2.隣国へ亡命
その報を持ち込んできたアイサの専属使用人は倒れ込みそうなアイサを抱きかかえ、ソファーに座らせる。そしてさらに言い募った。
「アイサ様。第二側妃様が、容疑者として投獄されました。姫も現在自室にて監禁状態。情報収集を行っておりますが、詳細はまだつかめておりません」
「……な、んで」
「王妃様暗殺に使われた毒が隣国から持ち込まれたものだということが分かり、薬や毒にお詳しい第二側妃様が怪しいと、第一側妃様が……」
あまりのことに頭を押さえ、絞り出すようにして短い疑問を口にすると、忌々し気に使用人が答えた。
第一側妃。王子たちの実母でありながら側妃の地位に甘んずる。上級貴族の出身でよく言えば貴族らしい、我儘で傲慢な浪費家な彼女の名が出た瞬間、アイサは自然眉間にしわを寄せる。第一側妃が訴え、それをそのまま鵜呑みにした王太子によって証拠も動機も不十分どころか何も確認されないままに捕らえられた。
「王はなんと?」
「王妃様の死に悲嘆されており公務もままならないと」
王の王妃に対する寵愛はわが国では有名な話で、何年も子宝に恵まれず家臣から側妃を娶るよう進言されてもなかなか首を縦に振らず、最終的に王妃の一喝でしぶしぶと側妃を受け入れた経緯を持つ。側妃の選考を家臣や宰相に任せ、王妃に会いを囁き続けた一途な彼の憔悴ぶりは想像に難くない。
いつまでもこうしてはいられないと、部屋着から動きやすいものに着替え、部屋から出ようとしたところでノックが聞こえてきた。脇に控えていた使用人がドアを開けると、音もなくするりと一人の男が侵入しアイサの足元に跪いた。影と呼ばれる第二側妃の抱える諜報部隊の一人。
「アイサ様。犯行は宰相と第一側妃共謀によるものとほぼ確定いたしました」
「……そうですか。では第二側妃、カティア様は」
「は、ただいま救出に向かっております。姫はすでに退避済み。アイサ様も一緒にお連れするようとのお達しです」
アイサは無言でうなずくと使用人と男を連れ立って静かに部屋を出た。
一見地味だが見るもが見れば上等な作りだと分かる馬車に乗り込むと、目の周りを赤く染めた姫がアイサに抱き着いてきた。本国では珍しく、隣国ではありきたりだという緩いウェーブの掛かった亜麻色の髪の毛を振り乱し、緑色の瞳に涙を湛える。
「あ、アイサ。お母様がっ、お母様がっ」
右肩に染み込んでくる暖かな雫を感じながら姫の肩を優しく抱きしめる。
「大丈夫です。今影の者が救出に行っておりますので、カティア様もすぐにこちらにいらっしゃいます」
アイサより3歳年下の姫が泣き疲れて眠ったころ、カティアが先ほどの男に抱きかかえられて姿を現した。
「よかった……」
カティアは静かに寝息を立てる我が子と、その子に寄り添うアイサが無事なことを確認し、安堵のため息を吐く。姫によく似た元は艶やかであった髪は乱れ、若干やつれてはいるものの、意志の強いまなざしは陰ることなくアイサたちを見つめる。カティアはすぐに男に指示を出す。
ゆっくりと馬車が動き出した。
「宰相はもとよりヴィースハールデン王国との和平を望んではいないようでした。和平により軍部の縮小、それによる鉄製武器の製造削減。宰相の治める領は鉄の産出が主な産業ですので、彼にとって平和は悪であったのでしょう。そこで王妃殺害の罪を私に擦り付け外交問題とし、争いを巻き起こそうと画策していたようです」
15年前まで隣国、ヴィースハールデン王国と長年戦争状態にあった。両国とも疲弊し、このままでは共倒れになると危惧した彼らは、双方の王が同時に声明を出して停戦を互いに申し入れた。互いに蛮族呼ばわりし忌み嫌っていた者同士の表面的な和平に、ヴィースハールデン王国からは第三王女のカティア、薬師の知識を人質として送り、アルキア王国は鉄道の知識を送った。それからしばしの仮初の平穏な時が過ぎた。
「では、第一側妃様はなぜ?」
「もとより第一側妃様を押し上げたのは宰相ですからね。虚栄心の塊である彼女を焚きつけるのは簡単だったはずです。彼女は王妃を殺せば自分が王妃に成り代わることができるとでも夢を見たのでしょう」
吐き捨てるように侮蔑を含んだ言葉を言い捨てる。
慈悲深い王妃の国民人気はとても高い。さらに外交の手腕も素晴らしく、他国からの信頼も厚かった。豊富な知識に王妃としての心構え。様々な事柄を王妃から学んでいたアイサにはどう考えても第一側妃がその器であるようには思えなかった。
隣国からもたらされた毒というのも眉唾物で証拠もなく、毒イコール第二側妃という安易な発想だけで断罪し、罪を着せたところで、治療院や孤児院に頻繁に訪れ、けが人や病人に治療と癒しを与えていたカティアを日常的に見ていた国民たちを煙に巻くには、本来であれば少々弱いだろう。
しかし、王が腑抜け、宰相が国の実権を握ってしまったこの瞬間。真実は闇に葬られ、虚偽があたかも真実であるかのように流布される。その真偽がどうであれ、平和な時代は終わりを告げた。和平のための人質であったカティアがこの国にいる理由はなくなり、その血を受け継ぐ姫もこの国にとって、為政者にとっては邪魔ものでしかない。残っていても暗殺されるのが落ちだろう。
「アイサ、あなたはどうしますか? 公爵家に戻ることもできます。王太子と結婚し新たな王妃として国の母として国民たちを守ることもできます」
「いいえ。私は二度とあの家に戻ることはないし、王妃候補として無責任だと言われても王妃を殺めた第一側妃が自分の義理の母になるのだけはごめんまっぴらです。もとより空回り気味の正義漢を振りかざす世間知らずのボンボンの嫁になどなりたくありません」
答えは分かっていたのだろう、しかし、アイサのあまりの開けっ広げな主張にカティアは苦笑いを浮かべる。
「では、急ぎましょう。国境を封鎖されてしまう前に」
彼女の声が聞こえたのか、御者が馬に鞭を打ち馬車はスピードを上げる。最低限の休憩をはさみ、途中馬を交換しながら走り続け、2日目の真夜中。無事王都を抜け、さらに10日後国境を越えることに成功した。
鉄道であればさらに早く抜けることができたであろうが、各駅に待ち伏せされてしまっては逃げようがないためすべての行程を馬車で押し通ることしかできなかった。