第十八話 薬の対価
「あ、いえ...ねえ、お父さん。マリーはどこにいるの?さっきから姿が見えないのだけれど」
マリーはリンネの専属の侍女である。ワロウが初めてこの部屋に来たとき、香水をこの部屋にまいていた人物だ。それで、この部屋は当初かなり甘ったるい匂いが充満していた。
その匂いのせいで、リンネが倒れた原因であるブミンの匂いに気が付きにくくなっていたのだ。ワロウはたまたまそのブミンの匂いを嗅いだことがあったのでわかったが、そうでもなければ絶対に気が付かなかっただろう。
こう聞くとマリーはリンネの毒殺に加担していたかのように聞こえるが、実際はそうではなかったようだ。犯人からのお嬢様の好きな香水のにおいで部屋を満たせばもしかしたらお嬢様が目覚めてくれるかもしれない...そんな甘言に乗ってしまったらしい。
と、いうわけでマリーは犯人ではないとわかってはいるのだが、彼女はこの部屋に入ることを許されていない。というよりかはペンドールとバルド以外はこの部屋に入れないといった方が正しい。
今回、身内の中に裏切り者がいた以上どこが信用できるのかなんていうことはわからない。なのでペンドールが本当に信用できるものしかこの部屋には入れないようにしているのだ。
例え、マリーが完全に白だったとしても、彼女の入室を許せばそれを聞きつけた敵が彼女を脅迫して無理やりにでも暗殺を図る可能性だってある。向こうも毒殺を防がれて焦っている可能性が高いのだから。
「...うむ。一応病気ということでバルドと私とワロウ君以外はこの部屋に近寄らないように言ってあるんだ。もし、万が一にでも移ってしまっては困るからね」
「ああ...なるほど。でも、お父さん達は大丈夫なの?」
「大丈夫...というわけではないが、娘を放ってはおけないよ」
「お父さん...」
なにやら感動的なシーンが始まっているが、もともと毒なので感染するようなリスクはない。とはいえ流石にここでそれを指摘するわけにはいかない。
「なんか...安心したら...また眠く...」
リンネはうとうとし始めた。解毒薬を飲んである程度毒はなくなったとは言えども失った体力は戻らない。まだ体は休息を欲しているのだろう。
「大丈夫。ゆっくり休みなさい。私かバルドがずっと一緒にいるから心配はいらない」
「うん...お父さん...ありがと...」
そう言うとリンネは糸が切れたかのようにコテンと寝てしまった。念のためワロウが呼吸を確認するが特に問題はなさそうだ。本当に眠っているだけのようである。
「...大丈夫そうかね...?」
リンネの様子を見ているワロウの傍らでペンドールが不安そうに様子を伺う。この前は意識を失ってから4日間も目を覚まさなかったのだ。不安なのだろう。
「多分、大丈夫だ。なに、毒はもう無効化されている。後は回復するだけさ」
「そうか...!本当に君にはなんてお礼を言っていいのやら...」
「おいおい、礼なら散々今までも聞かせてもらったぜ」
「はは...それもそうか。....そうだ!何か欲しいものはあるかい?私の手の届く範囲ならなんでも揃えさせるが」
なんでもという言葉に思わず惹かれかけるワロウ。欲しいものはいっぱいある。だが、今回の件の報酬はすでにバルドと交渉済みだ。あわよくば...というのはあるが、ワロウ個人としてはあまり好きではない。
「報酬に関してはバルドからもらう予定だから気にするな」
「そうなのかい?バルド」
「あ、ああ。一応Dランクの認定試験の推薦をすることになってます」
それを聞いたペンドールは少し考え込む仕草を見せた。
「なるほど...そういう話になっていたのか。だが、それだけでは私の気が済まない。何かお礼できることは無いかね?」
「何か...ねえ」
正直な話、欲しいものは色々と思いつく。だが、ワロウは旅をしている身なのだ。あまり重いものやかさばるものは持っていけない。となると...
「まあ...ちょっとアレだが...やっぱり路銀だな。今欲しいのは」
「路銀か。もちろん構わないよ。白金貨100枚程度ならすぐに用意できる」
「は、白金貨100枚!?」
何言ってるんだこの親父はと思った。白金貨100枚なんて言ったらワロウの稼ぎの3年分に相当する金額だ。そうポンと準備できる金額ではないし、他人に渡してもいい金額でもない。
「ぺ、ペンドールさん!そこまで出したら我々が動けなくなりますよ!」
バルドが慌てた様子でペンドールの暴走を止める。どうやら白金貨100枚は今出せる本当の最大金額のようだ。それを渡してしまえば彼らは完全に動けなくなってしまう。
「いいんだ。それに金なら送ってもらえばいい。別に困りはしないさ」
そう言うとペンドールはワロウの方をじっと見つめる。ワロウの回答を待っているようだ。それに対してワロウは首を横に振った。
「...まあ気持ちはありがてえんだが」
「ふむ?」
「こちとら旅の身なんでね。そんなに渡されても重すぎて動けねえよ」
「む...む。そうか。だったら私の店に話を通しておこう。そうすればそこで受け取れるように...」
「まあ、待てって」
さらに話を進めていこうとするペンドールを止めるワロウ。娘が治ったことがあまりにもうれしすぎて多少暴走気味のようだ。
「そんなことしたら店の連中にオレが恨まれちまう。”アイツはなんでうちの金を持っていくんだ”ってな。それは勘弁願いたいね」
「むむ...そうかね...」
「そうだな...じゃあ白金貨5枚でいい。それでも大分ぼったくりだけどな」
もともと薬の適正価格としては金貨3枚くらいがいいところなのだ。特急料金を加味しても金貨5枚くらいだろう。
なので、ワロウとしては当面の資金として金貨5~6枚もらえればいいかなと思っていたのだが、それではペンドールが納得しなさそうだったのでとりあえず白金貨5枚と言ってみたのだ。
それでも、元の金額からすれば10倍近くなので、正直かなりのぼったくりなのだが、ペンドールはそれでも不満そうだ。
「白金貨5枚では少なすぎる。何かほかに欲しいものはないのかね?」
「って言われてもなあ...」
先ほども言ったように、旅の身であるワロウには持てるものは少ない。本来ならば、調合の加速用の魔法装置や、その燃料に必要な魔石、珍しい薬草、特殊な採取道具などなど欲しいものはある。
だが、そのどれもが持っていくわけにはいかないものだ。ワロウは一人旅なのだ。荷物はなるべく減らさなくてはならない。
特に欲しいものが思いつかないワロウではあったが、このままではペンドールが納得いかなさそうだ。
ワロウがどうしたものかと頭をひねっていると、バルドが助け舟を出してくれた。
「...そうだ!ワロウ、お前その剣結構年季が入ってるよな?」
「ん?まあ、そうだな...」
ワロウの剣は10年以上前から使っている骨董品だ。別にこの剣の質が抜群に良くて長持ちしているとかそういうわけではなく、ただの普通の剣だ。単純にワロウがほとんど戦闘をしないので、消耗していないだけである。
この前、盾と防具を森狼にボロボロにされてしまったので、防具と盾は新品に変えていたのだが、剣に関しては予算もないし、一応まだ使えるということで昔のままになっている。
「新しい剣をお礼としてあげたらいいんじゃないですかね。それだったら絶対に持っていきますから」
「なるほど!それはいい案だ。せっかくなら剣だけでなく防具の方も贈らせてもらいたい。防具だっていいモノの方がいいだろう?」
「...まあ、そりゃそうなんだが」
ワロウの防具もいくら新品とはいえど結構安物の防具だ。理由は単純で先ほども述べたように金が無かったから。
ペンドールがお礼で新品の剣と防具を揃えてくれるというのであれば、それは非常にありがたかった。
「...わかった。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらおうか」
いつまでも断り続けるというのも角が立つ。それにバルドの提案は名案だった。ワロウはおとなしくペンドールの申し入れを受けることにしたのであった。




