勅命、そして帰郷
遠征を終え、帰還して間もなくヴァルフォン家に国王陛下の使いがやってきた。
彼は国王の勅命を伝える役。
淡々とした声で告げる。
「ジルベール=ヴァルフォン、リリディア=ヴァルフォン、正式な夫婦となったあなた方を祝福し、陛下は二週間後に正式な式を挙げたいと仰せになっております。二週間後までに式の準備を整えられよ」
「二週間後……なぜ、そんな急に」
愕然とするクロードに伝令係は首を横に振る。
「それは私にも分かりかねます。私は伝令を伝える役を担っているにすぎないので」
伝令係はそう告げて頭を下げると、早々と身を翻し帰って行った。
「罠……だろうな」
ジルベールの呟きに、リリディアはびくっと肩をふるわせる。
理由は恐らくブランエ枢機卿だ。
リリディアとアロナはブランエに捕らえられ、襲われそうになった所を逃げているのだ。
しかも現枢機卿は、かつてアロナの国を滅ぼし、蹂躙した男でもあった。
その事実を知ってしまった以上リリディアとアロナは国王にとっても、邪魔な存在になる。
結婚式の場で、リリディアを無実の罪で捕らえるか。あるいは刺客によって殺させるか。 どちらにしても消しに掛かるに違いない。
「勅命に従うことなどないでしょう。あなたの呪いは解けていますし、向こうに義理立てする理由など一つもありませんよ」
クロードの言葉にアロナも頷く。
「そうよ、結婚式だったらここの教会であげましょ?春になればまたリリアの花が咲く。リリアが綺麗に見える教会があるの。そこで式をあげましょう」
二人の言葉に、ジルベールは黙って考える。
恐らく二週間後に指定したのは、遠征に出ていた教会騎士団がこちらに戻ってくるからであろう。
教会騎士団総出でリリディアだけではなく、ジルベールも捕らえるつもりなのかもしれない。
ジルベールの呪いが解けたことは、あの草原にいた者たちしか知らない。
ヴィクトールにも頼み、その場で箝口令を敷いてもらっている。
もし呪いが解けたと知られれば、国王はジルベールを縛るためにどんな汚い手を使うかしれない。
故に国王たちにはまだジルベールがカエルのままだと思わせていた。
その時、リリディアは思いもかけない言葉を放った。
「ジル様、国王陛下に従い、式を挙げましょう」
「え……!?」
「下界へ戻る際、ディアナ神が、美しいドレスを私に下さいました。ディアナ神は仰せになりました。そのドレスを着て、式を挙げて欲しい、と。……式は、ディアナ神の望みでもあるのです」
「しかし」
「ジル様、私は国王陛下にお伝えしなければならないことがあるのです。式を挙げるにしろ、そうじゃないにしろ、私は国王陛下の元へ赴かねばなりません」
リリディアの強い眼差し、そして口調に。
ジルベールは彼女の覚悟を問うように、その目をじっと見つめる。
敵の渦中に飛び込もうとしている彼女の覚悟が生半可なものであっては困る。
妻とは言え、睨むようにじっと見つめていた。
しかし、リリディアの目に迷いもないし、恐れもない。
何か強い使命を持って国王に会うつもりでいることが分かった。
「分かった……式を挙げることにしよう。しかし、戦闘態勢に入ることも踏まえ、綿密な計画を立てていかねばな」
二週間後――――
実家に戻るのは何ヶ月ぶりになるというのだろうか。
全く行きたくはなかったが、父親から何度も催促の手紙があったのだ。
ジルベールと共に挨拶に来るように、と。
まったく何様かと思う。
爵位の格でいえば、伯爵よりも辺境伯の方が上だ。
もう自分の娘の婿は自分のものだと勘違いしているのだろうか?それとも辺境伯は地方に飛ばされた役人と勘違いでもしているのだろうか?
挨拶をしたいのであれば、自分から来ればいいのに、と思う。
しかし手紙があまりにもしつこいので、仕方がないので結婚式の前日、ジルベールと共に挨拶に向かうことにした。
ドラゴンを実家の私有地である広場に着地させ、リリディアはジルベールと、それから本人がもの凄く希望するので護衛としてアロナも連れて来ていた。
屋敷を訪れた美男美女の姿を見て屋敷は大騒ぎになる。
来ると思っていたのはカエルの顔をした男と貧相な娘の筈。
それなのに実際に来たのは見たこともない美少女二人と、美麗な青年だったからだ。
しかし美少女の一人はよくよく見ると、自分たちがかつてさんざんこき使った少女であることに気づいた洗濯係の女が、どたどたと駆け寄って来た。
「あんた、どこへ行ってたんだい!?早く私に代わって洗濯をしておくれよ!!」
洗濯係の女の声で、料理人夫婦もリリディアの存在に気づいたらしい。
二人して彼女の元に駆け寄って来て縋るように言う。
「あんたが料理しなくなってから、あたしら毎日料理しなきゃいけなくなったじゃないか!!」
「しかもあんたが上手く作りすぎるから、旦那様が料理がまずいって文句垂れるんだ!!この責任はとってもらう!!」
料理人の男がリリディアの手を捕らえようとするが、その手はリリディアに振り払われる。
生意気なっっ!!
と思いながらリリディアを睨みかけるが、自分の喉元にレイピアの刃が突きつけられていることに気づき、彼は顔を蒼白にする。
「無礼者。辺境伯夫人に気安く触る平民がどこの世界にいる?」
刃を突きつけて冷ややかに告げるのはアロナだ。
洗濯女と料理人夫婦は顔を真っ青にする。
ジルベールはじろりと執事の方を睨む。
「使用人の教育がなっていないな」
「も、ももも、もうしわけございません!!そちらへ嫁ぐ前まで、リリディア様は好き好んで、この者達に代わり家事洗濯をしておりまして」
全く好き好んでやってはいないのだが、執事は保身に走るあまり平然とそんな嘘をついていた。
「そうだったとしても、それをさせないのが使用人の役目だが」
「いえいえいえ、私は止めたのですが、リリディア様がどうしてもしたいと」
「そうなのか?リリディア」
「いいえ。私は押しつけられただけです。この人達に」
洗濯係の女は顔を蒼白にして首を横に振る。
「騙されてはなりませぬ。その女は嘘をついています。私はどうしても自分の仕事を全うしたかったのに、この女が洗濯をしたいと私に頼むから」
「さっき、あんた、完全に押しつけようとしてたわよね?洗濯物」
冷ややかに問いかけるアロナに、洗濯係の女は泡をくって苦しい言い訳をする。
「い、いえ。さっきのは、きっとリリディア様がやりたいと思って私が仕事を譲ろうと……」
「早く私に代わって洗濯をしとくれーって言ってたわよ?」
「……いえ、それは」
洗濯係の女は言い訳の言葉を見失い、あわあわとする。
さらにアロナは料理人の男を睨み付けた。
「そこの料理人夫婦も、言ってたわよね。“責任をとれ”って。あんたがた如きに、奥様がどんな責任を取らなければいけないのかしらぁぁぁ?」
「ひぃぃぃぃ」
刃を喉すれすれまで突きつけられ、白目を剥く料理人の男。
妻である女も魂がぬけたように腰がぬけてしまっていた。
「よせ、アロナ。挨拶をしたらとっとと帰るとしよう。執事よ、伯爵の元へ案内せよ」
「こ、心得ました」
もはやふらふらとした足取りで歩いている執事。
その姿は老人さながらだ。
まだ四十代の筈だがクロードの方がはるかに毅然としており、若く見えた。




