第五話 新たな友人との出会い
(やっぱり怖いのを我慢してたのね……恐ろしい人間のお話ばかりだったから仕方ないけど、司祭様のお話はまだまだ続くみたいだから私がシッカリと手を握っててあげなきゃ)
イリーナはアリフィアの手を握りしめたまま司祭様の話に耳を傾けた。
話は更に魔王が現れる場面へと続いていく。
世界が交わった後に間髪入れずに襲ってきた兵士と呼ばれる集団の存在が、魔族に更なる恐怖を植え付けていた。
人族と言うのは亀裂が生じる遥か前から同族同士でも命の奪い合い繰り返している……そんな残酷で醜い存在なのではないだろうか? だとしたらどう足掻いても我々が勝てる筈がない……。
魔族はそんな諦めにも似た考えを頭から拭い去る事が出来なかった。
相手を傷つける為に強化された武器……。
自分の身を守る為に工夫された防具……。
そして相手を確実に死に追いやる為の技……どれも一日や二日で準備できるような物ではない。
これは魔族の住む世界と関わる以前から、人族が好んで殺戮を繰り返していた証拠に他ならない。
それに比べ魔族達は魔術を使えるとは言っても、それは日常生活の一部として使っていただけであり戦闘には向いていない。
そもそも誰かと戦い、相手の命を奪う為に魔術を強化しようなどと言った発想をする者がいなかった。
人族の暴力に対して火や水の僅かな魔術を駆使して必死に抗う者も居たが、相手を殺害する事に特化した兵士に敵うわけがなく、魔族は次々と命を落としていく。
そしてついには『魔族がそこに集まっている』……そんな理不尽極まりない理由だけで、抵抗すら出来ない女子供までが容赦なく命を奪われ、小さな集落は一つ、また一つと姿を消していった。
多くの魔族が悲しみに暮れ、このまま抵抗する事も出来ずに殺されてしまうのだと諦めかけていたその時に、突如この世界に現れ手を差し伸べてくれたのが魔王なのだと言う。
魔王は他の魔族には無い特殊な力と知識を持っていた。
誰も見た事がない魔術を使い、傷ついた者を次々と癒して命を救い、戦えない弱者の周りには結界を張って守り、武装した人間達の攻撃をいとも簡単に退けた。
魔王の強大な魔術で奪われた土地は次々と制圧され、人族は追い払われ、魔族はこの世界の半分まで領地を取り戻す事が出来た。
それと同時に魔王は魔術を強化する術を民に教え、人族に対抗できる力を与えてくれた。
魔族の戦う力は以前とは比較にならないほど大きくなり、人族との差は殆ど無い状態にまで成長する。
魔王の魔術ほどの威力は無いものの、巨大な炎を操り、氷の槍を放ち、雷を敵陣に落とし、人族の剣技や武術に対抗した。
それにより、この街のように境界線から遠く離れている場所では人族の姿を見る事はなくなり、魔族は笑顔で暮らせるようになった。
それでもまだ境界線近くの街では激しい戦いが続き、今でも多くの魔族が傷ついているのだと言う。
(うそ……魔王様のお話って子供に夢を与えるファンタジーとか、『〇〇はやっちゃ駄目よ』って躾をする時に聞かせる為の作り話じゃなかったの? この世界には人間が実在していていて、しかも魔族を苦しめる酷い存在だなんて……)
生まれ変わって以来一度も人間の姿を見た事がなかったイリーナは、『人間』とは前世での童話や小説に出てくるオバケや魔物と同じような『想像上の架空の存在』だとばかり思っていた。
なのに自分の中にある人間像とは余りにも違いすぎた話にイリーナは戸惑っていた。
この世界の人間は自分が知っている人間とは違うのだろうか……。
人族と呼ばれている事から前世の人間と同じだと思い込んでいただけで、実際には全く違う文化や宗教観念を持った残虐な存在だったのではないか……。
まるで泉に水が溢れるように、多くの疑問が次々と頭の中に湧き出してくる。
イリーナは司祭様の話が終わったあとも暫く席を立つ事が出来なかった。
「どうしたのイリーナ? おうちに帰るわよ」
呆然としていたイリーナは母親の声に反応して我に返った。
「え? あ、うん……ごめんなさいママ、アリフィアちゃんと少しお話ししたいんだけど、いい?」
イリーナの隣に目を向けると、娘と同じくらいの年恰好の子供と手を繋いでいるのが分かった。
母親は娘に友人が出来たのだと思い、近くにある屋台で待っているからと伝えたあと、教会の外へと歩いて行った。
誰も居なくなった教会の中で、イリーナとアリフィアの二人だけが並んで椅子に腰を下ろしている。
暫く無言のままだったが、アリフィアが下を向いたまま小さな声で質問をしてきた。
「イリーナちゃん、今のお話ってどうだった?」
「えっとね……絵本には書いてないお話が聞けたから、お勉強にはなったかな~って」
「それで、やっぱり魔王様が正しいって思った? 人族なんて居なくなればいいって思った?」
アリフィアがどんな意図で質問をしてきたのかは分らないが、その声からは少し寂しさが感じられた。
イリーナは思った事を素直にそのまま伝えてみた。
「魔族に酷いことをした人間が居たって言うのは、作り話じゃなくて本当の事なんだろうなって思うし、酷い目にあってた魔族を魔王様が助けたって言うのも本当なんだろうなって思う」
「……うん」
「そこだけを見れば人間は悪い、助けた魔王様は正しいって言えるかもしれないけど、だからと言って人間の行動の全てがいけない事だって決めつけるのも、人間全員が悪人だって決めつけるのも間違ってると思うし、逆に魔王様の行動は全部正しいって信じ切ってしまうのも良くないと思うわ」
前世の人間達が何の疑問も持たずに『魔族は悪』『人間は善』として書かれた物語を読んでいたように、イリーナも前世の記憶が無ければ、司祭様の話に何の疑問も持たずに『魔王様は正しい』『悪い人族は居なくなればいい』と考えていたのかもしれない。
しかし人間の優しさも魔族の優しさも知っているイリーナには、一方的な善悪で書かれている物語は簡単には信用出来なかったし、どちらが正しいと言った答えも出せなかった。
予想していなかった答えだったのだろうか、アリフィアは驚いた表情でイリーナを見つめた。
「それにほら、例えば近所の子と喧嘩しちゃったのをママに説明する時って、自分に都合の悪い事は絶対に言わないでしょ? 『私は何もやってないもん』とか『あの子が先に〇〇をやったんだもん』とか」
「……そ、それはそうだけど」
「でしょ~! 相手の悪い所ばっかり話して何とか自分が怒られないようにしようとしてね」
イリーナは言い終わった後に照れるように微笑んだ。
「まぁ、私はそのあとに嫌な気持ちになっちゃうからパパやママに正直に話して訂正しちゃうけど、魔王様はそれが出来なかったんじゃないかしら」
「……出来なかったって?」
「魔族が先に酷い目にあったのが事実だとしても、そのあと領地を半分まで取り返したって事は、そこに居た人族を傷つけたり殺したりしてるって事でしょ? そのあたりの詳しいお話って全然なかったし」
「……うん」
「仲間の仇を取って強い兵士だけを殺しました、でも一般の弱い人間には手を出さずに無傷で帰ってもらいましたって……それはあり得ないと思うの」
「……うん」
「それにきっと人族も人間の子供達にお話しをする時には、自分達が最初に争いを仕掛けた事なんて言わずに、魔族が魔法を使い無抵抗な人間を殺害してきた、魔族はみんな悪者だ、だから自分達は人々を守る為に反撃したんだって……そう話してると思うしね……だからどちらか一方のお話だけを聞いて、それが全部だって信じ込むのは凄く危険な事だと思うわ」
こんな考えは前世で悪魔や魔王の伝承を小説などの物語で読んでいるイリーナだから出来るのではないだろうか。
人間として生き、魔物として生き、両方の優しさと真実を知っているからこそ辿り着ける答えであり、この世界の住人には説明してもなかなか理解してもらえない考えだと思われる。
むしろ大人からは危険な思想だと排除されてしまうかもしれず、決して他人に話してはいけない考えなのかもしれないが、なぜかアリフィアには素直に話してもいいような……そんな気がした。
「だから今日の司祭様のお話を聞いても、そんな事実もあったんだなって思うだけで、人間が全員悪い人だとは思わないし、居なくなったらいいなんて思わないよ」
「……本当に?」
「うん!」
明るく答えるイリーナからは嘘や誤魔化しを言ってる様子は感じ取れなかった。
ずっと伏し目がちだったアリフィアが顔を上げ、イリーナの目を見つめながら嬉しそうに微笑んだ。