初めての友達
ヴァルフォン家に戻り、アロナから事の次第を聞いたクロードは愕然とした。
ジルベールの為に祈りを捧げていた筈の枢機卿が、リリディアとアロナを手籠めにしようとするような外道だったというのだから。
「まさか、ルビナスを滅ぼした教会騎士団の団長が、その名を変えて枢機卿に就いていたとは」
ブランエ=クースリーという人物は、突然亡くなった枢機卿に代わって、国王の指名によってその座に就いた男であった。
今にして思うと、亡くなった枢機卿も殺されたのかもしれない。前の枢機卿は心の優しい人物で、「微力ではありますが、あなた方の為に祈らせてください」とわざわざ此処まで挨拶に来たし、その後も度々ヴァルフォン家を訪れては「自分の力が及ばないばかりに」と申し訳なさそうに言っていたのを思い出す。
前枢機卿は、国王にとって都合が悪かったということか。
万が一呪いが解けてしまうことを恐れた国王は、神を神と思わぬ男を枢機卿に据えた。
呪いが解けない限り、ヴァルフォンは国家の盾であり続けてくれる、と考えたからであろう。
「分かっていれば……あなた方だけで行かせはしなかった」
「……」
アロナの剣の腕は確かなものだった。
ならず者の一人や二人であれば簡単に倒してしまう程の実力はある。
しかも王都は女性一人でも出歩くことができる程、治安の良い場所。
リリディアに、アロナをつけたのも念のためであった。
まさか教会がならず者の住処になっていたなど、思いも寄らなかったのだろう。
ここニールデンはディアナ神の信仰がとても深い。
特に教会は神聖な場所。
故に一般の人間は触れてはならない領域でもあった。
ましてやその場所が冒涜されることは絶対にあってはならない。
人々はそれだけ神を恐れている。
リリディアだってそうだし、アロナやクロードだってそうだ。
実際にジルベールの祖先は神の怒りに触れて未だに呪われているのだ。
「クロード、何故アロナを護衛に付けたのです?彼女は一国の王女だったそうではないですか。いくら亡国とはいえ、王女だった方に護衛をさせるなど」
「待ってください、リリディア様。護衛は私がクロードに無理を言って頼んだのです」
「アロナージュ様」
リリディアは本来のアロナの名を呼ぶ。
しかし本人は首を横に振る。
「今まで通り、アロナでお願いします。一国とはいっても、此処ヴァルフォン領の五分の一にも満たぬ小国です。しかも、ヴァルフォン領の近くだったこともあり、他国の侵攻から守って頂いていたご恩もあるのです」
「……」
確かにルビナス王国はヴァルフォン領であるサモノア地方に隣接した国。
小さなルビナス国は他の国にも狙われやすい国であった。
しかしそのルビナスを滅ぼしたのは、ニールデン王国の教会騎士団。ジルベールの父親が遠征中にそれは実行されたらしい。
ジルベールの父が戻った時にはルビナスは滅んだ後だった。ジルベールの父はルビナス国を守れなかった己を悔やみ、サモノア地方の教会に匿われていたアロナを引き取ったのだという。
ジルベールとアロナはクロードの手によって兄妹のように育てられた。
「ですが小さな国とは言え、やはり姫君であることには変わりません、今までのように使用人のように接するわけにはまいりません」
強い口調で、きっぱりと言うリリディアに、アロナは困ったように眉をハの字にする。
クロードもやれやれと言わんばかりに肩をすくめている。
そういう反応をされると、こちらが面倒くさい人間みたいではないか……となんだか拗ねたい気分になるリリディア。
アロナはしばらく考えてから、リリディアの両手を持って言った。
「では、一国の王女としてお願いがあります。リリディア様……いえ、リリディアと呼ばせて貰います。リリディア、どうか私と友達になってください」
「友達?」
「そうです。友達として接してください。私はあなたの友として側にいたい……それでは駄目でしょうか?」
「友達……」
みるみるとリリディアの白い頬が薔薇色に紅潮する。
友達……いままで、友達といえる友達なんかいなかった。
アロナが友達になってくれるのか。
恐れ多いと思いつつも、どうしても嬉しさが隠せないリリディア。
その反応にアロナもまた満足そうに頷いた。
「決まりですね。今日からあなたと私は友達です……というわけで、ここからはお互い敬語もなしで行こっ!」
「アロナージュ様」
「様もナシ!!今まで通りアロナでお願いね。死んだ私の家族も皆アロナって呼んでいたのよ」
「アロナ……私……凄く嬉しい」
「あら、泣かせちゃったな」
顔を伏せて泣き出すリリディアにアロナは茶目っ気たっぷりに舌を出す。
クロードは呆れたように言った。
「アロナ、メイドごっこは此処までにしましょう。リリディア様の言うとおり、貴方は一国の王女。そろそろ貴方に相応しい教育を受けて頂かねば」
「…………仕方がないな」
「おや。今日は自棄に素直ですね。いつもだったらすぐにお逃げになるのに」
「だって、王女らしい振る舞いの一つでも覚えておかないと…………必ず会いに来るって言ってる人もいるし」
最後の方はぼじょぼじょと呟くアロナに、今まで泣いていたリリディアは思わずくすっと笑う。
エルベルトの皇子はアロナを気に入っているのは分かっていたけれど、アロナもまた満更ではないみたいだ。
彼の事を思い出して恥ずかしそうにしているアロナがあまりにも可愛くて、うれし涙も吹っ飛び、思わず笑い声を漏らしてしまっていた。
「ちょっと、何泣き笑いしてるの!?」
「わ、笑ってないわよ」
「絶対笑っていたでしょ!?」
「だから笑っていないって」
言い合いながらも二人はだんだん可笑しくなって、本格的に笑い始めた。
そんな二人を慈しむような目で見守るクロード。
特にリリディアは此処に来て初めて、年相応に無邪気に笑ったような気がした。
ジルベールとアロナが兄妹のように過ごしたのと同じように。
リリディアとアロナも友達であり、また姉妹のように過ごしてくれたら、とクロードは思っていた。
「……アロナ、使用人ごっこは止めるって言ってなかった?」
「えー、私は友達の髪を梳いているだけよ?だって気持ちがいいんだもの。サラサラの髪の毛を梳くのって」
「……」
翌日からアロナは王女らしい生活を送るようになるのかと思ったが、相変わらず、自分を起こしに来るし、食事の準備も知らせてくれるし、服も自分に相応しいものを選んでくれる。
言葉使いが変わっただけで、今までと変わらないんじゃ……そんなことを思いながらも大人しく髪を梳いて貰うリリディア。
振り返ると本当に嬉しそうに髪の毛を梳いているので、何も言えなくなるのだ。
「ねぇ、アロナはエルベルトの皇子のことをどう思っているの?」
「え…………」
思わず持っていた櫛を落としてしまうアロナ。
振り返るとその顔は真っ赤だ。
ああ、お互い一目惚れだったのかな。
運命的な出会いだったんだ。
そう思うと、その現場に居合わせることが出来た自分はなんとも幸運のように思える。
素敵な夢物語の一幕を見る事が出来たような気がして。
「どう、と言われても。一回出会っただけだし、何とも」
「きっとアロナなら素敵な皇妃様になると思うわ」
「こ、皇妃っ!?」
「だってそうでしょう?ヴィクトール様はエルベルトの皇太子。彼と結婚するのであれば、アロナはエルベルト皇妃になる」
「そんなこと分からないわよ。第一、ヴィクトール様だって本当に会いに来るかどうか怪しいし」
「私は会いにくると思うけどな。会いに来たら、二人で空のデートに行ってきたら?」
「空のデート?」
「一緒にドラゴンに乗って空の散歩をするのよ。私もジル様と一緒に行った時、凄く感激したのよ」
「へぇ、ジル兄、女の子、エスコート出来たんだ」
感心するアロナに目を丸くするのはリリディア。
「ジル兄って??」
「あ、子供の頃、ジルベール兄さんのことをそう呼んでいたの。最近はリリディアがいる手前、旦那様って呼んでいたけどね」
「そっかぁ。本当に兄妹みたいな関係だったのね」
「あ、もしかして、私とジル兄の関係疑っていたりしてた?」
「あ……うん……実はほんのちょっぴり」
恥ずかしそうに俯くリリディアに、アロナは可笑しそうに笑って彼女の背中をぽんぽんと叩いた。
「全然心配しなくてもいいよ!ジル兄はいい男だけど、あくまで兄としてしか見ていないから。あ、別にカエルの顔が嫌だからとか、そういうんじゃなくて、本当に兄以上として見ることが出来ないのよねぇ。多分、ジル兄もそれは同じだと思うよ」
「そっかぁ」
ほっとしたと同時に、なんだか余計な心配をしてしまっていた自分が可笑しくなって、リリディアもまた笑ってしまった。
これが女の子の恋バナというのだろうか。
以前ヒルディアが婚約者になるであろうフランクスの話をメイドと一緒になって盛り上がって話していたのをぼんやりと聞いていたことがあった。あの時は何がそんなに楽しいのだろう、と思っていたけれども。
今、アロナとジルベールやヴィクトールの話をしているのはとても楽しい。
この時間がずっと続いてくれたらな、と思う。
だけど……
不意にリリディアは険しい表情をディアナ山の方に向ける。
一縷の望みが絶たれた以上、自分に出来ることはあと一つしかない。
だけど、それを実行するにはあまりにもリスクが高く。
今笑い合っている友達や、父親のように見守ってくれるクロードを巻き込むわけにはいかない。
「リリディア、どうしたの?ディアナ山の方じっと見て」
「うん……早く春がくるといいなって思って」
「そうだね。春になったらまたリリアの花を見に行こう。リリアのお花見ながらピクニックとかどう?」
「凄く素敵ね、行きたい!!」
リリディアとアロナは顔を見合わせてからまたクスクスと笑い合った。
今は夜だから大きな声では笑うことができないけど。
でも本当に楽しくて。
そして本当に嬉しかった。
夜も更けて、屋敷の使用人が全員寝静まったのを見計らい、リリディアは起き上がった。
彼女は静かに身支度を始める。
寝間着から動きやすい平服に着替える。
そして防御力の高い皮のベスト、腰には短剣を帯剣する。
あらかじめ密かに用意していた、薬や非常食が入った鞄を肩から提げる。
一見、少年のような格好をしたリリディアは窓からロープを下げて、下に降りていった。
食料を得る為に、近所の森になっている実を取りに木登りをしていたり、母が生きている頃には、薬草を採りに崖を登っていたこともある彼女にとって、二階から降りることぐらい、造作もないことだった。
リリディアはアロナが寝ているであろう部屋の窓の格子に手紙を挟んでおく。
私はジル様の呪いを解いて貰うよう、ディアナ神に直接お願いに上がります。
徳の高い僧の祈りが望めない以上、それしか方法はありません。
ヴァルフォン家に嫁ぐことができて私は本当に幸せでした。
ジルベール様の妻でいられたこと、とても誇りに思っています。
アロナ、あなたと友達になれて本当に嬉しかった。
クロード、私が無事に戻ってきた暁には、沢山叱ってください。
どうか皆様、お元気で。
行ってきます
リリディア=ヴァルフォン