6.私の出来ること
それからさらに4日。予定通りに彼らの村へ到着した。
痛みもほとんど引き、痣や傷もうっすらと残る程度にまで回復していた。
「お帰り。ウーノ、今日の晩飯は期待してていいんだろな?」
門番らしき男が舌なめずりをしながら荷馬車、さらに言えば荷馬車に積んでいるであろう猟の成果を想像しながらにやけ気味に見つめる。
「ああ、期待していろ。日が落ちる前には広場で分配できるんじゃないか?」
珍しくニヤリと笑みを浮かべると、ウーノはそのまま門を通り過ぎた。アルキアの王都では見かけたことのない小さな掘立小屋のような家々がポツリポツリと建ち並び、やせた犬が均されただけの道ともいえぬ道を横切っていく。
着古したようなくたびれた服をまとった子供たちが興味津々と言った様子でウーノと荷馬車を見上げ、荷馬車がゆっくりと速度を落として一際大きな木造の家の前で停まったときには10人以上の子供たちが荷馬車を囲んでいた。
馬の嘶きに子供たちは小さな悲鳴を上げて逃げ出すが、またすぐに集まってくる。
服はぼろであるが、やせ細っている子供は見られず、食糧事情は豊かなのであろう。
「アイサ、お前は少しここで待っててくれ。本来村長の許しがなければ村に入ることは許されないんだ」
アイサは頷き、ウーノたちが木造の家の中に入っていくのを見ていると、
「うわっ! だ、誰だお前っ」
十代前後のいかにもやんちゃなガキ大将風の男の子が御者台から荷馬車を覗き込みアイサを威嚇していた。誰もいないはずの荷馬車に見知らぬ少女が乗っていたので驚いたのだろう。どこかで拾ったのか、小枝を剣よろしくこちらに向け臨戦態勢だ。
どう反応したらいいか迷っていると、少年の背後から影が差した。
「何してんのっ」
そして、少女の声と共に少年が消えた。否、正確には下に崩れ落ちた。
サリの膝カックンがまともに入ったようだ。精神的な攻撃を受けた少年に構うことなくサリは困った表情のアイサの顔を覗き込む。
「こいつに何かひどいことされてない?」
「ええ、誰か聞かれただけよ」
心配そうなサリにアイサはニッコリと微笑む。
「そう、まあこいつのことはどうでもいいの。お父さんがアイサお姉ちゃんを呼んできてだって」
羞恥にのたうつ少年をちらりと見やり、荷馬車を出た。
木造建ての家には、ウーノたちと好々爺然とした老人が待っていた。彼が村長のようで、にっこりと微笑むと怪我の様子を問われ、それから年齢や名前、これまでのいきさつを簡単に問われた。
さすがに隣国の王家お家騒動に巻き込まれたなど正直には答えづらかったので、知り合いとアルキア王国からやってきたが賊の襲撃にあい、崖から落ちてはぐれてしまったと嘘でもないが真実でもない話を神妙な口調で語ると、あっさりとこの村に住むことを許可された。
涙を流さんばかりに同情してくれた村長に若干の申し訳なさを感じた。
「さてと、旦那は獲物を分配しなくちゃならないから私らは先に家に帰ろうか」
「アイサお姉ちゃん、こっちだよ!」
サリに手を引っ張られながら改めて村を見渡す。アルキア王国にいるときは、王都はおろかほとんど城内から出たとこのなかったアイサ。荷馬車からでも少しは見えていたが、全容となるとその印象が大きく変わる。踏み固められた砂利と砂の道、雨風がしのげる最低限度の掘立小屋、街灯もなく文明の利器と呼ばれるような類は一切ない原始的で質素な生活を送る村人たち。
軽いカルチャーショックを受けながら夢うつつのままサリの後をついて行く。
「ここが私たちの家だよ!」
村長宅よりは小さいが、他の掘立小屋よりは立派な二階建ての家が目の前にあった。
「雑貨屋さん……?」
掲げられた看板には各国共通の雑貨屋マーク。その横に“ソニアの雑貨屋”とヴィースハールデン王国語で書かれていた。
「そう、この村で唯一の雑貨屋さん。お母さんがやってるんだよ! 外の商人さんが持ってきた、この村じゃ手に入りづらい生活必需品が売ってあるの。あと、山で採ってきた薬草とか、木の実とか、村の人たちの作った工芸品なんかもね」
そう説明しながら引き戸を引いて中に入る。半月ほど留守にしていたせいか少し埃っぽい匂いと薬草や古紙、香辛料など様々入り混じる独特な匂いが混じった不思議な空間。四方の壁には棚が天井まで造り付けられ、あらゆる品物が所狭しと並べられている。さらに入りきらなかった品物で床に溢れかえっていた。まさに雑貨屋の名にふさわしい雑然具合だった。
「すごいでしょ!」
「ええ、たくさんありすぎてどこに何があるか把握するのが大変そうね」
「ふふん、そう思うでしょ。でもお母さんに聞けばすぐにその商品が見つかるの。お母さんはこの店のどこに何があるのか全部把握してるんだから!」
さも自分の手柄のように胸を張るサリにアイサは素直に感心して頷く。
「サリは、ソニアさんのお手伝いしたりするの?」
「うん。でもまだ私は商品がどこにあるか分からないからお店の掃除をしたり、注文を受けたものをお客さんの家に届けたりすることだけなの」
「十分だと思うけど……」
着替えから入浴から食事から、何から何まで使用人にしてもらっていたアイサは自分が少し恥ずかしくなった。もちろん、国から飛び出し何日も野宿を繰り返しているうちに少しは自分のことをできるようにはなっていたが、掃除の仕方など分からないしお使いなど生まれてこの方頼まれたこともない。様々な教育を施され、礼儀作法やマナーを叩きこまれ、知識を得てはいても城を出てしまったら何も役に立たない。ついでに体力もあまりない。
「私、このお家のお邪魔にならないかしら。掃除なんてしたことがないし、当然この村の人たちがどこに誰が住んでいるかなんて知らないし、お役に立てる気がしないわ」
今更再認識し、自己嫌悪に顔がうつむき始めたアイサに、サリが口をとがらせる。
「なんでっ。私はアイサお姉ちゃんが来てくれたことが嬉しいのに、私だって初めからちゃんとお手伝出来てたわけじゃないもの。箒で床を履いてたら花瓶に突っ込んで壊したこともあるし、違うお家の人に注文の品届けちゃったりしたし。誰にでもはじめはあるし、失敗もあるんだよ」
「……サリは大人ね」
アイサの半分以下の年齢の子供に諭され、なんとも言えなくなる。どんどんと暗く後ろ向きな気持ちになっていくアイサに、黙って後ろを付いて来ていたソニアが口を開いた。
「アイサちゃん。あんたはちゃんと人に役に立てるよ。サリを助けてくれた薬師の知識。普通、毒蛇にかまれたらどんな蛇だったかどんな柄をしてたかなんて気にしないで毒消しの草を適当に傷口に塗り込むだからね。それで治ればいいけど、もしそれで治らなければ、誰もそれ以上何をすればいいのか分からず放置されておしまい。サリだってあのまま死んでたかもしれない。大抵の人はそういうものだと思ってあきらめてる。でも、そうじゃない人、薬師の知識を持つ人がいるだけでそれだけであきらめなくてもよくなる。と言っても実際、薬師は王都に住んでいて貴族の専属だったり治療費も高かったりで一般人がお目にかかれるわけではないけどね。だから、あんたはこの村に来てくれて、そこにいるだけで私たちの希望となりえるんだよ。あきらめなくてもよくなるんだよ」
ヴィースハールデン王国が例外ではなく、この世界の平均寿命はあまり高くない。衛生観念もなく医療の知識も富裕層が独占。それすらも間違った方法であることもままあり、出産で母子ともに命を落とすことも多く、体力や抵抗力の弱い幼子や老人はおろか、健康的な成人男性であってもケガや病気になれば医者や薬師にかかることができずあっさりと死んでいく。
サリたちの住む、辺境の村々であればその傾向はより顕著に表れる。
だから怪我をしたら、病気をしたらそれを正しく判断し治療してくれる人はどこに行っても重宝されるし、ありがたがられる。
気まぐれからか国王命令でカティアから薬師の知識を学べと言われ、しかし学んだところでカティアや姫以外からは特に評価をされるわけでもなく。医療関係者からは蛮族の知識を知ったところでどうなるものかと馬鹿にされ、城の中で曲がりなりにも王妃候補の自分が人々に治療を施すという場面があるはずもなく。
それがここにきてようやくその知識を存分に振るう場所を見つけた。
「私でもこの村で役に立てることが、ウーノさんやソニアさん、サリに恩返しができることがあるのね」
アイサの瞳に強い光が宿った。