枢機卿 ブランエ=クースリー
一方ジルベールは男に案内され、ザクソン将軍の下に来ていた。
ザクソンはジルベールと同い年の青年で、父親の後を継ぐ形で将軍の地位に就いた。
なまじ己の実力で手に入れた地位ではないだけに、彼は内心ジルベールに劣等感を抱いていた。
「ザクソン閣下、一体何の御用でしょうか?」
「ん?何の話だ」
「いえ、彼が自分に伝えてきたのですよ?あなたが呼んでいると」
「俺がお前を呼んでいる???」
訝るザクソンに、男はそそくさとその場を去る。
(あれは……フランクス王子の側近だったな。ああ、成る程。引き離す為にここに連れてきたか)
あの第二王子の女癖の悪さは社交界の間では有名だ。
恐らくフランクスはヴァルフォン夫人に近づくために、側近を使い、ジルベールを自分の元に連れて来たのだろう。
この男に一泡吹かせるのであれば、少しぐらいは時間を稼いでやっても良いか、とザクソンは内心ほくそ笑む。
ちょうどしなければならない話があった所だ。
「お前が今まで戦ってきたティモンド王国が、エルベルト帝国に降伏をした」
「……」
「恐らく、お前との戦いで兵力が疲弊していたところを叩き潰されたのだろう。今まで他国に侵攻することがなかったあの大国がついに動き出したようだ」
「……」
ティモンド王国とニールデン王国はジルベールの祖父の代から、領土を巡り争っていた。
ジルベールの父の代では、この二つの国に挟まれる形で、ルビナス王国と呼ばれる小国があり、ティモンド王国はその国を足がかりにニールデンに侵攻しようとしていた。
ジルベールの父は、そんなティモンドからルビナス王国を守るべく、ひいてはニールデンを守るべく戦ってきた。
ジルベールは苦々しい表情を浮かべる。
国王の命令でジルベールの父が西海を荒らす海賊たちの討伐に遠征へ出掛けている間に。
ルビナス王国は、ニールデンの教会騎士軍によって滅ぼされた。
理由はルビナス王家を初め国民も邪教を信仰していたためらしいが、本当の理由はルビナス王国で広大な金鉱が発見されたことにあるのだろう。それまで歯牙にもかけていなかった小国に、ニールデン王室は牙を剥いたのだ。
しかも今までルビナス王国を守ってきたジルベールの父が遠征に出ているのを見計らってのことだった。
ルビナス王国は滅び、領地は現在、完全にニールデン領の一部となっている。
しかしそのルビナスを狙っていた国、ティモンド王国はエルベルトに降伏したという。
「エルベルトは勢いに乗じて我が国の領域にも侵攻しようとしている。お前には近々、また北領の地へ行って貰わねばならん」
「……そうですか」
「お前の守護があってこそ栄える我が国だ。その呪いを解く為にも、陛下の為、国の為にこれからも尽力せよ」
「心得ております」
ジルべールは淡々とした返事を返し、一礼をする。
ザクソンは内心面白くはない。
彼とて国の為に戦いたいというのが本音だ。
しかし、父も国王陛下もエルベルトの侵攻に関しては、ジルベールに任せるように言う。
彼らが自分の身を案じているというのは分かる。
父親としては危険な戦に向かわせたくない、そして国王陛下としては舅として自分を行かせたくはないのだろう。
ザクソンは第三王女と結婚している。故に娘を未亡人にしたくはない父心があるのであろう。
心配してくれる気持ちは有り難いが、それではいつまでも手柄が立てられない。
このままでは名だけの将軍になってしまう。
ザクソンには焦りがあった。
しかし国王陛下と父に言われるまま、自分はジルベールに命じることしかできない。
「それでは妻が待っていますので、自分はこれで」
「待て……まだ話は終わっていないぞ」
「特に急ぎの要件でもなさそうなので、また後ほど伺います。それでは」
ジルベールはそう言ってもう一度一礼した。
彼が早々と立ち去りザクソンは舌打ちをする。
(もう少し引き留めておきたかったんだがな……しかし、あの馬鹿王子の為にそこまでしてやる義理もないか)
「フランクス様、いい加減になさいませ。ヴァルフォン夫人が嫌がっているではありませんか」
「お前は……」
フランクスは目を見張る。
強引にリリディアを自分の部屋へ連れ込もうと思い立った彼だが、その行動をとがめる人物がいたのだ。
枢機卿 ブランエ=クースリー。
この国の宰相でもある男だ。
「ヴァルフォン夫人、国王陛下が貴方とお話がしたいそうです。来て頂けますかな」
リリディアが答える前に、フランクスが怒声を上げる。
「巫山戯るな!!父上はどうせ、彼女を新たな愛人に迎えるつもりだろう?何度母上を悲しませたら気が済むんだ!?」
……母上の気持ちが分かるのであれば、婚約間近な女性を放って置いて自分を口説く真似などしない筈なのだが。
内心リリディアは思ったが、この王子は自分のしていることと、父親がしていることが同じであるとは思ってもいないのだろう。
「まさか、正妃様もおられますし。そのようなことはしませんよ。ましてやあなたと同じ年頃であるリリディア様をそのような目で見ることなどあり得ません」
「私より5つも年下の侍女を愛妾として別宮に囲っているではないか!」
「そのような事を声を大にして言うものではありませんよ」
あくまで物腰和かなブランエ。
年は40代後半か。
彼がヴァルフォンの為に毎日、女神リリアに祈りを捧げているのであれば、無碍にお断りはできない。
その時だった。
「ならば自分も一緒に参りましょう。妻はまだ社交になれぬ身、一人で陛下にお会いする心の準備が出来ていませんが故」
どことなく冷ややかなその声に。
フランクスはびくりと肩を震わせる。
声がする方へ顔をやると、そこにはカエルが鬼のような形相を浮かべていた。
「フランクス殿下、妻をお返しいただけますかな?」
相手を刺すような鋭い問いかけに。
フランクスは反射的にリリディアの手を離していた。
リリディアはジルベールの元に駆け寄り、彼にすがりつく。
その光景にフランクスはますます歯ぎしりをする。
――――そんなカエル男のどこがいいんだ!?そんな醜いカエル男のどこが!?
一方枢機卿ブランエは肩をすくめてから、ジルベールに一礼する。
「これは失礼しました。では奥様が社交界に慣れてから、お誘いするよう陛下に申し上げておきます」
「よろしくお願いします」
ジルベールは枢機卿に頭を下げながらも、拳を握りしめる。
呪いのことが無ければ、あんな国王に従いたくなどない。
こんな社交界本当は出たくもなかった。
正直、この国を見限りたいというのが彼の本音だ。
しかし枢機卿は自分の為に毎日祈りを捧げているという。
高僧が長年、ヴァルフォン家の為に祈りを続けていれば、リリアはいずれ許しを与える。それがいつになるかは分からないが、呪いを解く唯一の方法なのだ。先祖代々の伝承であり、真偽はどうなのか分からないが、それに縋るしかないのが今の現状だ。
どんな呪文を唱えても、どんな薬を飲んでも、またジルベール自身がどんなに願ってもカエルの顔は人間の顔にならないのだから。




