第三十八話 帰路で見た異様な光景
「司祭様……やはりこの旅はここで中止にして街へ戻りましょう」
「そうですね、それが一番良いと思います」
ラウラと司祭様はイリーナを街へ連れ帰る事を決意した。
(駄目……今帰っちゃ駄目……)
中央都市が行った蛮行を止めると決めた事も、魔族に降りかかる災いを取り除き皆の平和を守るのだと誓った事も、このまま街へ帰ってしまっては全てが無駄になってしまう。
何よりも、辛いことから目を逸らし街へと逃げ帰る事を選んでしまっては、レオニードが追い求める夢に寄り添うどころか一歩も近づく事さえ出来ない。
でもそんな事は十分に理解している……。
……。
してはいるが、その全ての感情より『命を捧げられる恐怖』の方がほんの少しだけ勝っていたのかもしれない。
イリーナはラウラ達の言葉を否定する事が出来なかった。
(ごめんなさいレオニード……あれだけ偉そうに言っておきながら、私は何一つとしてあなたの力になれなかった……)
悔しさと悲しさと情けなさが津波のように押し寄せてくる。
イリーナはローラに抱きしめられたまま大粒の涙を流し咽び泣いた。
「どど、どうしたのイリーナちゃん! また苦しくなってきたの? こういう時はキスをすれば治るのよね? 今度は私がしてあげるから早くこっちに来て!」
「……そう言う事じゃないんだけどぉ」
鼻息を荒くするアリフィアを横目にローラは呆れたように呟いた。
「少し落ち着いたようには思えますが、まだイリーナさんの心の傷は癒えてはいないようですね」
「ええ、それに街へ帰るにしても途中でまた同じ発作が起きた場合、私達にエレオノーラさんと同じ判断と対処が出来るかどうか……」
目を見合わせ思案しているラウラと司祭様に対し、アリフィアが間髪入れずに割り込んできた。
「そんなのローラさんに一緒に来てもらえばいいじゃないですか」
「私ぃ?」
「まぁ、対処方法は聞きますけど、あとのキスは私の役目ですから絶対に譲りませんからね」
突然の意見に周りの者は誰も反応出来ずに居たが、村長だけは興奮気味に乗ってきた。
「それはいい考えです! 私の村の者が魔王様のお供を出来るなんて、これ以上に名誉な事はありません! それにエレオノーラなら年齢も近く魔王様の気持ちに寄り添うことも可能ですし、もちろん医術の知識も申し分ありません!」
「村長、少し落ち着いて下さい!」
ラウラに言葉を遮られても村長の勢いは衰えるどころか益々増していく。
そこに当事者であるローラの意見などは皆無である。
魔王様の為ならそれが最優先であり、そこに個人の感情など必要ない。
今回はただ『同行する』だけだから良いかもしれないが、例えこれがもっと重い内容だったとしても村長は笑顔で即決していたに違いない。
正しいとか正しくないではなく、それが信仰心と言うものなのだろう。
イリーナにとってはその考え自体が大きな負担となっているのだが、村人にとってそれは当たり前すぎて疑問にすら思わない。
彼女の事を考えれば一刻も早く人の思念の届かない場所に行くのが良案だと思える。
「分かりましたから一旦落ち着いて下さい! まずはエレオノーラさん個人の意見を聞いてからです、いいですか村長」
「は、はい……」
「エレオノーラさん、正直私としては医術の知識がある貴女が傍に居てくれたら心強いのですが、森の中を何日も掛けて移動するのは決して楽な事ではありませんし、安全だと言い切る事も出来ません、だから貴女の率直な意見が聞きたいんです」
「私ですかぁ? ……私は言われなくても最初から付いて行くつもりでしたよぉ」
「本当ですか?」
「お父さんにいつも言われてるんですけどぉ、一度治療を始めたら患者が完治するまで傍に付き添うのが医者としての責任なんだぁ……って」
「そうですか……立派なお父様ですね」
「はい、尊敬してますぅ」
はにかんだ笑顔を見せながら、ローラはイリーナに語り掛ける。
「イリーナちゃん、今は難しい事は何も考えなくていいからね」
「…………」
「旅の目的も聞いたけどぉ、今すぐ、自分の体を壊してまで答えを出さなきゃいけないって事じゃないんだし」
「…………」
「だから今はまずイリーナちゃんが元気になる事……それだけを考えましょうね」
「……はい」
イリーナはローラの腕の中で静かに頷いた。
程なくしてラウラ達は帰り支度を始めるが、念のため村人達には詳細をしらせないよう村長に申し出る。
もしも自分達のせいで魔王様が不調になったのだと知られてしまったら、それこそイリーナが一番望まない結果になりかねない。
イリーナは病気で体調が優れないから帰る事。
治療に必要だからローラも一緒に行く事。
村人にはその二点だけを伝えるのが魔王様の意思なのだと、そう村長に念を押した。
「それでは出発しましょう」
村に到着した時の華やかな歓迎ぶりから一転して、見送りは実に静かなものだった。
人々は一様に膝をつき、頭を垂れ、心から一行の旅の安全を祈っている。
馬車はゆっくりと進み出すが、身じろぎ一つしないで祈るその行為は、村人の姿が見えなくなるまで続いていた。
馬車が走り出して暫く経った頃、アリフィアがある事に気付く。
「あれ? この道って来た時とは違いますよね」
「ええ、良く分かりましたね」
街を出る時には最短のコースを進んできた筈なのに何故わざわざ違う道を選んだのか、アリフィアはラウラに疑問を投げかけた。
「私達の後に村へ来た旅人に聞いた話なのですが、森の中にある橋が人族の手によって何か所も破壊されているとか……」
「なんですかそれ!」
人族の兵士がローラの村を襲った理由……それは他の魔族の村を襲撃している所をレオニードに邪魔をされ、逆に命を奪われそうになったからなのだが、どうやらその時に彼に追いつかれない為に橋の破壊や罠の設置をあちこちで行ったようだ。
橋が無いのも問題だが、それ以上にどんな罠があるのか分からない道は危険すぎて通れない。
「なので安全を考えるとかなり遠回りにはなりますが、こちらの道を行くしかないんです……ただ……」
「何か問題でも?」
「確かこの道の近くには小さいけど人族の集落があったと……そう記憶してます……」
ラウラの言葉を聞き皆に緊張が走る。
「そこを避けて通る事って出来ないんですか?」
唯でさえ道の少ない膨大な森なのだ、更に遠回りをするとなると何日掛かるのか分からない。
それに遠回りをすればするほど、他の人族の村と接触する確率も増えてくる。
ならば出来るだけ小さな集落を……仮に争う事になってしまったとしても被害の少ない方を選ぶべきではないか。
「私の記憶が正しければ、そこは今まで一度も魔族とは争っていない戦闘力のない集落だった筈ですから……だからあちらも私たち魔族を避けるように暮らしていると思いますので、刺激せず、静かに通り過ぎるように努力すれば大丈夫ですよ」
ラウラは自分自身にも安全だと暗示を掛けるように皆に説明をした。
それでも不安を完全に消す事は出来ないでいると、アリフィアが自信満々話し出した。
「大丈夫大丈夫! もし戦う事になったとしても、私とイリーナちゃんが居れば負ける筈ないもの、まっすぐ進んじゃえばいいのよ」
その言葉を聞いたラウラが険しい表情になった。
「アリフィアさん……あなたとイリーナさんの力は理解してるつもりです……でもその事に慢心してしまうのは関心しませんね」
「慢心だなんてしてないです」
「誰かを守るために力を使うのは間違ってはいません……でも今のアリフィアさんは好んで力を誇示したがってるように見えますよ」
「そ……そんな事」
「大切な人を傷つけられても力を隠し続け、見ないふりをするのは卑怯な事です……でも、自ら進んで起こさなくてもいい争いを生むのはとても愚かな事です……今回の事も何も起こらなければそれが一番いいんですよ」
「は~い……」
アリフィアはラウラに諭され少し不満げだったが、何かを言い返せるほど自分の考えが正しいとも思えなかった。
ただ正論で諭された故に拗ねてしまっただけであろう。
その時、ローラが突然馬車を止めるよう申し出た。
「ちょっと止めてもらえますかぁ……何か嫌な感じがするのぉ」
ローラにだけ感じられる何かがあったのだろうか。
気が付くと馬車は人族の集落へと続く道との分岐点に近付いていた。
魔族の、しかも女性を4人も乗せている馬車が通るとの情報が伝わっていたのかもしれない。
もしかしたら村を襲った兵士とは別の人族が隠れているのかもしれない。
戦う力の弱いローラや司祭様がまた危険な目に合うかもしれない……アリフィアは先ほどの発言を心から悔いた。
「村の時と同じような感じなんですか?」
アリフィアがローラに問い詰める。
「ううん……あの時とは違ってぇ、危機と言うよりも何か憎悪とかぁ……そんな気持ちが悪くなる感じなのぉ」
時は夕刻が迫っている、状況を把握するなら陽のある間の方が良い。
アリフィアは人族が襲ってくる気配が無いことを確認して馬車を降りた。
「待ってアリフィア!」
先ほどまで自分の不甲斐なさに落ち込んでいたが、大切な友人が危険に晒されるなら話は別だ。
イリーナは馬車の周りに氷の結界を張りアリフィアと辺りを見渡した。
「イリーナちゃん、何か見える?」
「ううん、人族が隠れてる……って感じはないわね」
「でもローラさんが何かを感じてるかぎり絶対に何かある筈よ」
「うん、気を抜かないでアリフィア」
馬車を止めてある場所から少し歩いて行くと道が二又になっているのが見える。
その一方が人族の集落への道なのであろう。
あまり頻繁に馬車等は通らないと思われるその道はぬかるみが酷く、草が鬱蒼と茂っている。
さらに近づいて行くと、木々の中に一本の道標が夕日に照らされて立っていた……。
……。
……。
いや……道標だと思っていたそれは。
串刺しにされた人族の子供だった……。




