温かいお風呂
……。
……。
……ああ、ここは天国なのかもしれない。
ゆったりとした椅子にもたれ髪の毛を丁寧に洗ってもらう、貴族の間で大流行しているヘッドスパ。
姉がよく使用人のイルザにしてもらっているのを見たことがある。
だけど、自分がそれをしてもらうことになるなんて、まるで夢のようだ。
「お湯、熱くないですか?」
「気持ちがいいです。お湯で髪の毛を洗うなんて、とても久しぶりで」
「まぁ、ご実家では水で髪の毛を洗うのですか?」
「い、いえ。水で洗っていたのは私だけですけど」
「……」
一瞬。
アロナの動きがぴたりと止まった。
彼女はやや震えた声で問いかける。
「そ、そうなのですね。髪の毛は何で洗っているのですか?」
「主に石けんですが」
「石けんでは髪の毛がうまくまとまらないでしょう?ちゃんとシャンプーを使わないと」
「シャンプーは私には勿体ない、と言われていましたから」
「……」
再びアロナの動きが止まった。
先ほどよりも低く震えた声で彼女は問いかける。
「ま、まぁ。そのような【節約】を心がける素晴らしいお方はどなたですか?」
「私の母です。とはいっても、血はつながっていないので継母になるのですが」
「それはそれは。絵に描いたような(どクズな)継母様なのですね。ああ……ほんとぉぉうに、どんなお方なのかしらぁぁ。顔を見た瞬間、絞め殺したくなる衝動にかられそうですわぁぁ」
「…………」
最後の方、もの凄く物騒なことを言ったような気がするが、気のせいだろうか?
頭のマッサージの気持ちよさで意識がどこかにいってたので、はっきりとは聞こえなかったけれども。
「さぁさぁ。ここではたーっぷりシャンプーも使えますし、トリートメントもバッチリですからねぇ。痛んだ髪の毛を癒やしましょうねぇ」
アロナは丁寧にリリディアの髪の毛を洗い流した。
そして精油が入ったトリートメントをふんだんに髪の毛に塗りたくる。
「このまましばらく寝かせておきましょう」
トリートメントと髪がなじんだのを確認してから、頭をラーナの葉でくるむ。
「この葉はサモノア地方に伝わる美容の葉で、肌に貼るとそれはそれは瑞々しくなるのです。髪の毛にも同じ効果が得られ、トリートメントと合わせて使えば、どんな痛んだ毛も美髪に生まれ変わることができます」
夢うつつの中、リリディアはアロナの説明を聞いていた。
旅の疲れが今になってどっときたのだろう。
リラックス効果をもたらすラベンターの香りも手伝い、うとうとと眠ってしまうのだった。
目が覚めた時、髪の毛は綺麗に洗い流され、ふかふかのタオルが頭に巻かれていた。
アロナに促され、浴槽へ案内される。
青と水色、白のタイルが輝く浴槽には、透明な湯がはられていた。
「すごい……泥水じゃない」
思わず呟くリリディアにアロナの笑顔は引きつる。
眉間に皺が寄りそうになる自分をかろうじて抑えているので、やや不自然な笑みになっていた。
彼女は今、主となる女性の実家に対して言いようのない憤りを感じていた。
しかし、それは極力表に出さず、恭しくリリディアを浴槽に導く。
「ああ…………とても、とても気持ちがいいです」
まるで生まれて初めて、湯に浸かったような反応に、アロナは泣きたくなる。
そしてますます、彼女の実家の人間達に殺意を覚えるのだった。
(このことは絶対に報告しなければ……娘を娘と見なさないような、そんな家、滅んでしまうがいい)
湯浴みを終えると、髪の毛を丁寧に乾かして貰う。アロナは魔術で温かい風を起こし、全体的に髪の毛を乾かしてから、オイルがしみこんだブラシで丁寧に髪の毛を梳き始める。
「ごらんください。こんなに美しいプラチナブロンドの御髪、見たことがありません」
「……私じゃないみたい」
美しく整えられた髪はまっすぐに伸び、まるでシルクのようなさわり心地だ。
髪を綺麗にしただけで、こんなにも印象が違うのか。
これで顔が貧相じゃなければ、それなりの令嬢に見えるだろうに。
痩けた頬を両手で触り、悲しそうな表情を浮かべるリリディアに、アロナは元気付けるように言った。
「リリディア様、これから美味しい物をたくさん食べれば、もっとふっくらしたお顔立ちになると思いますよ?……あ、あんまりふっくらしても良くないですけど。とにかくこれから美味しいものを食べましょう!!」
アロナは髪の毛をハーフアップにまとめ、ダイヤの花をあしらった銀のコームを付ける。
今日はシックな深緑のドレスがいいか、それとも明るい山吹色のドレスがいいだろうか。
嬉しそうにドレスを選んでくれるアロナに、リリディアもまた嬉しい気持ちになる。
実家の使用人とはそういったやりとりもしたことがなかったし、させてくれなかった。
自分を気にかけてくれる使用人もいたにはいたが、姉の怒りを買いすぐに辞めさせられてしまったのだ。
山吹色のドレスを着せて貰うことになったが、平均的な体型であれば、誰でも着られるように作られているが、あまりにも自分が貧相なので、腰回りはややぶかぶかな状態。
それでもぱっと見た目、そんなにおかしいことはない。
まるで木の枝のような細すぎる二の腕が恥ずかしいくらいか。
アロナに案内され、食堂へ向かうリリディア。
「きっとがっかりされるでしょうね……こんな貧相な娘が来て」
「いえいえいえいえ、むしろそれは、こっちの台詞……容姿については、リリディア様は全く気にしなくても良いかと。むしろ旦那様の方が自分の容姿を大いに気にしているくらいで」
「そうなのですか?確かに噂ではお聞きしていますが、戦に負けなしの豪傑と謳われているではございませんか。容姿など気にならぬほどの誉れだと思いますが」
「……私もそう思います。ですが多くの方はそのように思ってはくださらないようで」
何とも言えない表情を浮かべながら、アロナはリリディアを食卓の間に導く。
しばらく歩いて居ると、ドラゴンの木彫りが立派な扉の前でがアロナが立ち止まる。
この先が食堂なのだろう。
重厚な扉をアロナは両手で空ける。
「リリディア様、お連れしました」