一〇話 ギルドの勧誘
結婚式から数日後、ワロウはギルドへと向かっていた。
家の大家に早くにおい草をどうにかしてくれと言われたため、式の翌日からずっと調合の作業を行っていたのである。
におい草はその独特な匂いから嫌う人も多いのだ。そして、今日やっとすべてのにおい草を使い切り、薬を大量に作ったため意気揚々とギルドに売りに行ったのであった。
ギルドに入ると、そこにはいつもの受付嬢のサーシャが暇そうに書類をパラパラとめくっていた。この時間帯はあまりやることがないのだろう。
「よっこらせっと...よお、サーシャ。これ、換金してくれ」
「わっ! すごい量ですね。ちょっとお時間いただいてもいいですか?」
「構わねえよ。そこらで時間潰してくるわ」
そう言ってワロウが外に出ようとすると、サーシャが慌てて引き留めた。
「あっ! ちょっと待ってください! ギルドマスターが話したいことがあるって言ってました!」
「あん?ボルドーがか?」
ワロウの頭の中には、森への偵察の件が思い浮かんでいた。何か進展があったのだろうか。ワロウが考えている間に、サーシャがギルド長室いたボルドーを呼んだ。
少しするとギルド長室からボルドーが扉を開けて出てきた。首をほぐすように回しているところを見るにまた書類仕事に追われていたようだ。
「ワロウ、待ってたぞ。なんでさっさとギルドに顔を出さないんだ」
「いや、におい草をさっさとどうにかしてくれって言われて薬にしてたからよ...ていうかそもそもギルドに来ようが来まいが人の勝手だろうが」
「いいから早く中に入れ。ここじゃ話せん。サーシャ、後で飲み物を持ってきてくれ」
「わかりました! お持ちしますね」
ボルドーに続いてギルド長室に入るとそこには相変わらず書類が満載の机があった。相変わらず忙しそうな様子だ。ボルドーにそのまま席に着くよう促され椅子に座ると、彼もその対面に座った。
「相変わらずすげえ書類の量だな....で、用件は?偵察の件か?」
「ああ、偵察の件もある」
「なんか含みのある言い方だな。他になんかあんのか?」
「まあ、とりあえず偵察の件から話そう。いいか、森への偵察だが...」
結局、あの後ギルド内で色々検討してみたが今いる冒険者達では森への偵察は危険だということになったようだ。そこでボルドーが自分で偵察に行くと宣言したところ、ボルドー以外の全員一致で反対されたらしい。
が、そこは元Bランク。制止する職員たちを半ば強引に突破して偵察へと出かけてしまったらしい。ワロウは強引に出ていかれてしまったギルド職員たち(特に副ギルドマスターのジーク)の心労を察して何とも言えない気持ちになった。
そうこうして偵察に行ったボルドーではあったが、さすがに夜の森は危険すぎるので、昼の森に偵察しに行ったとのことだった。
森狼は夜行性なのでその姿は見つけられなかったが、その時見つけた足跡の痕跡等を鑑みるに、間違いなく森狼の縄張りが変わっていることがわかったそうだ。
「まあ、そうだろうな。見間違いじゃないはずだ」
「すみません、失礼します。」
話の途中でサーシャが入ってきた。お茶を持ってきてくれたようだ。
「おう、ありがとよ。そこに置いてくれ」
「わかりました。...はい、では失礼します」
「待てサーシャ、お前もついでに聞いておけ」
「え、いいんですか?」
「ああ、どうせ後で伝えるつもりだったからな」
ボルドーに勧められた席にサーシャが着くと、ボルドーはサーシャの持ってきたお茶に一口を飲みのどを潤わせると、話の続きを始めた。
「さて、問題はここからだ。その後に元々森狼の縄張りだったところへ行ったんだが....」
森狼の元の縄張りということは、そこに森狼が縄張りを変更せざるを得なかった原因がいる可能性が高い。
ボルドーはその原因を特定すべくその場所へと踏み込んだのであった。ワロウも思わず固唾を飲んでその話を聞いていた。相手によっては大騒動になるからである。
「“八目大蜘蛛”がいた。」
「八目大蜘蛛、か。まあマシな方だったな」
八目大蜘蛛は森狼と同じくDランクの魔物だ。強さ的には、森狼がDランクの冒険者1人で倒せるレベルで、大蜘蛛はDランクの冒険者3人で倒せるレベルである。
こう聞くと強さが全く異なるように聞こえるが、森狼が3~4匹群れで行動するのに対して、大蜘蛛は基本的に1匹である。そう考えると両者の強さに大きな差はない。
「え?八目大蜘蛛って森狼と同じランクじゃなかったでしたっけ?なんで、森狼が一方的に逃げるんですか?」
サーシャもその点に気づいたようで、不思議そうな顔をしている。確かに同じ強さならば一方的に森狼がやられてしまうということは考えにくい。なぜ、森狼は大蜘蛛を避けるのだろうか。
「いいところに気づいたな。ワロウ、説明してやってくれ」
「だからなんでオレが説明しなきゃいけねえんだよ...まあ、大蜘蛛と森狼は相性が悪いってのは聞いたことがあるぜ」
「相性?どういうことですか?」
「大蜘蛛は硬いからな。普通の魔物じゃ歯が立たねえんだろう」
「へえ...そうなんですか」
「詳しいことはオレも知らん。解説頼むぜボルドー先生」
ワロウがボルドーに話を振ると、ボルドーは話を聞いていなかったのか目を瞬かせた。
「ん?なんだ?」
「おいおい、しっかりしてくれよ。さっきの話の続きだよ。なんで森狼が逃げるのか」
「ああ、その話か...簡単だ。大蜘蛛が他の魔物の獲物を横取りする習性があるからだよ。まあ、大蜘蛛の観察なんてするやつはめったにいないからあまり知られてはないがな」
「...そりゃあ、森狼にしたらたまったもんじゃねえな」
「大蜘蛛は結構たちが悪い。普段はじっと木の上で隠れていて、他の魔物が獲物を追いかける音を聞くとそっちへ移動して横取りを狙うんだ」
「せっかく獲物を捕まえても邪魔されちゃうってことですね」
大蜘蛛にはほかの魔物の獲物を狙う習性がある。このことについてはワロウも完全に初耳だった。一般的な冒険者が知っているようなことではないと思うし、逆になぜボルドーがそんなことを知っているのかも若干気になったが。
サーシャも森狼が縄張りを変えた理由に納得したようでふんふん頷いている。
「よし、講義はこれくらいでいいだろう」
ボルドーはそういうと、サーシャに掲示板に張る公表用の文書を準備するよう頼んだ。
大蜘蛛の出現を所属する冒険者に知らせるためのものである。サーシャは、一つ頷くと部屋を出て行った。ボルドーはサーシャを目で追いかけ、完全に彼女が出ていったことを確認すると話を切り出した。
「さて、本題に入るか」
「今のが本題じゃねえのかよ」
「大蜘蛛なんざ大したことない。どこかのパーティに討伐させるだけだ」
「まあ、そりゃそうだが」
ボルドーは机の上にある大量の書類の中から一枚の紙を取り出すと、それをワロウの目の前に置いた。紙には何事か書かれている。早速ワロウはそれを読んだが、それは完全に予想外のものであった。
「なんだこりゃ。ギルド...指導職...募集?」
「ワロウ、お前ギルドの職員をやってみないか」
「ギルド職員?オレがか?」
「そうだ。読み書きはできるし、経験だって十分だ。まさに天職じゃないか?」
「..........」
ワロウは思わず黙り込んでしまった。自分がギルド職員に誘われるとは思ってもみなかったためである。
客観的にみると、読み書きも経験もあるワロウが冒険者を辞めるとなると勧誘されることは十分に考えられることであった。しかし、自らを低く見る癖のあったワロウはその可能性を全く考えていなかったのだ。
少し考えた結果、ワロウの口から出たのは”保留”という答えだった。
「少し、時間が欲しい」
「...わかった。なるべく早く決めてくれると助かる。いい返事を期待している」
そういうとボルドーは書類仕事があると言って早速仕事を始めてしまった。そのままそこにいても仕方がないのでワロウはボルドーに一言別れを告げてギルド長室を出たのであった。




