ディアナ神とアロナ神
ぽかぽかと温かい陽気に包まれている……そんな感覚がした。
ほのかな甘い匂いがする。
まるで花の蜜のようなにおいだ。
うっすら目を開くと、まぶしさに再び目を閉じてしまう。
目を一度こすってから、恐る恐る瞼を開く。
淡いピンク色の天井、あちらこちらから子供のさざめく声が聞こえる。
背中に感じるふわふわな感触はよく見たら花びらだ。
小さな薄紅色の花びらが、立派なベッドになっていた。
リリディアはゆっくりと起き上がる。
「気がついたようじゃな」
心に直接じんっと響くような声に、リリディアはビクッと震える。
傍らには、この世のものとは思えない美しい女性が立っていた。
淡紅色の髪の毛はまっすぐに伸び、輝かんばかりの艶めきがあり、紅い目は深淵をたたえている。
ほんのり桜色がかった白い肌は瑞々しく、形の良い唇は鮮やかな紅色で潤んでいる。
ワンショルダーのドレスはフリルも装飾もなく、シンプルな白だが淡いピンク色の光沢がある極上の絹だ。そして女性の完璧なスタイルを強調した細身のデザインになっている。
「あなたは」
「妾の名はディアナじゃ。ほんにまぁ、無茶をしおってからに」
リリディアは息をのむ。
夢、を見ているのか。
物語でしか知らなかった女神が目の前にいるのだ。
思わず頬をつねるリリディア……どうつねっても痛い。
「これ、むやみに顔をつねってはならぬ。可愛らしい顔が台無しじゃ」
ディアナ神はまるで母親のように、リリディアの頬を愛しそうに両手で撫でる。
そして優しくその身体を抱きしめた。
ほのかに匂っていた甘い香りが急激に強くなる。
この甘い匂いの源はディアナ神なのだろう。
「ああ……リリディア。私の元に帰ってきたのじゃな。あれからずっと後悔していたのじゃ。何故、お前の恋を認めなかったのか。お前を失うぐらいであれば、人間との恋ぐらい認めれば良かったと」
「ディアナ様……?」
「おっと。そうじゃったな。そなたはあくまでリリディアの生まれ変わり。妾のことを覚えていないのも無理はないな」
「わ、私は、ディアナ様の元にたどり着くことが出来た、ということでしょうか」
首を傾げるリリディアに、ディアナはクスクスと笑う。
そして側にいた一人の女性と、まだ幼さが残る少女を呼び寄せる。
二人ともディアナと同じ淡紅色の髪の毛の色の持ち主で、とても美しかった。
女性の腕には青いリボン、少女には赤いリボンが巻かれている。
「そのリボンはまさか」
「はい。貴方に頂いたものです。これ、とても気に入りました」
青いリボンの女性が嬉しそうに微笑む。
「……私を助けてくださった方々、ですよね?大丈夫ですか?怪我はしていませんか?」
「雪の精霊の攻撃など、どうってことないですわ。それよりもあなたが無事でよかった。母上が駆けつけるのがもう少し遅かったら死んでいたかもしれません」
「……ディアナ様が助けてくださったのですか!?ありがとうございます」
リリディアは慌ててひざまずき、両手を突く。
ディアナは再びクスクス笑ってから、部屋の隅で小さくなっている男の方を見る。
真っ白な髪、とはいっても白髪とは違う白銀の髪だ。そしてぎょろついた目に、痩けた頬、目の色は鼠色。
膝をかかえガタガタ震えている男に、ディアナは冷ややかに言った。
「むやみに人間を攻撃するなと妾は忠告した筈じゃが?攻撃する人間は選ぶように妾は忠告したはずじゃがのう、雪の精」
「ま、ま、ま、ま、ま、まさか、あなたの娘の生まれ変わりとは思いもしなかったのです。申し訳ございませんっっっっ!!」
「魂の輝きを見ればすぐに分かるじゃない。ニンフは稀に人に生まれ変わることがある。その人間には魂の輝きがある……お前も知っていた筈だ」
冷ややかに言うのは、青いリボンの女性だ。
まだ幼さが残る少女も、雪の精を睨み付ける。
「お前、今までも罪のない人間も殺してただろう?私、知ってるよ。こいつ、人間が憎いとか言いながら、人間の殺し楽しんでいた」
「人間は皆罪深いものだ!罪のない人間なんかいない!私は罪深い人間をあなたにちかづけさせない為に…………ほごぉぉぉぉぉ」
雪の精が言い終わらない内に、その身体は氷に変わり次第に溶けてゆく。
見ると男の側には美しい女性が立っていた。
燃えるようなオレンジ色の髪の毛は波打ち、褐色の肌はとても艶やかだ。
肉厚の唇は淡いピンク色。
身に纏うドレスは淡い水色のビスチェドレス。腰元からスリットが入りカモシカのような脚を大胆に見せている。
その女性が雪の精である男の肩に触れただけで、男の姿は本来の姿である氷に戻り、溶け始めた。
「アロナざまぁぁ、何故、何故!?」
「いちいち煩いわねぇ。あんたがどうしてもやりたいって言うから、ディアナが気を利かせて、見張り番やらせてただけじゃない。でもディアナの娘の生まれ変わりって分かってなかった時点で、無能が露呈したわね。あなたはクビよ」
雪の精の身体は完全に溶けてしまい蒸発してしまった。
圧倒的な神の力を前に、リリディアの身体は固まってしまう。
「アロナ、今日も遊びにきたのじゃな」
「ええ。あなたが人間の女の子を拾ったって情報を聞いて」
「この娘じゃ!人間に生まれ変わっても、妾に似て可愛いじゃろう!?」
ぎゅうっとリリディアを抱きしめ、興奮混じりにいうディアナにアロナはややあきれ顔。
ディアナには沢山の娘がいる。
それらは皆リリアの木の化身だ。
その昔、ディアナは格別に愛らしく美しい娘を産み落とし、彼女を溺愛した。
名前も自分の名を与え、リリディアと名付けた。
「此処に来た人間の娘もリリディアという名じゃ。もはや運命であろう?」
「感激するのはいいけど、あんた、ちゃんとその娘を人間界に返さないと駄目よ?人間と神は同じ世界に生きられないのだから」
「……わかっておるわ。でも良いではないか、少しぐらいはしゃいでも」
ディアナはそう言ってリリディアに頬ずりする。
会話からして、今、ディアナ神と対等に話しているのはアロナ神なのであろう。
二人はかなり親しそうだ。
「それにここに来たということは、願いがあって来たのでしょ?リリディア、あなたは何を願い、ここに来たの」
アロナ神の問いかけに。
リリディアは花びらの寝床から飛び降り、地面に跪いた。
そして両手を組み深々と頭を下げる。
「お願いします!どうか、どうか、どうか、我が夫、ジルベール=ヴァルフォンの呪いを解いてください」
リリディアの切なる願いに。
アロナ神はディアナ神に軽い口調で問いかける。
「何、あんたまだヴァルフォン家の呪い解いてなかったの?もう、恨むの止めるって言っていなかったっけ?」
「確かに言った。ちょっと前にのう、なんとも聞き心地の良い賛美歌を歌ってくれる子がいたのじゃ。案の定とても徳の高い僧侶でのう。ヴァルフォンの呪いの解放を必死に祈っておったわ。そやつに免じてヴァルフォンの呪いを解いてやろうと思っていたのじゃが、有るときに賛美歌が途絶えてのう。やっぱり止めたのじゃ」
ディアナの言葉にリリディアは目を見張る。
ブランエ枢機卿の前の枢機卿はとても優しい人物だった、とクロードは言っていなかったか。常にヴァルフォン家のことを気にかけていて、ヴァルフォン家の為に祈っていたと聞いている。
祈りは届きかけていたのか!?
「恐らく……賛美歌を歌っていた方は亡くなったのだと思います」
「何と、死んだのか?病にかかっておったのかえ?」
「いえ……突然倒れて亡くなったと聞いております」
リリディアの言葉に、アロナ神は自分の指を軽く噛み、一滴の血を地面に落とす。
すると真っ白な地面に、小さな水たまりが出来た。
その水鏡にうつっているのは僧衣を纏った初老の男。
彼は狭い礼拝堂で朗々と賛美歌を歌ってから、祈りを捧げ始めた。
水鏡にうつっている礼拝堂は、自分が閉じ込められていたあの特別礼拝堂だ。
この時は寝室などではなく、ちゃんとした礼拝堂だったのだ。
男が懸命に祈りを捧げている背後。
剣を持って近づいてくる者がいた。
その顔を見て、リリディアは驚愕する。
ブランエが祈りを捧げる男を容赦なく斬りつけたのだ。
「なるほど……そういうことじゃったか」
冷ややかに呟くディアナ神。
「呪いが解けるのを恐れたか……成る程。こやつが主とする王は、とんでもない愚王のようじゃの」
水鏡の映像が変わる。
そこにうつっているのは国王とブランエだ。
国王はルビナス国の侵攻を彼に命じていた。
「ルビナス国は最近になって金鉱が発見されたのよね。金が発掘されるようになってから、色んな国に狙われるようになった。ニールデンもその国の内の一つだったのね」
「うむ、しかもルビナスを庇護していたヴァルフォンがいない隙に侵攻したか……なるほど、しばらくの間にゴミをのさばらせすぎたかもしれぬな」
女神たちは水鏡で過去を見て、状況を素早く把握していた。
そしてディアナはリリディアの肩に手を置く。
「礼を言おう。そなたが来ていなかったら、妾は下界の惨状を知らずにおったわ」
「わ、私は、自分の願いを言いに来ただけで……そんな大したことは」
「ふふふ、謙虚じゃな。リリディア、礼としてヴァルフォンの呪いの解き方を教えることにする」
「の、呪いの解き方があるのですか!?」
「ああ、ある。まぁ、物語の定番じゃけどな。とても単純明快なもの。だけど、条件として三人以上の人間に見守ってもらうこと。そして最後にはちゃんと心を込めて呪文を唱えねばならぬぞえ?」
「呪文?」
首を傾げるリリディアにディアナ神はクスクスと笑ってから、リリディアに耳打ちをする。
呪いを解放する呪文を教えるために。
呪文を聞いたリリディアは顔を真っ赤にした。
ブックマーク、評価ありがとうございます!!
そして、誤字脱字報告もありがとうございます!!とても助かっています(T-T)