突然の結婚
「おい、お前。この薪を割って、屋敷に運んでおけよ」
本当はリリディアという正式な名前があるのだが、今、自分のことをそんな風に呼ぶ人間は屋敷にはいなかった。
大量に置かれた丸太。
本来なら丸太を運ぶベイクの役目なのだが、最近その役目を自分に押しつけるようになっていた。
他の使用人も、自分が当主から望まれている子供ではないと分かっているので、いいように仕事を押しつけてくることがある。
そんな自分の現状を父親に訴えたところで、彼は聞く耳を持たないので無駄なこと。
使用人もそれが分かっているから、リリディアをいいように使うのだ。
薪を割ってしばらくすると、爪が割れだした。
栄養が足りない少女の爪は、あまりにも脆かった。
しかしリリディアはポケットから小さな瓶を取り出し、軟膏を塗る。
すると割れた爪はみるみると治った。
幼い頃から母にたたき込まれた薬学の賜だ。
薬草になる草はその辺にでも生えている。
元々母が花壇で育てていた薬草が野生化したのであるが、リリディアは誰も見ていない時に密かに薬草を集め、薬を作っていた。
おかげで栄養不足ではあるが、かろうじて風邪も引かず、薬が完成してからは、あかぎれやしもやけにも困らなくなった。
母、オルガ=レイスターは元々、宮廷薬師だった。
しかし一人娘だった彼女は、レイスター家を継がなくてはならなくなり、辞めざるを得なくなった。
そして今の父と結婚したのだ。
母が亡くなるまでは、父も母のことを愛していた……ように思えた。
今にして思うと本当に愛していたのかどうか疑問だが、少なくともあの頃は母も自分も幸せだった。
リリディアは黙々と薪を割る。
いつかこの家を出ていこう、と心に誓いながら。
しかし、今の彼女には平民として暮らしていける自信がなかった。
将来、薬を売りながら暮らしていこうとは漠然と考えてはいる。
掃除、洗濯、料理のスキルもある。
だけど、手持ちのお金が一銭もない。
何をするにもお金がないことには始まらないことぐらい、リリディアにも分かっていた。
どうしたらいいか分からぬまま、辛い日々が続いている。
、
しかしある日のこと――――
「お前にはヴァルフォン辺境伯の元へ嫁いで貰う」
珍しく父親に呼び出された。
何事かと思って執務室に入るや否や、彼は開口一番上の台詞を言ってきたのだ。
リリディアは戸惑いが隠せない。
「……ヴァルフォン辺境伯というと、あの?」
「そうだカエル伯と呼ばれているあのヴァルフォン辺境伯だ」
「……」
リリディアも噂では聞いている。
カエルのような顔立ちの、醜く太った貴族がいると。
「しかし、私で良いのですか?見目麗しくはないかもしれませんが、ヴァルフォン辺境伯といえば、強力な私設軍を持ち、王の次に権力を有する方」
「当たり前だ!本来ならヒルディアに来た話に決まっている!融資をする代わりに、私の娘を嫁として寄越せというのだからな!醜いガリガリのお前じゃなく、可愛いヒルディアのことを指しているに決まっているだろうが!!」
……本人の前でそれを言う?
リリディアは半ば呆れていた。
ガリガリなのは仕方がないではないか。一日一食なのだから。
異母姉は確かに愛らしい。
大きな目に白い肌。ピンクブロンドの髪はいつも美しく艶やかだ。
ヒルディアは自分と同い年の姉。向こうの方が少しだけ生まれるのが早かったらしい。
つまり父は母と結婚しておきながら、今の継母とも関係をもっていたのだ。
それにしても、他の貴族から融資してもらわないといけない程、我が家の財政は逼迫しているのか。
恐らく継母と異母姉が金を湯水のように使っているからであろう。
継母やヒルディアは社交界に出るたびに、毎回違うドレス、宝石を身につけている。
あれではレイスター家の資産が底をつくのも時間の問題。
父はそれが分かっていても、二人を止めることが出来ない。
二人に嫌われたくないからだ。
「あんな醜いカエルに可愛いヒルディアをやれるか!そもそもヒルディアには既に第二王子との婚約が決まりかけているんだ!それをあんなカエル男に横槍を入れられてたまるかっ!!いいか、もうお前をあのカエル男にやることは決定事項だからな。陛下からも了承を頂いている」
リリディアはため息をついた。
まさか嫁ぐという形で、家を出ることになるとは。
カエル伯と呼ばれる辺境伯がどんな人なのか分からないが。
自分は特に相手の容姿など気にしないし、家柄も経歴も立派すぎる程だ。
それほど立派な人物なのに、わざわざお金と引き換えに娘を要求するとは、やはり容姿のせいで相手が決まらないせいなのだろうか。
何にしても、今よりはマシな生活を送ることができるかもしれない。
「……わかりました。リリディア=レイスター、家の為に喜んでヴァルフォン辺境伯の元に嫁ぎます」
執務室を出ると、隣にあるヒルディアの部屋から、けたたましい笑い声が聞こえた。
「ねぇ、聞いた?お母様。あのボロがカエルの元に嫁ぐのですって!!」
「わ……笑ったら悪いわよ。ヒルディア」
「お母様こそ笑いを堪えているじゃない?あははは、凄くお似合いじゃない?ボロとカエルって」
「だから、そんな風に言うものではないわ。うふふふ」
ドア越しに聞こえる継母とヒルディアの声に。
リリディアは思わず耳を塞いで、駆け足でその場を去った。
ああ、ヴァルフォン辺境伯がどんなお方なのかは分からない。
分かっているのは顔がカエルに似ていること。
それでも今よりはマシな生活を送ることが出来るような気がする。
一刻も早くこの家を出て行きたい。
家族がいるようでいないこの空間は何よりも耐えられないから。