カエルと蛇
ジルベールはその後も、事あるごとにリリディアを空の散歩へ連れていくようになった。
ある時は夕日に染まった海を見に海岸へ、 あるときは残雪残る山脈が美しい湖畔でのんびり過ごしたり、ある時は海の青と建物の白のコントラストが美しい街並みを空から眺めたり。
ヴァルフォン領は街並みも、自然の景色もなにもかも色鮮やかで綺麗だった。
いや。
きっと一緒に見に行ってくれる人がいる。
心を許せる人がそばに居るだけで、世界は鮮明に見えるのかもしれない。
やがてリリディアは自分もドラゴンに乗ってみたくなった。
いつもジルベールに乗せてもらってばかりだと悪いというのもあったが、それ以上に自分自身の力でドラゴンに乗ってみたいと思ったのだ。
そのことをジルベールに相談すると、彼は快く頷いてくれた。
「リリディアが何かに興味を持って挑戦することはとてもいいことだ」
数日後、リリディアの元に一頭の雌のドラゴンが連れてこられた。
ギガドラゴンのギガより一回り小さいメガドラゴン。
名前は予想通りメガだった。
強面のギガと違い、優しい顔立ちのメガ。
しかもギガとはとても仲の良い夫婦だという。
ギガはメガの姿を認めると、嬉しそうに首をすり寄せる。
甘える夫にどことなくくすぐったそうなメガ。
夫婦としては、このドラゴンの方が先輩なんだな、とリリディアは思う。
自分もあんな感じの夫婦になれたらな。
ジル様と。
ちらっと横にいる自分の夫を見上げる。
「どうした?」
首を傾げるジルベールにリリディアは恥ずかしそうに俯く。
ジルベールがあんな風に自分に甘えてくる姿を想像してしまい、恥ずかしくなったのだ。そんな日がくるのだろうか。
リリディアはこほんと咳払いをし、気を取り直してから、メガの元に歩み寄る。
「よろしくね、メガ」
リリディアはドラゴンの鼻に軽く触れる。
メガは黒目がちな大きな目でじっと彼女を見つめていた。
何かを見極めるようにじっと。
リリディアはそんなドラゴンに、嬉しそうに笑いかける。
するとドラゴンはわずかに目を細め、リリディアに頬ずりをした。
「気に入られたようだな」
ジルベールがその様子を見て満足そうに頷く。
メガはギガよりも小柄なため、リリディアでも簡単に鞍に跨がることができた。
「リラックスをして。背筋を伸ばす。胸を張って……力まないように」
ジルベールの言うとおり、背筋を伸ばし、胸を張り、一度深呼吸をしてから心身ともに落ち着かせる。
鐙を履き、手綱をしっかり握る。
「背中を反らして、それを頼りに手綱を手前に引くと上昇する」
ジルベールの言葉にリリディアは頷き背中を反らし手綱を引いてみる。
不慣れな乗り手を気遣うように、メガはゆっくり翼を上下させる。
「脚で竜の腹を軽く蹴るんだ。蹴ると言うよりは押し当てる感じだな」
言うとおりにすると飛行したドラゴンが今度は前進する。
手綱をしっかり持ち、リリディアは振り落とされまいと脚とお腹に力が入る。
ゆっくりと前進するドラゴン。
最初は緊張していたリリディアであるが、飛んでいる内に力が抜けてきて、隣を飛んでいるジルベールに声をかける。
「もう少し速く飛ぶ時はどうすれば良いのですか?」
「ほんの軽く手綱を引く。脚で腹を蹴り合図を送る」
言うとおりにすると、メガは先ほどよりも速く飛ぶようになった。
さらに身体を傾けると方向転換することも分かった。
「ジル様、あのお花畑に降りてみたいです。降りるときはどうするのですか?」
「背中を反らして手綱を引くところは上昇する時と一緒だが、その後、体重を前に傾けて」
リリディアはジルベールの指示通り、身体を前に傾ける。
するとドラゴンは前方の花畑めざし、下降していった。
そしてまだ慣れぬリリディアを気遣うようにメガはゆっくり地上に降り立った。
あっという間に乗りこなせるようになったリリディアに、ジルベールは驚きが隠せない。
「驚いた。そんなに早く乗れるようになるとは。あのアロナですら2日はかかったのに」
「アロナもドラゴンに乗ることができるのですか?」
「ああ、彼女は我が軍の女性騎士でもあるからな。ドラゴンに乗ることができる女騎士はあれだけだ」
「……」
なんとなくリリディアは、アロナとジルベールの間に、主と使用人以上の“親しみ”のようなものを感じた。
ちくんっと胸が痛みかけたものの、ふと疑問に思いジルベールに尋ねる。
「女性騎士である彼女が何故、使用人として働いているのですか?」
「アレは訳があって子供の頃にウチで引き取った娘なんだ。俺とは兄妹のように育って、俺の影響をもろにうけて、アレも騎士を目指すようになってしまった」
「そうだったのですか」
幼い頃から兄妹のように暮らしていたのであれば、彼らから感じられる親しみにも納得できる。
リリディアは少しほっとする。
ジルベールはアロナが騎士であることをあまり快く思っていないようだ。もっとお淑やかな女性であって欲しいと思っていたのか。
リリディアからすれば、女性騎士は格好よくて憧れる職業なのだが。
ふと花畑の中に美味しそうな野いちごがなっているのに気づき、リリディアは目を輝かせる。
「野いちご、アロナのお土産にしよう」
そう呟いてから、イチゴを採り始める自分に、リリディアは、はっとする。
よく考えてみたら、自分だってアロナに主と使用人以上の親しみを覚えているではないか。
執事のクロードだって、どちらかというとジルベールの父親代わりのような印象だったし。
ああ、一瞬でも胸を痛めた自分が馬鹿みたいだ。
ヴァルフォン家は主も使用人も皆家族のような関係なのだ。
自分もその家族の一員として迎え入れられた……そう思うと嬉しい気持ちになる。
ジルベールは木陰にドラゴンたちを休ませ、自身は剣の素振りを始めた。
その動きは突き出たお腹が目立つ体型に似合わず、とても俊敏なものであった。
リリディアは野いちごをとるのをやめ、その姿を感心したように見つめていると。
不意に周辺が暗くなった。
空が陰ったのかと思い、天を仰いだリリディアは次の瞬間悲鳴を上げた。
背後に全長三メートルはあるであろう巨大な蛇がとぐろを巻いてリリディアを見下ろしていたのだ。
長い蛇の舌が伸び、リリディアの目の前をうごめく。
ああ、対魔物用の爆丸薬を作って持っておけばよかった!
宮廷薬師だった母から教わった丸薬の中には、爆破するものもあり魔物がいる森で薬草を採取する時はそれが必須だった。
結婚してから薬を作っておいていなかったことを後悔するリリディア。
もう駄目だと目を閉じたが。
……。
……。
……??
蛇はリリディアの横をすり抜け、ジルベールの方へ突進していた。
ああ、そうか!
蛇の主食は蛙だった。
極上な餌があると思ってジルベールの方へ向かっているのだ。
「ジル様、お逃げ下さい!!」
リリディアは叫んだが、ジルベールはすかさず掌を前に差し出し、
「火炎魔法!」
炎の呪文を唱えた。
その瞬間、大蛇の全身に炎が纏わり付いた。
ぎゃぁぁぁぁっと甲高い悲鳴を上げながらも、なおもジルベールにかぶりつこうとする大蛇。
ジルベールは軽くジャンプをし、背中に背負っていた長い剣を引き抜きそれを振り下ろした。
大蛇の身体は真っ二つに割れ、身体は炎に焼き尽くされる。
あっという間に巨大な魔物を倒してしまったジルベールに、呆気にとられるリリディア。
やはり戦に負けなしと言われたヴァルフォン家の一員であり、彼自身も栄誉ある戦歴をあげてきた戦士だけのことはある。
「大丈夫か?リリディア」
剣を収めながら尋ねるジルベールにリリディアはコクコクと頷く。
「わ、私は大丈夫です。蛇には素通りされていましたから」
「怪我がなくてよかった」
そう言って笑いかける蛙が、一瞬、深緑色の美しい髪の毛の青年に見えたのは気のせいか。
瞬きを繰り返し、もう一度ジルベールを見る。
そこにいるのは、やはり蛙姿の夫。
だけど、胸がドキドキする。
ああ、なんて素敵な方なのだろう?
蛇に立ち向かう姿も勇ましく、今心配そうに声をかけてくれる優しい表情も紳士的だった。
ああ、この人が私の夫なんだ。
ジルベール=ヴァルフォン
ニールデンの守護者と呼ばれる彼の元に嫁げたこと。
彼の元に嫁げた自分は、世界で一番幸せだ。