宮廷薬師の娘
「え……薬を作る部屋が欲しい?」
その日、天気が良かったので庭にテーブルを出してアフターヌーンティを楽しんでいたリリディアとジルベール。
他愛のない話をしているうちに、風邪薬の話になり、実家にいる頃密かに薬学の勉強をしていたことをジルベールに打ち明けた。
久々に薬を作りたくなったので、リリディアは薬を作る部屋が欲しいとジルベールにお願いをしてみた。
「はい。汚れる作業もありますので。屋敷の離れに空いた物置小屋がありますよね?あそこを使わせては頂けませんか?」
「あ、あんなボロ小屋を使わせるわけにはいかない!」
「……え?でも私が住んでいた部屋よりは立派ですよ?床もありますし、ちゃんと暖炉まであるじゃないですか」
「……!?」
一体全体、どれだけ彼女は虐げられてきたのだ!?
想像しただけでも血が逆流するような怒りがこみ上げる。
出来る事なら今すぐ、リリディアの実家をこの世から無かったことにしてやりたい。
辛い家族との思い出もリリディアの頭の中から綺麗さっぱり消してしまって、彼女の人生を一からやり直しさせてあげたい。
「ジルベール様?」
「あ……すまない。ちょっと考え事をしてて」
「ごめんなさい……いくら何でも図々しかったですよね。部屋が欲しいだなんて」
「な、何を言っている。あの小屋ならいくら使ってもかまわない。ただ、ちょっと環境を整えてからにしよう。薬の材料もそろえなければならないだろう?」
「は、はい!ありがとうございます」
リリディアは目を輝かせ、思わず神に祈るかのように両手を組んだ。
それから小屋はジルベールの命により瞬く間に改装され、丸太小屋だったのが六角型のとんがり屋根が可愛らしい、レンガ造りの建物が出来上がった。
ちょうど一家族が暮らせそうな広さだ。
ビーカーやフラスコ、試験管、必須アイテムであるすり鉢も全部真新しいものだ。
「い、いいんですか?こんな立派な作業場」
「もちろんだ。自由に使ってくれ」
「あ、ありがとうございます!!」
その日からリリディアは夢中になって薬を作り始めた。
一番得意なのは傷薬。
これは塗っただけで傷を治す効果がある。
重労働を強いられることもあった彼女にとって怪我はつきもの。
毎日のようにストックを作っていた。
その次に得意なのは風邪薬。
栄養不足だったのもあり、常に常備していた。
そして失った体力を回復させる回復薬。
これも一日一回は飲むようにしていたので、毎日のように作り続けていた。
夢中になって作っていたら、沢山の薬が出来上がっていた。
一日で40ダースの薬を作り上げたリリディアに、目を丸くしたのはジルベールと執事のクロードだ。
「何と……この透明度は宮廷の薬師クラスの実力ですよ?」
瓶に入った回復薬を天井に透かしながら、思わず唸るクロード。
ジルベールは思わずリリディアに尋ねる。
「君に薬学を教えたのは誰なんだ?」
「私の母です。元々宮廷薬師で、名はオルガ=レイスターと言います」
するとクロードが驚いたように目を見張った。
そしてまじまじとリリディアの顔を見る。
「そういえば……似ている」
「クロード?」
リリディアは首を傾げる。
ジルベールも訝しげに自分の執事を見る。
クロードは咳払いをしてから、淡々とした口調で話し始めた。
「私が宮廷に仕えていた時、凄腕の薬師がいると評判でした。その薬師の名前も同じオルガといいました。とても美しい女性で、何人もの貴族が彼女に求婚したと聞いています。現国王も彼女に夢中だった人物の一人でしたが、当時は現正妃さまとの婚約が決まっていたので諦めたそうです」
その時、クロードの頬にわずかながら朱が差した。
もしかしたら彼も母のことを思っていた一人だったのだろうか……リリディアは内心思う。
その証拠に、彼はとても切なそうに瞼を伏せた。
「オルガ様は後に、ご実家を継ぐために宮廷薬師を辞しました……私としたことが失念していました。レイスターといえば、あの方のご実家の名字でしたね。それにあなたはあの方にあまりにも似ている」
「……」
「あなたの師がオルガ様であれば、この品質は納得です。あの方は品質に妥協を許しませんでしたからね」
「……」
母が宮廷薬師だったことは知っていたが、まさか凄腕と呼ばれる程とは思っていなかった。けれどもいつも優しかった母だが、薬学を教えるときだけはとても厳しかった。
今にして思うと。
母は随分と前から、自分が亡くなることが分かっていたのではないかと思う。
母が亡くなる数年前には祖父母が立て続けに亡くなっている。
その上、自分が亡くなってしまった時、レイスター家がどうなるか予感もしていたのかもしれない。
だから知っている限りの知識を自分に教えたのではないか。
そう思えて仕方が無かった。
リリディアが作った薬はジルベールが経営する私設騎士団が買い取ることになった。なかなか出回ることのない品質の良い薬をストックすることができ、救護班は大いに喜んだ。
そして隣国からの襲来、騎士団達は戦を余儀なくされたが。リリディアの薬が功を奏し、犠牲の数も激減したという。
そして――――
「え……これを俺に?」
「はい。額にあるイボはこれを塗ればなおると思います」
あらゆる出来物に効能がある万能薬を差し出したリリディア。
緑の小さな硝子容器に入ったそれを一掬いして、彼女は丁寧に額に塗る。
「リリディア、こんなことをして気持ち悪くはないのか?」
「この程度のイボは大したことないですよ。感染するイボじゃないみたいですし。時々母の元に訪れていた患者さんの中にはこれより大きなイボが背中に出来ていた人がいましたから」
よく身体の不調を訴える人々が、宮廷薬師であった母に助けを求めてくることがあった。
母は助けを求めてきた人々の為に、身体の不調に見合った薬を調合していた。
リリディアも薬学の勉強がてら母の仕事を手伝っていたので、患者のことはよく覚えていた。
「……そうか、悩んでいるのは俺だけじゃないんだな」
「この薬を塗れば三日もあれば綺麗になると思いますよ」
三日後。
額のイボはリリディアの言うとおり綺麗になった。
鏡で自分の顔をまじまじと見てジルベールは嬉しそうに呟く。
「これでイボカエルとは言われなくなったな」
「……」
そんなことを言う人がいるのか?
ああ、でも姉のような人種の人間ならあり得るかもしれない。
人の悪口がなによりも馳走である、とても残念な人間たちだ。
出来れば体型もいまより痩せることが出来たら、健康にも良いし、誰にも馬鹿にされなくなる。
しかし、太っている原因が分からない。
ジルベールは食事は人並みだし、それ以上に運動もする。
常に身体を鍛えるために、三十キロの鉄亜鈴を持ち上げるし、近くの湖をおよそ10キロ泳いでいる。
そして延々と続けられる剣の素振り。
私設の騎士団と共に稽古をすることもあるが、巨大な大剣を振りかざし、素早く相手を薙ぎ払う。
剣をかわす動きもはやく、体格からは想像できない動きをする。
あれだけ動いて何故太ったままなのか?
肩から胸にがっしりとした筋肉質。
しかしお腹は出ている。
中年太りのそれに似ているが、ぷっくりとした膨らみ方はカエルのお腹を連想させる。
「クロード、ジル様はもしかして病なのでは?」
ある日、薬を作る作業をいったん止めて、テラスで休憩をとっていたリリディア。
お茶を入れてくれるクロードに、リリディアは思い切って尋ねた。
「何故、そう思われるのです?」
「ジル様のあの体型です。あれほど身体を鍛え、食事も規則正しいのに異様な太り方をしています。もしかしたら何か病を抱えているのでは、と思い」
「なるほど。さすが薬師だけのことはありますね。人体の仕組みも勉強済みでしたか。確かに、ジルベール様の太り方は普通ではありません。ですが、医師曰く、健康体そのものなのですよ」
「本当ですか?他の医者にも診せましたか?」
「はい。五人中四人は同じ答えでした。あと一人の神官であり医師でもある人物は別の答えを出しました」
「別の答えとは」
「呪いです」
「呪い!?」
リリディアは息をのむ。
呪いの魔術にかかって、オルガの元に駆け込んで来た客はたまにいた。
しかし、太る呪いをかけられた例はない。
多くは苦しむか、ずっと眠るか、気持ちが異様に暗くなるかのどれかだった。
「ジルベール様にかけられた呪いは何代も前から続くもの。この家に生まれた男子は必ずといって良いほどカエルに酷似した容姿で生まれるのです」
「何故?」
「その鍵は王族が握っているようです。教会の神官達は毎日のように呪いを解く為に、祈りを捧げているとか。その代償にジルベール様は辺境であるこの地を守っているのです」




