくる。どうやら清く正しくという部分が気に入らなかったようだ。
それはさておき、アンジェの言う通り誰かに狙われるほど恨みを買っていそうな人間はこの中にはいなさそうだった。それに禁忌の研究にかかわるような組織が、高々Eランク冒険者を始末するためにこのようなことをしたとは流石に考えにくい。
(やはり...ただの偶然...なのか?)
レッドウルフの件とあの化け物の件は全くの別物とは考えにくい。同じ魔物の研究に関しそうな事だからだ。そこにたまたまワロウたちが巻き込まれただけであって、ただ単に運が悪かった...そういうことなのだろう。
ワロウがそう納得しかけたとき、ふと、キール少年が走る速度を落としていることに気づいた。
「...?おい、どうした。どこかケガでもしたのか?」
「...僕のせいだ」
キール少年がぼそりと何事かをつぶやく。よく聞き取れなかったワロウはキール少年に対して聞き返す。
「あん?なんだって?」
「僕のせいです。きっと...今、襲われているのは」
キール少年は震える声で、自分のせいだと言い始めた。襲われている理由がキール少年にあると言うのは一体どういうことなのだろうか。何か狙われている理由でもあると言うのだろうか。
「...そりゃあ、一体どういう...」
「助けに行かなきゃ...僕の...僕のせいなんだ...!」
ワロウが更に問いただそうとしたその時、キール少年はいきなり後ろに振り向くと、駆け出して行ってしまった。あのレイナと化け物が戦っているだろう方向へと。
「あ!お、おい!待てって!」
慌ててウシクが引き留めようと声をかけるが、キール少年はそれに耳を貸す気配はない。そのまま走り去っていってしまった。
「ちょ、ちょっと!追わなきゃ!」
「...いや、待て」
去っていってしまったキール少年の後を慌てて追いかけようとするアンジェをワロウは引っ張って止める。邪魔されたアンジェは怒ったようにワロウに詰め寄った。
「何するのよ!早く追わなきゃ取り返しのつかないことに...」
「ちっと落ち着け。このままオレたち全員で追うのはナシだ」
「な、なんでよ!」
どうやらアンジェは目の前のことで頭がいっぱいになってしまったらしい。無理もないだろう。キール少年があの化け物の元へと向かっていってしまったのだから。それは死を意味すると言っても過言ではない。
だが、考えもなしに突っ込んでいくのはいささか無謀が過ぎる。
「全員で行ったら、誰が応援を呼んでくるんだ?」
「う....」
ワロウの冷静な指摘に思わず言葉を詰まらせるアンジェ。確かに応援を呼びに行くものがいなくては、ワロウたちが先に逃げてきた意味がない。
「それに、大勢でぞろぞろ行ったところで危険なだけだ。それだけあの化け物は強い」
「だ、だったらアタシが一人で...」
「...わかった。俺が行こう」
自分が一人で追いかけると言いかけたアンジェを遮って、ウシクが名乗りを上げた。
「ウ、ウシク?アタシが行くって...」
「いや、お前が行くのはダメだ。矢もないのにどうやって戦うつもりなんだ?」
「そ、それは...」
アンジェはレッドウルフとの戦闘でほぼすべての矢を使い果たしていた。一応短剣も使えるが、あの化け物と戦闘するとなるといくらなんでも心細すぎる。ほぼ自殺をしに行くようなものだ。
「こうなったのもリーダーの俺の責任だ。...任せてくれないか」
ウシクはじっとアンジェの方を見つめる。アンジェは少しの間躊躇っていたが、やがて小さく頷いた。ウシクに任せる。そういうことだろう。
「よし、じゃあ後は残りの3人で応援を呼んできてくれ。...いいな?」
そのウシクの言葉に全員が頷いた。...一人を除いて。




