第三話 好きなのはザガートカ
「イリーナ、お誕生日おめでとう」
「ありがとう、パパ、ママ」
魔物の娘として生まれ変わった少女は『イリーナ・カレリナ』と名付けられ、優しい両親に見守られながら四歳の誕生日を迎える事となる。
この頃になるとイリーナは多くの言葉を覚え、両親との会話を楽しめるようになっていた。
文字の方はと言えば、絵本程度の文章ならば読んだり書いたりする事は何の問題もなく熟せたし、難しい言葉が出てくるような内容の本でも、単語の意味を教えてもらえれば理解する事が出来た。
それらは勉強をする環境に慣れている前世での記憶のおかげなのだと思うが、同年代の子供とは比べ物にならない速さで知識を吸収し、父親の『俺の娘はやっぱり天才だ~!』と言った親バカ発言に拍車を掛けていた。
容姿は母親に似たのであろう、肩まで伸びた紺色の髪や深紅の瞳は淡い青色の肌に映え、幼いながらも可憐な美しさがあった。
父親は自分に似た所が無いと嘆いていたが、イリーナが二歳の時に頭に生え始めた角を見てとても満足げだった。
当の本人は、父親と同じ大きさにまでなったら嫌だなと毎日角を撫でていたのだが、父親はその行為を自分と同じ角が気に入ってるのだと勘違いをし、イリーナの機嫌を損ねる事が度々あった。
しかし結果的に角は思ったよりは大きくならず、可愛い髪飾りのように見える事でイリーナのお気に入りになり、父親もホッと胸を撫でおろしていた。
「今日はイリーナの大好きなザガートカがあるわよ」
「本当? わ~い! ありがとうママ!」
母親がテーブルの上に次々と御馳走を並べていく。
どれもこれも日本では……いや、地球では見た事がない物ばかりだったがイリーナのテンションは急激に跳ね上がっていった。
特にお気に入りのザガートカが並べられた時の喜びようが凄かった。
ちなみにザガートカを日本人の知っている物で無理にでも例えるなら、材料は大きなハルキゲニア……のような生き物を一口大に切り、それを唐揚げのような技法で調理をし、甘酢のような紫色の液体をかけた物だと想像してもらいたい。
カリカリサクサクとした歯ごたえを楽しんだ後に、緑色のドロリと濃厚な物が口いっぱいに広がるのだが、そのドロリが例えようのないくらい美味だと言う。
正直なところ日本人の口に合うとは思えないが、魔物となったイリーナの舌には衝撃的な感動を与える料理のようだ。
「美味しい~! 明日からもずっとずっとお誕生日が続いたらいいのにな~、そうしたら毎日いっぱいザガートカが食べられるのに」
「あははは、イリーナは本当にザガートカが好きだな、じゃあお父さんの分もあげるから、いっぱい食べなさい」
「ありがとうパパ~! パパだ~い好き!」
どうやらザガートカはとても希少な物で、誕生日などお祝いの日にしか食べられない料理らしい。
イリーナは父親の分も含め、二皿分をペロリと平らげてしまった。
「ふぅ~、おなかいっぱ~い、もう食べられない」
普段は食べられない御馳走の数々にイリーナは大満足だった。
その後は母親の手伝いをしようと使った食器を集めて土間に置いてある桶へと運んだのだが、洗うための水がどこにあるのか見当たらない。
「ママ~、お水ってどこから持ってくるの?」
「あら、お手伝いしてくれるの? ちょっと待っててね、今出してあげるから」
母親は極々当たり前のように桶の上に手をかざし水を注ぎ始めた。
「え? えぇ~! ママ! 今どこからお水を出したの?」
今までは桶に入っている水やコップに注がれている水のように、用意されている状態の水しか見た事のなかったイリーナは、てっきり台所には近くにある井戸や川から運んだ水を貯めておく壺のような物があるのだとばかり思っていた。
なのに、母親は何もない空間から水を出していた。
もしかすると、この世界には当たり前のように魔法が存在するのかもしれない……そう考えたイリーナは興奮して母親に詰め寄った。
「ママ、ママ! 今のって魔法? 魔法を使ったのよね? そうなんでしょ!」
「ちょっと落ち着きなさい! 確かに魔術を使ったけど、これくらいは誰でも出来る事よ」
やはりこの世界には魔法が存在していた、しかもそれは誰にでも使えるのだと言う。
その事実にイリーナの頭の中は『凄い!』で埋め尽くされた。
「凄い凄い凄い! 私も魔法を使いたい! お水を出したい!」
「ん~……」
イリーナの願いを聞き入れ、すぐにでも教えてくれると思っていたのだが、母親は暫く考えてから答えた。
「あなたは頭が良いし理解する能力も優れてると思うけど、魔術を扱うのはまだ早いと思うわ……もう少し大きくなって、もっと世の中の出来事を理解できるようになったら教えてあげるわね」
「え~……今がいいのに~……」
イリーナは何故教えてもらえないのか納得できない様子だった。
「じゃあ、ママが使うのはいいんでしょ? だったら魔法で鯛焼きを出してよ!」
「え? 何? よく聞き取れなかったわ」
イリーナは前世で大好物だった鯛焼きを出してもらおうと思ったが、母親には通じなかった。
「だ~か~ら~、鯛焼きよ鯛焼き」
「ごめんね、何を言ってるのか分からないわ」
当然の事だが、この世界に存在しない物をこの世界の住人に理解してもらうのは難しいようだ。
イリーナは母親が分かる単語を使って説明しようと努力してみた。
「えっとね……お魚の形をした焼き菓子の中に、甘い物が挟まってて……」
「イリーナ……あなたが一生懸命説明してくれても、ママにはそれを出してあげる事はできないわよ……だってママにはそれがどんな物なのかも、どんな味なのかも分からないし……頭に思い描くこともできないもの」
魔法は何でも出来る夢のような力だと思っていたのに、どうやら出来る事と出来ない事があるらしい。
その違いがどこにあるのか母親にはハッキリと分かっているようだが、イリーナにはまだ分からなかった。
納得出来ないままプゥ~っと頬を膨らませ、イリーナは先ほど母親が水をだした時の事を思い出していた。
(ママはさっき呪文……と言うか、誰かに説明してるような事をつぶやいてたわよね? 確か、『空気の中に潜んでいる水よ、私の手の下に集まり桶を満たしなさい』って……空気の中に潜んでる水って水蒸気とかの湿気の事? それを集めて出したの? だったら私にも出来るかもしれないわね)
イリーナは両手を揃えて下に向け、母親と同じ言葉を呟いてみた。
すると手の下に小さな水球が現れ、それがどんどんと大きくなっていく。
『やった~!』と喜び勇んだイリーナとは逆に、母親は酷く狼狽えていた。
無理だと言われた事を……まだ早いと言われた魔法を使えた事を喜んでくれると思っていたのに、母親は必至の形相でイリーナを抱きしめ大きな声を出して叫んだ。
「イリーナ! 早く水を止めなさい! 今すぐ頭の中から水のイメージを消して!」
思いもしなかった母親の態度にイリーナは身を竦め、頭の中はいけない事をしてしまったと言う反省の気持ちでいっぱいになってしまった。
と同時に大きな球となっていた水は床に落ち、それ以上集まる事はなかった。
「大丈夫イリーナ? 痛い所はない? 気持ちは悪くない?」
「う、うん……ごめんなさいママ」
「ううん、怒ってる訳じゃないのよ、あなたが無事で本当に良かったわ……」
怒られると思い覚悟を決めていたのに、自分の事を心配し、泣き崩れる母親を目の当たりにしたイリーナは後悔の念に押しつぶされそうになっていた。
(ごめんねママ……パパとママを笑顔にする為に頑張るって誓ったのに、こんなにも悲しい思いをさせてしまうなんて……どうして魔法を使う事がいけないのか、どうしてママがこんなにも心配したのかは分からないけど……ううん……そもそも分からない事がダメなのよね……多分それって、引き金を引く事がどうして駄目なのか、どんな事が起きてしまうのかも分からない人に、理解もさせないまま拳銃を持たせるのと同じような事だと思うから……)
イリーナは魔法についての知識を蓄え、キチンと理解できるようになるまでは決して使わないと母親と約束をした。