女神の断罪
「アロナ神から伝言があります。ブランエ枢機卿……いえ、バン=ヘルガンとお呼びした方が良いでしょうか」
リリディアの言葉にブランエ、もといバン=ヘルガンは訝る。
アロナ神からの伝言?
一体何を言っているのだ?
この小娘は。
するとアロナの口から、心に直接、しっとりと響く声が漏れた。
それは本来のアロナの声ではなかった。
【私の名はアロナ】
「あ、アロナ……だと?」
【お前も神父の端くれならば私の声が人のものでないことくらい理解できるでしょう?】
「そ……その声は……頭にガンガン響く……この声は……」
頭が痛むのか両手で頭を抱え出すバン=ヘルガン
そんな枢機卿の姿を、アロナはくすくすと笑って見下ろす。
【お前は言っていたわね。神は気まぐれ故に、矮小な自分たちのことなど気にかけたりはしないと】
「そ……それは……」
違うと首を振りたかったが、首を振ることが出来ない。
身体が石のように固まってしまい言うことをきかない。
【お前の言うとおり確かに私たちは気まぐれかもしれないわね……気まぐれ故に、矮小なお前達のこともちょっとかまって見たくなったのよ】
「あ……あ……」
【お前は私を奉る者たちのことを邪教徒扱いしていたようね。あなたにとって美を愛でる私は邪な神のようね】
「い……いや……お許しを」
【あら?私に許されなければならないことをしたのかしら?あなたは正義の名のもとに悪魔を滅ぼしただけでしょう?】
ブランエは腰を抜かし、ついにはその場で失禁をしてしまう。
参列者の女性が嫌悪に顔をゆがめる。
【あなたは美を愛でる私を邪だと言う。美を愛でることがそれほど邪なのであれば、あなたは汚いものが好きってことよね。だったら人間でいることなんかないわ。汚いものを好む生物にしてあげる】
アロナはそう告げると枢機卿を人差し指でさした。
次の瞬間。
ブランエと名乗っていたバン=ヘルガンの姿は烏に変わってしまった。
カァカァカァと消え入りそうな鳴き声で教会を飛ぶブランエに、教会騎士団たちは腰をぬかす。
慌ててアロナ神に手を合わせる者もいるが、その声もむなしく。
【うふふふ、あなたたちも汚いものを好むようね。私を信奉為ていた者を悉く蹂躙してるものね……蠅と烏だったらどっちがいいかしら?】
「お……おゆるしを」
「俺たちはバン団長に命令されて仕方なく」
「あれは嘘だったんです。邪教なんて嘘だったんです」
許しを請う騎士達をアロナは冷笑する。
そして掌を彼らに向けて言った。
【煮え切らない男達ね。じゃ、さっき烏だったから、あんたたちは蠅ね】
アロナ神がそう告げた瞬間。
その場にいた騎士達は蠅の姿に変わってしまった。
参列者たちが悲鳴を上げる。
数少ない、信仰深い貴族は粛々とアロナ神に祈りを捧げる。
その中の一人が呟く。
「神がお怒りだ……」
アロナという少女が言葉にした瞬間、ブランエは烏に変わり、他の騎士たちは蠅に姿を変えてしまった。
その恐ろしいまでの奇跡に、ニールデン国王は腰を抜かしていた。
その国王の前に立ちはだかったのはリリディアだった。
「国王陛下、ディアナ神からの伝言です」
その言葉に、国王は絶望に目の前が真っ暗になるのを感じた。
亡国の姫であるアロナージュには今、確実にアロナ神が降臨している。
先ほどの流れから、リリディアが「ディアナ神の伝言がある」と告げたということは――――
【ほほほ、お前がこの国の王かえ。これはまた、先祖と違いとんだ小物よのう】
リリディアの口から、先ほどの声とは違う別の声が国王の頭にまでガンガン響き渡る。
「まさか……ディアナ神……」
【ここ最近、王室は私への祈りを随分と怠っておったようじゃが、どうしてかのう?】
「そ、それは忙しくて」
【ふん、詰まらぬな。言い訳からして凡庸以下じゃ。つい最近まで美しい賛美歌がディアナの山まで届いておったのに。お前があの子を始末させたからじゃろ?しかも新しく据えた僧は、なんとも下品な男】
「い、今すぐ新しい僧侶に挿げ替えますが故お許しを」
【いらぬわ。お前の息がかかった僧侶など臭くてかなわぬ。お前はヴァルフォンの呪いを解きたくないが故に、あの子を始末させたのじゃろ?それほどまでに、呪いが気に入ったのであれば、今度はお前がその呪いを受けるが良い。ニールデンの家の者は未来永劫、カエルの顔じゃ】
ディアナ神がそう告げた瞬間。
国王の顔はみるみるカエルの顔に変わってしまった。
周囲にいた側近、正妃や側妃たちは恐れ戦き、彼から距離を置く。
国王は己の顔を両手で触り、すっかり肌の感触や輪郭が変わってしまっていることに気づき絶叫する。
一方ヒルディアは何度も首を横に振っていた。
信じられぬ光景に。
リリディアが罪人として教会騎士団に囲まれた時には、心の底から歓喜した。
やはりあの女は地の底が良く似合う。
冷たい牢屋の中でぼろ切れでも着て小さくなっているがいい、と喜んでいたのに。
何故かリリディアを捕らえようとしていた枢機卿は烏に姿を変え、他の騎士団たちも蠅になってしまったのだ。
しかも国王陛下までカエルの顔になってしまい、もう訳が分からなかった。
「ひ……ヒルディア」
自分を呼ぶ声がする。
よく知っているフランクスの声。
ヒルディアがほっとしながら声がする方へ顔を向けるが、彼女の顔は次の瞬間恐怖で引きつった。
「ヒルディア……お前まで何でそんな顔するんだ??さっきベリア嬢も逃げてしまったし、他の令嬢も」
あれほど美しかったフランクスの顔は、醜いイボガエルの顔になっていた。
ヒルディアは脱兎のごとく走り出す。
フランクスは慌ててその後を追う。
「待って、待ってくれ!ヒルディア、お前まで僕を見捨てないでくれよぉぉ」
「いや、いやよ!!来ないで、来ないでぇぇぇぇぇ!!」
カエルの顔になってしまった息子と、その婚約者になるはずだった令嬢が礼拝堂から出て行くのを呆然と見守る国王に、追い討ちをかけるような報告がもたらされる。
「火急の報告ですっっ……エルベルト軍が……第一皇子ヴィクトール=エルベルト率いる軍勢が王都に向かって侵攻中です」
「……っっ!?」
カエルとなった国王は震えた手をジルベールに向かって伸ばす。
そして声を限りに叫ぶ。
「助けてくれ!余を守ってくれ!何でも褒美はやる。国宝でも、国一番の美女でもなんでもくれてやる。だから助けてくれ!!」
しかしジルベールは国王に向かって一礼しただけで。
背を向けて、リリディアと共にその場を立ち去るのみ。
何の言葉すらもかけずに、自分の元を立ち去るジルベールに国王は地面に拳を叩きつける。
ああ、こんなことだったらもっと手厚い報償を与えておけばよかった。
恩という恩を売っておけばよかった!
ジルベールの戦いに報いることをしていればっっ!!
自分と辺境伯を繋いでいたのは本当に呪いのみだったことを、国王は思い知らされた。
ジルベール=ヴァルフォンの守りのみで平穏を保ってきたニールデン王国は、いとも簡単に王都を攻め込まれた。
ザクソン将軍は第一王子と共に懸命に守りに入ったものの、エルベルトの精兵を前に軍は壊滅。
第一王子はヴィクトールとの一騎打ちで討ち死にした。
女神の怒りにより彼もまたカエルの顔に変えられてしまったらしいが、それでもエルベルト軍を迎え撃つ姿は勇猛果敢だったという。
第一王子のみが王族らしく、誇り高く死んでいったと後に語られている。
そしてザクソンは、ジルベール=ヴァルフォンがいかに豪傑だったか思い知りながら、第一王子の亡骸の側で自決をした。
国王が身を隠しているであろう特別礼拝堂に、ヴィクトール皇子が乗り込んだ時、そこにはカエルの姿をした国王らしき男が、自らの首を切って死んでいたという。
新暦203年 ニールデン王国はエルベルトの侵攻により、たったの一夜で滅ぼされた。




