5.薬師としての知識
旅に同行して3日目。まだ鈍い痛みは走るもののなんとか自力で起きたり歩いたりすることはできるようになった。しかし、彼女たちの手伝いを買って出ようとしたところ、荷馬車から出ることを禁止された。用を足すときと食事の時以外はサリの監視の元ほとんど軟禁状態だ。
もちろんそれはアイサの怪我を心配しての事であったが、日がな一日狭い荷馬車に詰め込まれていては気が滅入ってしまう。
御者台から外を覗くくらいなら許してくれるだろうと、アイサが壁に手をかけ立ち上がろうとしたところで、ソニアの鋭くサリを呼ぶ声が聞こえた。ただ事ではない気配に慌てて荷馬車から顔を出すと、苦しそうに呻きながら体を丸めたサリが目に入る。
「何があったっ!」
「あ、あんたっ。サリが毒蛇に」
「チッ、こいつか。おい、毒消しを探してこい」
不愛想なおじさん、ウーノの焦った怒鳴り声に慌てふためくソニア。近くでのたうっていた蛇はすぐにウーノの鉈のさびとなる。灰色の本体に頭から尾に掛けて走る黄色の一本線。アイサは目を見開くと荷馬車から飛び降りた。この種類の毒蛇は通常種とは違い毒が強力で更に感染症を引き起こす厄介な細菌も保有している。通常種であればアイサも口をはさむことはしなかった。しかし、さすがに命の恩人を見殺しにすることはできない。
「ソニアさんっ、毒消しだけじゃダメです。ククの実、それからできればシイの根っこも。ウーノさん。火を焚いてください。それで水を沸かして……えっと、ナイフっ。ナイフを熱消毒してください」
アイサの怒涛の指示に一瞬呆けた夫婦だったが、彼女の真剣な表情にすぐに我に返るとそれぞれ行動を開始した。
それを確認すると、アイサはサリに駆け寄る。自分の包帯を少しほどき、噛まれた腕の心臓近くを軽く縛る。サリは痛みに暴れもがくのを必死に抑えながら消毒されたナイフで少し傷口を開いてから毒を絞り出す。沸かした水を冷まし、毒入りの血を洗い流したとこで薬草を持って帰ってきたソニアとバトンタッチ。袋にククの実を入れて叩いて砕き、根を丁寧に水洗いしてみじん切り。毒消し草と合わせて更に細かくすりつぶしてから患部に塗り込んだ。
ぐったりとしているサリに水を飲ませると、ようやくアイサは一息ついた。
「これで問題ないはずです。後は脱水症状になりやすいのでこまめに水を飲ませてください。この薬も数時間おきに換えて、その時は面倒ですけど必ず煮沸消毒した水で綺麗に洗い流してから包帯も新しく付け替えてくださいね」
安心して痛みが一気に全身を駆け巡りだしたアイサは、尻餅をつくように座り込み、それでも達成感を感じて口元に小さく笑みを浮かべる。呆然と彼女とサリを交互に見る夫婦を見上げた。
「アイサ、ちゃんは……薬師さんなのかい?」
「いえ、正確には薬師見習い、です。」
アイサの師匠はもちろんカティアだ。カティアは元々ヴィースハールデン王国の第三王女であり、この国独自の医療技術を修め、国が定めた試験に合格した者のみが手にすることができる薬師の資格を持つ。その資格は上級中級初級と等級分けされており、上級の資格を持つ者はカティアの他、宮廷薬師数名のみ。初級といえども試験を通過することは困難を極めた。
上級薬師内で口伝される秘匿技術などもあり、当初ヴィースハールデン王国の国王は彼女が他国へ嫁ぐことを、その技術が他国へ流出してしまうことを厭うた。しかし、カティアは薬師の使命は人の傷を癒し救うこと。それがたとえ他国の者だとしても関係ないと断言してアルキアへ向かった。
残念ながらせっかく技術を伝えようとしても蛮族の医療技術など信用ならないとアルキアの医者や研究者たちは見向きもせず、王やほとんどの高官も彼女には人質としての役割しか重視しておらず、重要性を理解している者の発言力は低かった。そのため知識を分け与えられたのはアイサのみという皮肉なものであった。
その上級薬師の知識を得たアイサ、カティアには十分その資格に値するとは言われていたが当然試験はアルキアでは受けることができない。そのため、見習い扱いのままなのであった。
アイサは簡潔に、師匠について学んで知識はあるが試験は受けていないため薬師を名乗ることができなかった。きちんと資格を得ていないのに薬師と名乗ると罰があると聞いたので怖かったと、黙っていたことを謝った。
「いやいや、謝ることはないよ。その辺りは王都の人間、特にお貴族様くらいしか気にしやしないだろうし、サリを助けてくれた恩人に感謝こそすれども無碍にすることはないさね」
ソニアに何度も感謝され、ウーノに頭をガシガシと撫でられ、症状が落ち着き、起き上がることができるようになったサリには飛びつかれた。
その日の夕食は張り切ったウーノが硬直の解けたシカの肉の塊をそのまま塩で味付けただけの丸焼きにし、スープもいつもよりも具沢山。いつもは1杯だけな炊いた麦飯をお代わりすることも許可された。公爵家や王城での食事とは比べ物にならないほど、量が多いだけの質素な食事ではあったが、アイサには今までで一番のごちそうだった。