ヴァルフォン家に到着
リリディアが辺境伯の元へ嫁いだのはそれから三日後のこと。
さすがにいつも着ている平服で嫁がせるわけにはいかないので、ヒルディアのお古のドレスを着せて貰った。
「このドレスですら、リリディア様には勿体ないですわね」
使用人のイルザがブツブツと言いながらリリディアに服を着せていた。
彼女はヒルディア専属の使用人。
故に、ヒルディアの言葉を代弁しているかのように言うのだ。
最小限の荷物を持たされ、家の中で最も乗り心地の悪い老馬の馬車に乗せられた。
ゴトゴト揺れる馬車の中、だんだん遠くなる屋敷を見て、リリディアはほっとする。
やっとあの家から離れることができた。
自分を蔑む家族や使用人から解放されたのだ。
辺境伯の元へは一週間ほどかかった。
老馬の上、馭者もまた老人。
時々リリディアが代わって手綱を引くこともあった。
その時老人は申し訳なさそうに「すいませんなぁ」と消え入りそうな声で言った。
宿に泊まるお金は持たされなかったので、馬車の中で寝たり、空き家になっている山小屋で寝るなどして夜露をしのいだ。
それでも道中は気楽だったし、馭者の老人ともだんだん仲良くなって楽しい旅路だった。
「お嬢様と旅が出来たこと、このマーロとても誇らしく思います」
辺境伯の元にたどり着いた時、馭者は初めて名を名乗った。
名残惜しくはあったけど、マーロとはこれでお別れ。
リリディアは高くそびえ立つその建物に思わず呆然とする。
レイスターの屋敷より一回り大きいくらいの大きさを想像していたのだ。
しかし目の前に建っているのは屋敷ではなく、どう見ても城だ。
小高い丘の上に牢固たる要塞がそびえ立っているのだ。
城門の前には屈強な兵士、見張り塔にも一人兵士が見える。
きっと見えない場所でも兵士が城を守っているのだろう。
考えてもみれば、国境を守護する人物。
いつ攻められてもいいように住居を構えるのは当たり前のことだ。
リリディアは城門の前に立つ兵士に伝える。
自分がここに嫁ぐ為に、レイスター家から来たことを。
「あなたが……レイスター伯爵のご令嬢?」
執事が訝るのも無理はない。
今の自分はドレスこそはそれなりだが、痩せこけているし、髪の毛も一つにくくっているけれども、ぼさついた状態。
しかも侍女も従者も連れていない。
傍から見たら、完全に使用人を替え玉にしたとしか思えない。
リリディアは内心ため息をつきたくなったが、それは表には出さずに淑女の礼をとる。
「はい、ドーマー=レイスター伯爵の長女、リリディア=レイスターと申します。何分、世間知らずでございます。至らぬ事も多いかとは思いますが、どうぞよろしくおねがいします」
「……」
銀縁眼鏡の下、鋭いダークブラウンの目が上から下まで、自分を観察している。
執事の年は壮年ぐらいだろうか。ライトグレーの髪はきっちりセットされており、実家の執事よりもはるかに小綺麗だった。
やがて彼は納得したように一つ頷くと、にこやかに笑って恭しく頭を下げた。
「お待ちしておりました。リリディア様。私はヴァルフォン家執事のクロードと申します。さっそくお部屋へご案内します」
ヴァルフォン城のロビーは、実家のレイスターの屋敷のそれより数倍の広さはあった。
そして自分に与えられた部屋も広々としていて、一人でどう使って良いのか分からない程だ。
持ってきた服をしまうために、クロゼットを開けると、そこにはずらりと豪奢なドレスがかけられていた。
「……ど、どうしましょう」
こんな綺麗なドレスの中に、自分の平服を一緒にかけておくのはなんだか気が引ける……そもそも、このドレスは誰のものなのか??
その時ドアをノックする音が響いた。
どうぞ、と促すと一人の少女が部屋に入ってきた。
年齢は十七、八くらいか。
リリディアとそんなに変わらない年頃の少女だ。
藤色の髪の毛をボブカットに切りそろえ、小麦色の肌はとても艶やか。水色の大きな目は興味津々といった様子で自分のことを見ていた。
「今日からリリディア様のお世話をさせて頂くことになった、アロナと申します」
もしかして自分の侍女、になるのか。
こんな綺麗な少女が自分のお世話をしてくれるなんて……内心ドキドキしながらも、リリディアは恐る恐る訪ねる。
「アロナ……?もしかして出身は南の、サモノア地方ですか?」
「よ、よくご存知で。そうです。私はサモノア出身なのです」
嬉しそうにアロナは何度も頷く。
「そうでしたか。アロナといえば、サモノア地方では美の女神の名前。あなたにとても相応しい名前ですね」
リリディアがふわりと笑うと、アロナは驚いたように目を見張ってから、わずかに目を潤ませた。
そしてにこやかに笑ってから、今度は勢いよく頭を下げた。
「あ、ありがとうございます!私、奥様の為ならば何でもしますので、お困りなことがあったらバンバン言ってください!!」
「う……うん、ありがとう」
なんだかよく分からないが、どうも自分はアロナに気に入られたみたいだ。
リリディアは、少し戸惑いながらも頷いた。
早速、困ったことが一つあったので、アロナに尋ねる。
「アロナ、そういえば実家から持ってきた服をしまおうと思うのですが、とても立派なドレスが中に入っていて、一緒にするのはどうも気が引けるのです。このドレスはどなたのものですか?出来れば持ち主の方にお返ししたいのですが」
「奥様、そのドレスは全部奥様のものですよ。平服としてお使いください。正式なドレスはきちんと採寸してお作りしますから」
「へ……平服!?こ、このドレスが?」
どこからどうみても、社交界に着て出てもおかしくないようなドレスばかり。
これを平服として使えとは……やはり国王に次ぐ権力をもつ人物はレベルが違う。
「まずは長旅の疲れを癒やすためにも、湯浴みをしましょう!」
腕まくりをして鼻息荒く言う侍女にリリディアはやや引き気味になりながらも、釣り込まれるように頷いた。