4.お人好しな家族との出会い
節々の痛みにうめき声をあげながらゆっくりと目を開けた。ぼんやりと薄暗い。ガタガタと揺れるたび体から悲鳴が上がる。無理やりに上半身だけ起き上がり、周囲を見渡す。
どうやら馬車の中にいるようだ。アイサたちが乗ってきた質の良いものとは比べ物にならない、お世辞にも乗り心地の良いとは言えないそんな荷馬車に揺られながら、アイサは自分が賊に捕まってしまったのだろうかと絶望する。しかし、拘束されているわけでもなく、目元以外全身包帯でぐるぐる巻きという、雑ではあるが治療も施されているらしい。
奇跡的に骨折はしていないようだが、全身打撲に筋も何か所か痛めているようだ。そして包帯の下の皮膚はきっと擦り傷や切り傷だらけなのであろうことは想像に難くない。どれだけの高さから落ちてしまったのかは分からないが、崖から落ちて無事であろうはずがなかった。
状況が今一つ理解できないアイサ。
木造の壁は所々に入るヒビや節穴から光が差し込んでいる。外は覗けないかと身じろぎし、足元にあった何かを倒してしまった。ゴトンと鈍い音がした。
「ん……? あっ! もしかして目、覚めたのかな!?」
その音に反応したのか、御者台の方から声が上がる。びくりと肩を震わせる。
ひょっこりと顔をのぞかせた少女が満面の笑みに、アイサはポカンと口を開けて首を傾げた。
「あのね、私たちこの近くの森で薬草の採集と狩りをしてたの。そしたらね、あなたが空から降ってきたの! あなたは天使様なの? それでね、天使様。眠ってるみたいだったけど怪我してたから急いでお父さんに知らせに行ったらお母さんも来て、びっくりしてたんだよ」
興奮気味に矢継ぎ早に投げかけられる拙い言葉に、アイサは口をはさむことができずに向かいに座り、苦笑いを浮かべる夫婦を見やる。陽気そうな恰幅の良いおばさんと、厳つい不愛想なおじさん。そして感情を荒ぶらせてテシテシと包帯の上からアイサの膝を叩き続ける少女。
少女の力程度とはいえ全身打撲に擦り傷切り傷。とても痛い。しかし、少女の笑顔の前に何も言えなくなってしまう。ちょっと涙目になってきたところで、気が付いたおばさんがそっと少女を抱き上げて拘束してくれたことにより、ようやく解放されたのだった。
現在小休憩中。雨は止み、薄曇りの空の下、道の脇に荷馬車を停めて空腹を満たすための質素な食事をもそもそと食べながら、目を覚ましたアイサに成り行きを説明しているところであった。少女のあちらこちらへそれていく話の内容をおばさんは器用に軌道修正しつつ、注釈や要約を交えながらも語ったことによると、崖から落ちはしたものの致命的な高さではなかったこと、下の草木がクッションになったことなど幸運が重なり、見た目は酷いことになっているがそこまでの重傷を負うことはなかった。さらに、アイサが落ちてすぐに少女に発見されたため、体は冷え切っていたものの低体温症に陥ることもなかった。
そして、人の好いこの夫婦は大怪我を負い、気を失った少女を森の中に捨て置くことなど出来ず、治療を施し介抱し、自分たちの荷馬車に乗せて保護してくれたというのだ。
「あの、助けていただいた上に食事までいただいてしまい、本当にありがとうございます」
深々と頭を下げると、今まで黙って話を聞いていたおじさんが徐に口を開いた。
「困っているときはお互い様だ」
「そうだよ。子供は遠慮なんかしちゃ駄目なんだから。何があったか知らないけれど、こんなにやつれて。もっと食べて早く元気におなりよ」
アルキア王国での成人年齢は15歳前後に対し、ヴィースハールデン王国は18歳。どちらにせよ14歳のアイサはまだまだ子供で、そんな少女が人気のない森の中で倒れていれば何か事件に巻き込まれてしまったのではと疑うのが当然だ。それなのにこの家族は誰もそれを聞かない。
ただ黙って受け入れてくれた。ある日、王妃暗殺からの突然打ち破られた平穏。隣国への亡命に賊の襲来、目まぐるしく変わる状況に、アイサは疲弊し、そしてまた一人ぼっちになってしまうところであった。そこに差し伸べられた暖かな手。
もしかしたら彼らは賊の仲間かもしれない。親切なふりをして近づき何か良からぬことを考えているならず者なのかもしれない。それでも、たとえそうだったとしてももういい。ただただ縋らずにはいられなかった。
気が付くとアイサはポロリと涙を流していた。一度流れた涙はとめどなく溢れ出る。
「天使様……痛いの?」
ポンポンと気遣わし気に少女の手が頭に載せられる。アイサはここに来て初めて声を上げて泣いた。家族に冷遇さ入れても無視されても、王妃の教育が辛くても、王妃の死を知っても、カティアたちと別れても、たった一人賊に囲まれ死を覚悟したときでさえ、決して涙を見せなかった彼女が咆哮するように悲痛に叫ぶ姿を彼ら家族はただ静かに見守ってくれていた。
***
アイサは1週間かけて自分たちの村へ戻るという家族に同行することになった。カティアや姫の安否は気になるが、土地勘も伝手もない状態で彼女たちを探すことは無謀であるし、怪我が治らなければ何もできない。
彼らの厚意に甘えて少しの間だけでも厄介になることにした。
「サリ、だから私は天使ではないと何度も言っているでしょう」
「えー、でもアイサお姉ちゃんは空から降りてきたし、こんなに綺麗だし」
「空ではなくて少し上の崖からだし、見た目だってそんな……」
アイサは自分の、腰まで伸びたストレートな黒髪を指でくるくると弄びながら漆黒の瞳で目の前の少女を見つめる。
すでに全身包帯からは解放されてはいるものの、手足はグルグル巻きのままである。ついでに薬草を全身に塗りこめられているため何とも言えない異臭を放っていた。
どう見ても彼女の方が天使寄りの容姿をしているように見える。色素の薄い淡くウェーブの掛かったブロンド髪の毛に透き通った青い瞳。絵画で描かれているような無垢な天使そのものと言った少女に天使扱いされるなんてと、アイサはいたたまれなくなる。
アルキア王国は黒髪黒目な人々が多く、ヴィースハールデン王国は金髪碧眼が多い。
しかし、どちらの国の宗教画に描かれている天使はまさに彼女のようなウェーブの掛かった金髪碧眼の美少女、または美少年。
切れ長な瞳のせいかいつも怒って見える、童話に出てくる魔女みたい、可憐な姉と色味が同じなだけな地味な妹、などとよく親や使用人たちに陰口を叩かれていたアイサとしては何とも反応に困るものであった。
皮肉で言われているのであればどれだけ気が楽であったろうか。本気のキラキラとした瞳で見つめられてアイサはそっとため息を吐く。
「ほら、サリ。アイサちゃんが困ってるだろう。おしゃべりはそれくらいにして今度はこの辺りの採集を始めるよ」
陽気なおばさん、ソニアがサリを抱きかかえて出ていくと荷馬車の中は途端に静寂に包まれた。