第五十話 迫りくる恐怖
一気に退却を始めたワロウ達。だが、その状況はあまりいいとは言えなかった。そもそもついさっきまでレッドウルフと死闘を繰り広げていたのだ。余裕のあるものなどいない。
...いや、正確に言えばレイナはほとんど戦闘に参加していないし、なんといってもCランク冒険者だ。彼女にはまだまだ余裕があるだろう。
そのレイナは、今ワロウ達の一番後ろを走っている。自らしんがりを買って出てくれたのだ。そしてそのレイナは後ろの様子を確認すると忌々し気に叫んだ。
「ダメだ!こっちに向かっている!このままだと追いつかれるぞ!」
「なんだと!?オークどもはどうしやがったんだ!」
レイナのその叫びにワロウがかぶせるようにして叫び返す。もともとその化け物はオーク達を追いかけていたはずなのだ。それはいったいどうしたのだろうか。
「オークは一瞬で蹴散らされた!もう一匹も生き残っていない!」
「ハア!?なんだそりゃ!?」
オークという魔物はDランクに分類されることだけのことはあって、そこまで弱い魔物ではない。そう簡単に蹴散らせるような魔物ではないはずだ。
レイナはその化け物はオークたちを一瞬で蹴散らしたという。
(...ちょっと強すぎるんじゃねえか、それは!?)
少なくともオークを一方的に虐殺できるレベルならば、少なくともCランク以上の魔物であることはほぼ確実だ。そして今ここにいるのはEランク冒険者が5人とCランク冒険者が一人。
戦闘力の差は歴然としている。このまま追いつかれでもしたら、それこそ一方的な戦闘が起こってしまうだろう。
「大体あの化け物はオーク目当てで来てたんじゃないの!?なんでこっちにまで来るのよ!」
アンジェの疑問はもっともだ。餌としてオークを狙っていたのならば、オークを蹴散らした今、オークを食べることに夢中になっていてもおかしくない。
なぜわざわざこちらを襲ってくるのだろうか。とはいえ、それを考えている余裕も時間も残されてはいなかった。
「...仕方があるまい。貴殿らはこのまま先に行け」
「先に行けって...どういうことよ!?」
レイナの言葉にアンジェが悲鳴を上げるかのようにして聞き返す。言葉には出さないが、暗に”一体何を言っているんだ”そんな思いが強く伝わってくる。
いくらレイナが強いとはいっても、オークを蹴散らしたあの化け物に一人で勝てるかと言われたらかなり怪しい。ワロウたちよりかははるかに強いのは確かだが、それでもやはり限界がある。
他の面々も口にはしないが、抗議の視線をレイナに向ける。一人をおとりにして助かろうなどという考えの持ち主はいないようだ。
レイナもそのことに気づいたのか少しだけ頬を緩めた。だが、すぐに頬を引き締めて冷たく言い放った。
「...正直、貴殿らは足手纏いだ。さっさと逃げてくれた方がこちらとしても助かる」
「なッ...!ちょっとアンタねぇ...!」
明らかにこちらを馬鹿にしたようなその物言いに、アンジェがすぐに噛みつこうとした。だが、それをウシクがすぐに止めた。
「落ち着けよ。レイナ、そんな言い方をしなくてもお前の指示には従うつもりだ...だけどよ...
ずっと走り続けているので、どうしても息が切れてしまう。ウシクはそこで大きく息を吐くと、レイナの方に鋭い視線を送った。
「お前...死ぬつもりじゃねえだろうな?」
ウシク達を助けるために、自分がおとりとなって逃がす。例え、自分が死のうとも。もし、そういうつもりならばこのままおとなしく逃げるつもりはない。言外にウシクはそう言っていた。
ウシクは嘘は許さないというようにレイナの目を見る。レイナはそれに対して、透き通った、そして強い意志を持った目で見つめ返した。そしてニヤリと笑う。
「当然だ。死ぬつもりなど毛頭ない。貴殿らさえ逃げ切れれば後はどうにでもなる」
「...いい目だ。わかった、お前の言う通りにしよう」
(...嫌な目だ)
ウシクはそのレイナの透き通った目を見ていい目だと言った。だが、ワロウは全く逆の感想を抱いていた。
透き通った、そして強い意志を見せる目。今までの冒険者人生でそんな目をした冒険者達を見たことがあった。彼らは何か困難なことに直面した時、そういう目をしていた。彼らはそれに大して全力で抗ったのだ。
...そして、そのうちの何人かはそのまま帰ってはこなかった。その目を見たのが最後、もう二度と会うことはできなくなってしまったのだ。
そんな彼らと、今すぐそこにいるレイナとが被って見えた。レイナもこのままこれが最後の会話になってしまうのではないか。そんな予感がワロウを襲っていた。
思えばワロウがキール花を取りに夜の森へといった時。同じような目をしていたのだろうか。そう考えると、ジョーがワロウのことを止めたのも納得できる。
「レイナさんを置いていくんですか!?」
キール少年が本当にレイナをおとりにして逃げるのかと聞いてくる。その言葉には怒りと非難が込められていた。
だが、そんなキール少年の言葉に対して、ウシクは冷静に返事をする。
「そうだ。それが一番全員が生き残れるだろうからな」
「な...どうしてですか!?」
「さっきも言ってただろう。俺たちの実力じゃ足手まといなんだよ。俺たちが一緒になって戦ったところでレイナの負担が増えるだけだ」
ウシクは冷静だった。その客観的な視線からの言葉に、キール少年は口ごもった。
「でも...」
「今、俺たちにできる最善の方法はあの化け物から逃げ切って、応援を呼んでくることだ。そうすりゃレイナだって助かるだろ」
(...そうだ。ウシクの言っていることは正しい)
ウシク達が一緒になって立ち向かったところで、あのレベルの魔物に対しては全く歯が立たない。それに逆にウシク達を守るためにレイナに余計な負担が増えかねない。
それであれば、レイナが足止めしてくれている間にさっさと逃げてしまった方がいいに決まっている。ウシク達がいなければ、レイナだって本気で逃げられる。
今だって、本来ならばレイナはもっと早く逃げれるはずのところを、ウシク達の逃げる速度に合わせてくれているのだ。
(正しい...正しいはずなんだ...!)
ワロウにだってそんなことくらいわかっている。論理的に考えれば、ここはレイナを置いて逃げる以外の方法はないし、結局のところその方が全員が助かる可能性が高い。
で、あれば後はそれを実行するだけでいいはず...だ。
だが、ワロウにはそれがうまくいくとは思えなかった。いくらレイナが強いと言えどもあの化け物相手にどれだけ持つのだろうか。そして、隙を見て逃げ出すといってもそんな隙があるかどうかも怪しい。
そしてなによりワロウの直感が告げていた。このままではレイナは死ぬ...と。
しかし、今ここですべてを解決できるような手段に心当たりがあるかと聞かれたら、それは全くもってないし、しかもこの予想はあくまでもワロウの勘だ。根拠としては薄すぎる。
しかし、こうしてワロウが悩んでいる間にも怪物はすぐそこまで迫って来ていた。後ろを見なくてもわかる。その化け物の足音が間近から聞こえているためだ。
「...!もう追いつかれるぞ!私は行く!」
話し合っている間もずっと後ろの様子をうかがっていたレイナは、少し焦ったような声で叫んだ。それほど近くにまで押し寄せてきているということだろう。もはや迷っている時間はないようだ。
「わかった!死ぬんじゃねえぞ!」
ウシクがそう叫び返した瞬間にレイナは反転してその化け物を迎え撃ったようだ。化け物の悲鳴らしき鳴き声が聞こえてくる。
後ろを向いて確認したいが、そういうわけにもいかない。ウシク達は後ろを振り返らずにそのまま草原を駆け抜けていったのであった。




