7.新生活とロンの誤解
村の朝は早い。室内の明かりは窓から入る太陽光か小さなろうそくの明かり程度しかないので陽が落ちれば眠り、日が昇れば起きる。
ほとんどの村民は田畑を耕し、森に分け入り獣を狩り、木の実やキノコを採取するなどして自給自足の生活を送っている。商人たちから買う者は貨幣を持ってはいるものの、村内では物々交換が主流だ。足りないものを補い合うため争いも滅多に起こらない。
この村へやって来て早数か月。外に放し飼いになっている鶏の声にようやく慣れてきたアイサは、ウーノ一家の誰よりも早く起きだし、家の裏にある井戸から水をくみ上げ、身支度を整えると髪の毛をポニーテールに縛り、ソニアから喜々と押し付けられたフリル付きのエプロンを少しだけ照れながら装着すると、朝食作りを開始した。
ウーノ家は店舗兼住宅となっており、1階は店舗で2階が住居と完全に分かれている。ただし例外として台所などの水回りは1階にある。
今日は隣家から貰ってきた卵とウーノが狩ってきた獣の肉で作ったベーコン。週に一度村長宅にある巨釜で大量に焼かれる丸パン。そして山の木の実のジャムを添えた搾りたての乳を使って作ったヨーグルトと根菜のサラダ。
料理など城にいるときは作ったことも作ろうとも思わなかったが、やってみると案外面白く近所の奥様連中にレシピを聞きまわりその腕はメキメキと上達していき、特に菓子作りについてはあっさりとソニアを追い抜いた。
それ以来、朝食はアイサが、昼食は取らず、夕食はソニアが作ると決まった。ソニアは朝から雑貨屋の準備があるためとてもありがたがられた。
「おはよう、ソニアお姉ちゃん。今日もおいしそう!」
2階には3部屋あり、元々物置だった小部屋をアイサに、大部屋をウーノ家族が、中部屋を居間として使っている。
ちょうど料理を居間に運び終えたところでサリがやってきた。寝ぼけ眼だった彼女だが、並べられた料理を見た瞬間覚醒したかのように目を煌めかせて席に着く。
「お母さん、いつも雑貨屋の準備と並行で朝ごはんの準備してたからパンと昨日の残りのスープを温めただけとか、カピカピの干からびたパンのみなんて日もあったから。本当にアイサお姉ちゃん様様だよー」
お父さんは不器用すぎてそもそもこんな手の込んだ料理できないしね。と内緒話するように小声で笑う。アイサは今までウーノが作った料理が基本的に丸焼き系であったことを思い出し納得したように頷いた。
そうこうしているうちにウーノとソニアもやって来て食事の挨拶をしてから食べ始めた。
「いよいよだね」
「はい、どうなるか分かりませんがこんなに良くしていただいたソニアさんたちや他の村の人たちにも報えるよう頑張ってきます」
「まあ、そんな固くならなくてもいいんだけどね。ほどほどに頑張りな」
そして食事が終わるとウーノは近隣の猟師仲間を連れ立って山に猟に向かう。出しなに無言無表情なままアイサの頭をぽんぽんと撫でると満足そうに一度うなずいてから出ていった。
ソニアは雑貨屋を開け、サリはそのお手伝い。
そして、アイサはというと、家を出て村長宅の隣に立つ平屋の掘立小屋にやってきた。元々は村長宅の倉庫として使われていたもので、そこまで大きいものではないが村の建物の中では頑丈な作りをしており細かな仕切りもない。
彼女は薬師を名乗ることはできないが、それ相応の知識を持ち、実際にサリの命を救ったということで、直々に村長からお願いされたこともあり、特別に建物を借りて薬屋兼診療所を開業することと相成ったのだ。
薬屋部分は薬や商品を置く棚やカウンター、診療施設は一画を仕切り、簡易ベッド2つとテーブルとイス2脚のシンプルなものに。様々な準備期間を経て今日がその記念すべき開業1日目となったのだ。店の中で大きく息を吸い込み勢いよく吐き出すと気合を入れる。
「よし、頑張るぞ!」
勢いよくドアを開け放つと、ドアに掛けられた板を“開業中”にひっくり返すのだった。
***
そして開店から2週間。薬屋部分のカウンターに肘を付き、アイサは今日何度目かになる小さなため息を吐いていた。
「誰も来ない……」
一度冷やかしでウーノ一家と村長一家が顔を見せて以来客も患者も一向にやってこない。
怪我をしたり病気をしたりする人はいないわけではないが、軽いものなのでみんな自力で治してしまうのだ。
当然やり方は自己流なので直りが遅かったり傷跡が残ってしまったりと弊害はあるのだが、今まではそれが当たり前であったので気にする者もいない。
夕方になり店を閉めると、トボトボと帰路につく。
「おい!」
その途中で声がかかった。ふと顔を上げると初日にサリから膝カックンを受けた少年が仁王立ちで道中央に立っていた。下を向いていたため気が付くのがおくれてしまった。
「えっと……ロン、でしたっけ?」
数か月たち、大人たちとは雑貨屋の手伝いなどを通じてほどほどに打ち解けたが子供、特にこの目の前の少年ロンはなぜかアイサに敵愾心のようなものを持っており、野良猫のように遠目から彼女のことを威嚇するように睨みつけていることが常であった。
そんな彼自らやってきたので驚く。その態度が気に入らなかったのか、ロンはピクリと眉をひそめさせて息を吸い込んだ。怒鳴りつけるつもりらしい。
自分のことが嫌いなら関わらなければいいのに。
公爵家でも城内でも、難癖をつけて嫌がらせを仕掛けてくる輩は多かった。勝手に妄想して勝手に怒って勝手にいちゃもんを付けて勝手に去っていく。そんな労力を使うくらいなら無視していればいいのに。
アイサが知らず知らずため息を吐きかけるが、しかし彼の言葉は彼女が想像したものではなく。
「黒髪、お前、村長ん家の倉庫で何やってるんだ?」
アイサが彼の質問の内容の意味が分からず目を瞬かせていると、短気な彼は苛立ちまぎれに更に言葉を続ける。
「だから、お前突然この村にやって来て村長や大人たちに取り入って何しようってんだってきいてんだよっ」
そういうことか、と納得してアイサは小さく息を吐いて彼を見据えた。その眼光があまりにも鋭く、ロンは無意識に身を引いていた。
「……倉庫は改装して薬屋と診療所を。この村に来たのはウーノさんたちに森で行き倒れていた時に助けてもらった成り行きで、村長さんたちに取り入ったつもりは全くないし、取り入ったところで私にメリットはないのだけど? あなたこそどうしてそんなに私に構うの? 気に入らないのなら関わらなければいいのにっ」
話しているうちに苛立ちが募る。命からがらここまで逃げ伸びてきた。アイサ自身それはとても幸運なことだとは思っている。この村はのどかで平和でとても過ごしやすい所ではある。しかし、別に自分が望んでやってきたわけでもないし、診療所だって村長からお願いされたから、別にソニアの雑貨店を手伝うのでも何の問題もない。こちらの事情も知らずに勝手に懐疑的になられても困る。
ここに来るまでの自分はそんな敵愾心や疑惑の目に対して曖昧に笑みを浮かべてその場をスルーすることが最適だと思えたし、その方が楽で難なくやってのけることができていた。しかし、今回はなぜかいつも通りの行動がとれなかった。
淡々と感情を抑えて言ったつもりでも、冷徹になり切れていないことは彼女自身分かっていた。
初めて王妃候補や王太子の許嫁という立ち位置ではなく、薬師として、アイサとしての役割をもらえたのにうまくいかない苛立ちが募っていたのかもしれない。
アイサはロンを睨みつけて、呆然と立ち尽くす彼の横を通り抜けようとした。しかし、その直前で我に返った彼に腕を掴まれる。
「え、ってことは魔女の力を使って村長や大人たちを洗脳したり村を征服しようとしたりとか、そんなわけではないんだな?」
「……は?」
二人の間に寒々しい空気が通り抜けていった。