カエルと美少女
扉が開かれ、青いベールを頭にかけた女性がしずしずと歩く。
花嫁となる女性が国王に謁見する時、青いベールをかけるのがこの国の習わしだ。
そしてベールは国王の御前で自ら取るのが作法。
リリディアは青いベールを国王の前でそっと取った。
「…………っっ!!」
国王の目がこれ以上になく大きく見開かれる。
隣に座る正妃も同様だ。
そして。
リリディアの顔が見える位置にいる貴族たちも愕然とする。
あまりにも美しい容貌に。
まっすぐと伸びたプラチナブロンドの髪、伏し目がちな目は長いまつげが際立ち、その下にはサファイヤの目。
以前のようなみすぼらしさはどこにもなく、輝くばかりの美少女がそこに立っていた。
「な、何と……そなたがあの……リリディアなのか?」
震えた声で尋ねる王に。
リリディアは淑女の礼をしてから名を名乗る。
「はい、レイスター伯爵の娘、リリディア=レイスターでございます。夫と共に何卒よろしくお願い致します」
その何とも愛らしい声音に、その場にいる男性陣は感嘆のため息をつく。
国王は拳を握りしめ、心の中で呟く。
何故。
何故、このような美しい娘が今まで知られずにいたのか。
長女リリディア=レイスターは、貧相でみすぼらしいので社交に出せるものじゃないとレイスター伯爵は言っていた。
しかし目の前にいる娘はどうしたことか。
社交界に咲く大輪の薔薇、オルガ=レイスターを母に持つだけのことはある。
あの美貌をそっくりそのまま受け継いでいるではないか。
――――この娘の存在を知っておれば、すぐにでも我が側妃として迎えていたのに!!
何故、レイスターはこんなカエル男にこの美貌の少女をくれてやったのだ!?
何か弱みでも握られていたか。
だとしても、自分に言ってくれれば、その娘と引き換えに自分が何とかしたのに。
こんなにも美しい娘が、こんな醜いカエル男に毎夜触れられているのかと思うと、はらわたが煮えくり返る。
そんなドロドロとした気持ちを巧みに隠し、国王ダグラス=レイ=ブルーキングスは、杯を持ち上げて乾杯の音頭を取る。
「今宵は勇者ヴァルフォンとリリディアが主役。後にオルディアナ教会で式も挙げてもらわねばならぬが、皆の者、まずは若き二人に祝福を」
その場にいる貴族たちは信じられぬ思いを抱きながらも、配られたワイングラスを受け取り杯を持ち上げる。
優雅な曲が再びホール内に響き渡る。
ジルベールはリリディアの手を取り、その手の甲に軽く口づける。
かぁぁぁっと顔を赤らめるリリディア。
カエルに対し、嫌がるどころか恥じらう姿を見て、周囲はさらに驚愕する。
しかし、同時に恥じらう顔があまりにも可愛らしく、男性陣の多くは彼女に心を奪われることになる。
カエルと美少女は弾んだ足取りでダンスホールへ。
そして優雅に踊り始めた。
楽しそうに踊る少女の姿を、じっと見つめる者がいた。
フランクス=レイ=ブルーキングス。
――――あのようなカエルに、あの女は相応しくない。
フランクスは側近である男に側に来るよう目で合図をする。
すぐさま寄ってきた側近に彼は耳打ちをする。
側近は頷いてからその場を立ち去る。
ひとしきりダンスを楽しんだジルベールとリリディアは、テラスのテーブルで一休みすることにした。
「初めて人前で踊りましたが、とても楽しかったです」
「俺もだよ。実は人前で踊ったのが初めてだった」
「本当ですか?そのようには見えませんでしたが」
「ああ……俺と踊ってくれる女性が今までいなかったからな」
「まぁ。じゃあ私がジル様にとって初めての女性になるのですね。嬉しいです」
そんな話をしていた所、一人の男性がジルベールに歩み寄り、何やら耳打ちをする。
ジルベールは頷くと、リリディアに笑みを浮かべて言った。
「ザクソン将軍がどうも俺に話があるらしい。少し離れるが、ここで待っていてくれないか?」
「はい、ここでお待ちしております」
「すぐに戻ってくる」
ジルベールは席を立ち、男性が案内する方へ歩いて行った。
一人残ったリリディアは、テーブルの上にある紅茶を一口飲む。
生まれて初めての社交界。
正直、どうしたら良いのか分からないのが本音だ。
本来ならもっと早く社交界デビューする筈が、ずっと実家で働いていたのだ。
マナーや立ち振る舞いは母が生きていた頃にたたき込まれていたのもあり、またこの日の為にクロードからレクチャーされたのもあったので、そつなくこなしていると思う。
しかしここは社交の場。
辺境伯の妻として他の貴族との交流も大事にしないといけないのだろうが、どうしたら良いのか分からない。
とりあえず今は、ジルベールがここで待つように言っているし、ここで待つしかないのだろう。
その時、向かいに誰かが座る気配がした。
ジルベールが戻ってきたのか、と顔をあげたものの、目の前に居るのは違う人物だったので、リリディアは戸惑う。
「初めまして、ヴァルフォン夫人」
「……あ、は……初めまして?フランクス殿下」
思わず疑問形になってしまったのは、以前からこの王子とは面識があるからだ。
彼はヒルディアに会いにしょっちゅう実家へ来ていた。
その時にヒルディアはフランクスに紹介しているのだ。
「この娘が私の妹なの」と。
フランクスは自分の姿を見て鼻で笑ってから。
「そうなんだ。君とは似てないんだね」
と言ってヒルディアの腰に手を回し、自分の方に引き寄せた。
あの時は完全に惨めな自分の姿を肴に、二人で盛り上がっていた。
こっちとしては勝手にしてくれといった感じだったが。
かつて自分を鼻で笑っていた男が、妙に甘ったるい目で自分を見ている。
……なんだか気持ちが悪い。
不快な気分を巧みに隠し、リリディアは愛想笑いを浮かべる。
「今日はお姉様と一緒ではなかったのですか?」
「あれ?君は聞いていないのか。ヒルディアは風邪を引いてしまってね。熱が出て休んでいるんだ」
「ああ、そうだったのですね。何分、遠くに住んでおりますもので、実家とはいえ、知らせがくるのに三日はかかるのですよ」
嘘である。
本当は実家となんか一切連絡をとっていない。
向こうだって自分のことは既に死んだ存在だと思っているのだろう。
今回の結婚披露だって姉が風邪を引いたとはいえ、せめて父ぐらいは此処に来ても良さそうなものだが、彼もヒルディアと共に欠席をしている。
「今日はヒルディアに代わって、君がダンスの相手をしてくれないだろうか?」
「え――――」
「将来、義理の妹になる君と、もっと親睦を深めたいんだ」
「……」
顔を近づけてくるフランクスに、リリディアは視線を下にやる。
本当は顔をそらしたいくらいだが、それでは不敬と捉えられ兼ねない。
そんな彼女の心中など知るよしもなく、フランクスはリリディアの手をとる。
ぞわぞわぞわっと寒気がした。
今すぐその手を振り払いたい。
しかし、そんな気持ちはおくびにも出さず、リリディアは優雅に微笑んでみせる。
「恐れながら殿下は姉とまだ正式な婚約を交わしておられないはず。今、私と踊れば周囲からはあらぬ誤解を受けることになるでしょう」
「私は誤解されてもかまわない」
「なりません。その誤解が姉の耳に入ったら、姉はとても悲しみます」
上記の言葉を翻訳すると、自分とフランクスが踊ったと知れば、姉は烈火のごとく怒って自分に嫌がらせをする可能性が高い。そうなると、ジルベールにも迷惑がかかるから、踊ることは出来ない。
となるのだが、あいにく王子の頭の中には翻訳機が搭載されていないようだった。
「君とならどんな誤解を受けてもかまわないよ。何なら、ヒルディアとの婚約はなかったことにする」
と宣ったのだ。
開いた口が塞がらない。
どんなお花畑脳だ、とリリディアは苦々しく思う。
王室と貴族の婚約をなんだと思っているのか。
いや、まだ正式に婚約していないから問題ないのかもしれないが。
こっちはジルベールの妻である。
貴族の妻が未婚の男と踊るのは大問題だ。
大体、そんなに簡単に婚約をなかったことにするような男は、全くもって信用が出来ない。
ヒルディアとも結婚を前提に付き合っていた筈だ。
しかも……多分、深い仲にもなっている。
直接見たわけではないが、ドア越しに睦みごとの声や音は否応なく聞こえていたのだ。
そういう仲であるにも関わらず、婚約をなかったことにするなど有り得ない。
「……お許しください。私はあなたとは踊ることはできません」
「――――」
はっきりと断られ、フランクスは目を剥く。
今までの女性は自分が甘い言葉をかければ、すぐに乗ってきた。
婚約者がいる女性であろうと、人妻であろうと。
今日来ている令嬢の大半は、自分と踊りたがっている。
それなのに彼女ははっきりと断ったのである。
――――俺は、あのカエルより劣るというのか!?
フランクスはぎりりと歯ぎしりをする。
今すぐにでもこの女を連れ去り、自分の思うがままにしたい。
肌を合わせれば、あんなカエル男などよりも、自分の方が良いことが分かるはず。
「今すぐ俺と共に来い。君には淑女のたしなみを教える必要がありそうだ」
フランクスは立ち上がるとリリディアの前に近づき、強引にその手を引き自分の方へ引き寄せる。
そして素早く腰に手を回す。
「お、お許しを……っっ!!」
近づけてくる顔から逃げるようにリリディアは顔を伏せ、どうにかフランクスから距離を置こうと彼から離れようと試みる。
しかし彼の手はきつくリリディアの手を握り、腰を引き寄せますます自分の身体にひっつけるようにする。
リリディアは目をきつく閉じ、心の中で夫の名を呼ぶ。
――――ジル様っっっ!!