カエル辺境伯
案内された扉の向こう。
食卓の席に着いていたのは、リリディアよりも一回りも二回りも巨体の持ち主だった。
大きく膨れた腹、顔はまさにカエルそのもの。ぎょろっとしたトパーズ色の目。
緑色の皮膚は黒の斑点が混ざり。額にはイボがある。
リリディアは目を丸くした。
ああ、彼こそが自分の夫となるジルベール=ヴァルフォンなのか、とリリディアはその姿を認める。
「どうだ?驚いただろう?俺の姿を見て」
自嘲まじりに問いかける声は掠れている。
リリディアは素直に頷いた。
「は、はい。思いの外、お体が大きくてびっくりしました」
「……他は?」
「え!?ほ、他ですか。えーと、そうですねぇ……顔は確かにカエルですね。これはウシガエルの仲間かヒキガエルの仲間かカエルに詳しくないので、どっちに似ているか分からないのですが、とにかくカエルに似ているなとは思いました」
緊張のあまり早口で言うリリディア。
しかしサファイヤの目は、じーっと自分の夫となる男の顔を見つめて言った。
するとジルベールは思わず吹き出して、ばんばんとテーブルを叩いた。
「面白い娘だな。俺の顔は恐ろしくないのか?それに気持ち悪いとは思わないのか?」
「いえ別に。カエルは立派な食肉ですし」
「え――――」
「実家ではよく食していましたわ……はっ、け、決して、ヴァルフォン様が美味しそうとは思っていませんからっっ!!」
焦ったように掌と首をぶんぶん横に振るリリディアに、それまで表情が固かったジルベール=ヴァルフォンの表情は一気に緩み、おかしそうに声をあげて笑った。
「わははははは、これは面白い娘が来たものだ。俺の顔を恐れぬか……まぁ、座るといい。その様子であれば俺と共に食事をすることには、抵抗はなさそうだな」
「もちろんでございます。決してヴァルフォン様を食材とは思いませんので」
「わははははは。これからはヴァルフォン様ではなく、ファーストネームで呼ぶように。ファーストネームはジルベール。ジルと呼んでくれたらいい」
「わかりました、ジル様」
「様も不要だがな」
「それはいくら何でもまだ早いのでは……」
かぁぁぁっと顔を赤らめる少女に。
ジルベールは驚いたように目を見張った。
彼もまた頬を紅くして、照れくさそうに頭をポリポリ掻いて言った。
「そ、そうだな。まだ気が早いか……ではジル様でいこうか」
二人のそんな初々しいやりとりに、執事のクロードと侍女のアロナは顔を見合わせ、嬉しそうに笑うのだった。
ああ……まだ夢を見ているのかな。
温かいスープなんて何年ぶりだろう。柔らかいパンを食べたのも本当に久しぶり。柔らかくて甘くて、あまりの美味しさに、いっぱいおかわりしてしまった。そんな姿を嬉しそうに見ているジル様に私も嬉しい気持ちになる。
ジル様のどこが醜いのか私には分からない。
確かに太っているかもしれないけれど、そこまで醜いとは思わない。
大きな目はインペリアルトパーズを思わせる黄褐色。
頭の上にちょこんと乗ったようにはえている髪の毛は艶やかな深緑色だった。
(ちょっと額にイボのようなものがあるのが醜いのかしら?あれなら私が作る薬でなんとかなると思うのだけど)
お腹周りが大きいのは少し気になる。
あのままだと健康に悪い。食事制限するなどで減量しなきゃいけないのだけど……夕食はそんなに沢山食べているようには見えなかった。食生活が原因じゃないとしたら、他に理由があるのか。
運動不足だけでは、あんなぷくっと膨れ上がったお腹にはならないような気がする。
何か悪い病気じゃないと良いのだけど。
少し心配な気持ちになりながらも、ベッドに入ったとたんに、長旅の疲れがどっときてしまい、リリディアはすぐに寝息をたてることになる。
そんな彼女の様子を、扉をそっとあけて見つめているジルベールの姿があった。
「おやすみ、リリディア」
規則正しい寝息を立てているのを見届けてから、ジルベールは執務室に戻った。
そこには執事のクロードと、リリディアの侍女となるアロナが控えていた。
「どう思う?リリディアは」
その問いかけにクロードは表情をほころばせる。
「良き方が来られたと思います。最近の子息令嬢は、礼儀やマナーがなっていない者も多くおりますが、リリディア様はきちんと淑女としての教育も受けているようですね。挨拶やテーブルマナーまで、仕草や立ち振る舞い全てにおいて完璧です」
クロードの言葉に同意するようにアロナも頷く。
「とても優しい方ですわ……私が信仰するアロナ神のことも褒めてくださった。ニールデンではアロナ神を誤解している者も多いのに」
あの時の感激が再びよみがえりアロナは頬を紅潮させる。
彼女はとてもリリディアのことが気に入ったみたいだ。
しかし程なくしてアロナの表情は暗くなる。
「だけど、リリディア様は実家で辛い思いをしていたようです。身体を洗うのは泥水。シャンプーも使わせてもらえなかったようで、髪もボロボロでした」
クロードも痛ましい表情を浮かべ頷く。
「そういえば、着てきた洋服もどう見ても誰かのお下がりでしたね。ですから私も最初、身代わりが来たのかと思いましたよ。娘を出し惜しんだ伯爵が使用人を身代わりにしたんじゃないかと」
「……」
ジルベールもそれは考えていたが、先ほどクロードも言っていたが淑女としての心得は完璧だった。
あの立ち振る舞いは、急にたたき込んだところで身につくものではない。
それに確かに痩せこけてはいるが、どことなく気品のようなものも彼女からは感じられた。
今回、レイスター家から借金の申し出があった時、応対したクロードは条件を出した。
借金の肩代わりと引き換えに娘を寄越すように。
その頃、ジルベールは王都での事務作業で執務室に缶詰状態。
そのことは与り知らぬところであった。
分かっていれば、こんな人身売買みたいな真似はさせなかったのだが、自分が王都に滞在している間に、話が進められてしまったので後の祭りだった。
戦で家に戻ることがなかった父親に代わって、我が子のように自分を育てたクロード。
彼が自分の将来を心配して伴侶を用意してくれた気持ちは有り難いが。
正直、自分としては気が進まなかった。
借金と引き換えに嫁をとるなど、あまりにも卑怯だし、それ以上に嫌々ここに来た娘が自分の顔を見たら、どんな顔をするかと思うと気が滅入る。
自分の父親もカエルの顔そのものだった。
母親である女性は当然ながら、最初は怖がったという。
しかし徐々にカエルの顔にも慣れ、父の人柄を知る内に母は心を許すようになったらしい。
二人はとても仲睦まじかったという。
その母親はジルベールを生んですぐに亡くなっている。
そんな父と母を見ているせいか、クロードはカエル顔である自分も絶対に幸せになれる筈だと思っている。
しかし、父の場合は奇跡が起きたにすぎない。
他の代ではカエル顔の夫を嫌い、実家に逃げ帰ったり、他の男と出て行った妻もいたとか。またカエル顔の己を卑屈に思い、妻を閉じ込めた当主もいたという。
この醜い顔は悲劇を生んでしまう可能性が高いのだ。
娘があまりにも拒絶するようだったら帰ってもらおうと思っていた。
しかし実際に来た娘は思いの外自分に好意的で、むしろ今の現状を喜んでいるようだった。
アロナから実家の事情を聞いた時、リリディアの態度には合点がいった。
一生独身でもかまわないと思っていた。
呪いを引き受けてでもヴァルフォン家を継ぎたがる人間はいる。自分の祖父がそうだった。ヴァルフォン家には強力な私兵、そして莫大な財産があるからだ。
しかし、今日リリディアと出会い。
彼女のことを知って、ジルベールは思った。
リリディアを実家に返すわけにはいかない。
自分が彼女を守らなければいけない、と。