第五十三話 魔王復活は現実となる
人族との戦闘で重傷を負った警備兵は村の集会所へと運ばれていた。
戦闘に参加できない村人は身を寄せ合い、各々が役に立てる事を考え行動に移している。
中でも特に医療関係に付いている者の忙しさは尋常ではない。
多くの医療関係者が右往左往する中、一人の男性が的確な指揮を執っていた。
「私が治療の優先順位を判断します! 治癒魔術が使える者は私の指示に従ってください!」
村は遠征には重要な中継点なので、食料や防具の補給だけではなく兵士の体調管理にも万全の体制を取っている。
その為に都市からは優秀な医師が数名派遣されているのだが、誰も今回の重傷者を治療する事は出来なかった。
医療の知識はあり、治療の過程は思い浮かべられる。
だが傷に見合った医療魔術を発動させるだけの魔力量が絶対的に足りないのだ。
切断された四肢を繋ぎ合わせる……。
挫滅した患部を復元させる……。
毒矢で射貫かれ壊死した箇所を蘇生させる……。
この世界の医師にとっては、どの治療も頭の中にだけある絵空事でしかなかった。
「先生! 僕の腕は元に戻るんですよね?」
兵士は肘から先を失った腕を突き出し必死の形相で訴えかけるが、医師は静かに首を振る事しか出来ない。
「止血と切断面の滅菌を、あとは沈痛魔術を施して行きましょう」
「そんな! 治してはもらえないんですか!」
「すみません……治さないんじゃなくて、私には……いえ、誰にもあなたの傷は治せないんです」
微かな希望を打ち砕き、真実を告げるのは辛いものがあった。
医師は自分の無力さに拳を握りしめる。
「そうだ、辺境の村に魔王様が現れて奇跡を起こしてくださったと、そんな噂があったじゃないですか、魔王様なら……魔王様なら治せるんじゃないんですか!」
兵士は僅かな可能性に縋りつく。
だが医療魔術を扱う者は、普段から他の属性の魔術者以上に『出来る事』と『出来ない事』の現実を死に直結する形で突きつけられている。
だからこそ安易に夢物語を信用できない嫌いが有るのだろう。
魔王の生まれ変わり云々の話も、戦意高揚の為流された噂程度にしか思っていない。
兵士の問いに答える事ができない医師は、次の患者を診る為にその場を去ろうとした。
「先生! 見習い兵の方達が!」
息を切らせて駆け込む女性の叫び声を聞き、医師の顏に絶望の色が浮かぶ。
おそらく見習いの兵士達は全滅し、すぐにでも人族がここに傾れ込んでくるのだろう。
医師として動けぬ患者を見捨てる選択肢は無い。
最後まで抵抗する覚悟を決めたその時、ようやく息を整えた女性が続けて声を上げた。
「人族をやっつけてくれました!」
医師は彼女の言葉を即座に理解できなかった。
集会所に来る前に見た、人族との圧倒的な数の差は現実だ。
現実を覆す確実な要因が無い限り、彼女の言う非現実的な結論は受け入れがたい。
「待ってください……やっつけたと言うのは追い返せたと言う意味なんですか?」
「違います! 悪い人族をやっつけて全滅させてくれたんですよ!」
付け加えられた言葉を聞いても尚信じられない表情の医師の前に、キリルと見習い兵が入ってきた。
「負傷兵は無事か!」
立ち並ぶ見習い兵を見ると至る所が血の色に染まり、戦闘の凄まじさを物語っている。
だが医師はキリルの足元や、他の兵の状態に少し違和感を感じていた。
鋭い刃物で横一文字に切り落とされた裾や、袈裟懸けに切られた服には大量の血糊が付いている。
なのに彼らの体には傷一つ付いていないのは何故か。
どんな攻撃を受ければ衣服だけがあんな状態になるんだ……それに切り口に付いている大量の血糊は誰のものだ?
疑問は尽きなかったが、その問いに対する回答はボリスの掛け声の後すぐに示された。
「イリーナ、すぐに治療に掛かってくれ」
ボリスの指示でイリーナは警備兵の傍へと近づく。
だが何時迄たっても詠唱は聞こえてこず、不思議な手の動きを見せるだけだった。
(彼女は何をやってるんだ? 医療魔術士ではないのか?)
周りに居た医師も集まってきたが、誰もイリーナの行動の意図が分からなかった。
緊急を要する現場で無駄な時間は掛けられない。
医師がイリーナに声を掛けようとしたその瞬間、切断された袖口に広がる虚無の空間に突如腕が再生された。
「こ、これは……」
刃物で切り取られた袖は傷口からの出血で赤く染まっていた。
なのに腕は初めから何事も無かったかのように無傷でそこに存在している。
医師は警備兵とキリル達の状態を交互に見比べ、自らが辿り着いた答えを無意識に口にしていた。
「これは魔王様の奇跡なのか?……」
医師の心に幼い日の想いが蘇る。
教会で聞いた魔王様の物語に憧れを抱いた日の事を……。
親に絵本をねだり、魔王様のように魔族を救える存在になると誓った日の事を……。
「本当に魔王様が復活を……」
戦闘に適した属性が無く医療の道へと進んだが、魔術の事を知れば知るほど限界を思い知らされ、魔王様のような魔術はあり得ないと……所詮は作り話なのだと現実を突きつけられ諦めていたのに。
なのに現実に奇跡は目の前で起きている。
多くの魔族を救った魔王様の奇跡は現実の事だった。
潤む目でイリーナを見つめる医師にキリルが声を掛ける。
「これは夢でも幻覚でもないぞ、俺や見習い兵達も彼女の奇跡で命を救われたんだからな」
「イリーナ様……」
キリルの言葉で我に返った医師の目には、なぜか大量の涙が溢れていた。
そんな二人の元にボリスが近づき、他の者には聞こえぬ小声で話をする。
「見ての通り俺達が知ってる噂は本当の事だったが、くれぐれもイリーナに『様』を付けて呼んだり、『魔王様』と呼んだりしないよう気を付けろよ」
「なぜなんです? 彼女は魔王様なんですよね? 敬称で呼ぶのが当たり前なのでは?」
医師の疑問に対しボリスは亮然と言い切った。
「理由など必要ない、それが彼女の望みなんだから」
「しかし魔王様を呼び捨てと言うのは……」
「イリーナの考えに疑問を持つのは不敬な事だ、敬称など自己満足の演戯でしかなく、真の信仰心は呼び方ごときで歪むものではないからな」
満足気な表情で語るボリスに対し、キリルは驚きを隠せなかった。
「変わったなお前、最前線で戦ってた頃は『実力こそが正義! 役に立たない伝説なんか糞くらえだ!』 って魔王様を馬鹿にしてたのにな」
「そりゃあ何千年も前の御伽話だけを聞かされても、実際に俺達の戦いに役立った事なんて一度も無かったからな……魔王の伝説が役に立ってるのは、儲けに利用してる教会の奴らだけだろ」
「ば、ばか! お前何言ってるんだよ」
「構うもんか、教会と軍の幹部連中は繋がってるみたいだが、実際に命を掛けて人族と戦って来たのは俺達なんだ、机の前で踏ん反り返ってるだけの連中に何の価値があるってんだ」
「まぁな……お前は昔からそんな感じだったしな」
「教会で聞かされてた話が全部嘘だとは言わないが、見た事もない魔王の伝説なんか信じられるか?……だけど彼女は違う! イリーナは実際に俺の目の前に居て奇跡を起こしてくれる!」
「そうだな、彼女の起こす奇跡は疑いようのない現実だ」
ボリス達が話してる間もイリーナは治癒を続けていた。
もはや医師だけでなく兵士や村人に至るまで、全員がイリーナを魔王の生まれ変わりだと認識していた。
彼女の言動の全てに感謝し、幼い頃より教会で聞いて来た司教の言葉よりも、優しく語る彼女の言葉に重きを置き涙を流す。
「有難う御座います! 俺はどう感謝したら!」
「お礼なんて要らないですよ、私は自分に出来る事をやってるだけなんですから」
優しく微笑み、出来るのが当たり前のように奇跡を起こしていくイリーナの振舞からは、誰も目が離せない。
気が付けば負傷した者の治療は全て終わり、村は人族二千人の襲撃を受けながら、死者、負傷者は一名も居ないと言う最上級の結末を迎えていた。