第二話 初めての感覚への感動
(以前テレビで『あなたの前世は中世に暮らしていたお姫様です』とか『私は生まれ変わる前の記憶があるんです』なんて突拍子もない話をする人達の放送を見て『絶対に嘘だ! ありえない!』ってバカにしてたけど……まさか自分が体験する事になるなんてね)
少女は魔物となってしまった自分の手を眺めながら大きくため息をついた。
(それにしても転生輪廻って地球の生物の中でって限定じゃなかったの? 地球以外の世界も含めて生まれ変わりの対象だなんて、神様やお釈迦様の管理範囲広すぎでしょ?
まぁ地球上の生き物だとしても、クモとかゴキ〇リに生まれ変わっちゃう事を考えたら遥かに幸せだとは思うけど……)
文句を言いつつも少女は現実を受け入れる覚悟を決め、これからどう生きればいいのかを前向きに考え始めていた。
(魔物の世界ってどんな所なのか全く想像できなけど、知らない事をいくら悩んだって答えなんて出てこないものね、無駄な事をアレコレ考えて時間を費やすよりは現実的な事を考えないと)
開き直りにも近い感情だったが、魔物の娘として生を受けた事を素直に認めてしまえば、そのあとは比較的冷静に状況判断をする事が出来た。
(いつも見ているこの二人がお父さんとお母さんで合ってるのよね? すごく若く見えるけど前世の私と同じくらいの年齢じゃないかしら?)
いつも傍に居て世話をしてくれたり、母乳を与えてくれる事からこの女性が母親である事は間違いないと思うのだが、仕草や雰囲気は十六歳前後の若者にしか見えない。
しかし前世でも江戸時代以前ならば十代で結婚をする事も珍しくなかったと思うし、むしろその年齢で出産をする事の方が生物としては正しい姿なのかもしれない。
少女は自分なりの理論でフムフムと頷いた。
(考えたら魔物に対するイメージなんて、小説とか映画とかそんな物語でしか知らなかったけど、こうして実際に触れあうとイメージとは全然違うのね……確かに最初はその見た目に驚いちゃったけど二人とも凄く優しいし……人間の親子と何も変わらないわ)
濡れたオムツを交換するとき……ミルクを飲ませてくれる時……夜に添い寝をしてくれる時……。
両親の少女に対する行動の全てが愛情に溢れていた。
(でもでもでも、さすがに若いお父さんにオムツを交換されるのは恥ずかしすぎる! これだけはどうしても慣れる事なんて無理!……と言っても抵抗する事なんで出来ないけど……よし! こうなったら開き直って女王様になったつもりでお父さんに身の回りの世話をするように命令してやるわ! お~っほっほっほ)
精一杯虚勢を張ったものの、やはりオムツ交換による恥辱の感情はそう簡単に拭い取れる物ではなかった。
(やっぱり無理~! 一日でも早く『オムツ交換はお母さんだけにして!』って伝えたい!)
意思を伝える為にはまず言葉を覚えなければならない。
少女は両親が話している言葉を読み取ろうと意気込んで口元を見つめたが、唇は日本語や英語などの見慣れた動きをしておらず、何を話しているのかは全く理解できなかった。
(まぁ分かってたけど~……前世でも国によって色々な言語があったんだから、この世界の口話が見た事のない言語なのは当たり前だしね……きっと文字も全然知らない形だと思うけど、日本で音声言語を覚えた時と同じよね……ううん、むしろ記憶を残したまま赤ちゃんになったんだから他の子よりも有利だと思うし、それに時間はたっぷりとある訳だしね、また最初から覚えればいいのよ、よ~し! 頑張るぞ~!)
少女は先ほどよりも真剣に母親の口元を見つめ、日本で口話を覚えた時と同じように表情と口の動きを結び付ける事で言葉を探ろうとする。
しかしこの時に、自分が前世の十六年間では一度も感じた事のない不思議な感覚に覆われている事に気が付いた。
(目がハッキリと見える前からぼんやりと感じてたけど、これって何なのかしら? 耳が震えるって言うか、何かが流れ込んでくると言うか……)
違和感の原因を探るべく少女は神経を研ぎ澄ませた。
すると母親の口の動きと同調して耳に何かが入ってくる事が分かる。
初めての体験ではあったが、その事から少女は一つの可能性を導き出した。
(これって、もしかして……お母さんの声?)
そう認識してから改めて見直すと、確かに母親が少女に対して話しかけてくると感じられる何かがある。
(やっぱりそうだ! これって音が聞こえてるんだわ! 凄い凄い凄い!)
新しい体は音を聞く事が出来る。
その事実はこれ以上ないくらいの幸福感を少女に与えた。
音が聞こえている事を理解すると身の回りに溢れている生活音と、意思を伝えるために発する声の違いが良くわかる。
(そっか……声が聞こえるのってこんな感じなんだ)
聞こえる事が楽しくてはしゃいでいると、母親は何度も同じ口形で声を出し、少女に対して話しかけているようだった。
(これって、きっと私の名前を呼んでるのよね?)
少女は耳に入ってくる声を自分も出してみようと試しに息を吐きだしてみた。
しかし母親が話している声と同じ音はなかなか出せない。
「ん……ぅあ……」
(なかなか難しいわね……お口や舌の形はこれでいいはずなんだけど)
今まで声を出した事のない少女は思いのほか苦戦を強いられ、何度も何度も挑戦してみる。
すると、その様子を見た母親が驚きの表情を見せ少女を抱き上げた。
(あっ……これってもしかして『うちの子って天才!』的なフラグ立てちゃったかも?……魔物の赤ちゃんがどれくらいで話せるようになるのかは分かんないけど、いくらなんでも生後一ヶ月ちょっとで話そうとするのは早すぎるわよね……でも、不思議がったり気味悪がったりする様子もないし、こんなに喜んでくれてるんだから別にいいわよね?)
少女は更に耳に神経を集中し声を聞こうとしたが、今度の音は先ほどまでとは違うように感じられる。
どうやら母親は少女の名前ではなく違う言葉を発しているようだ。
(よく考えるのよ……赤ちゃんが何かを話すかもしれないって分かったら母親は何をするかしら?……赤ちゃんに話してもらいたい言葉……そうだ! 母親ならまず子供に『ママ』って呼んでもらいたい筈よ! この繰り返してる言葉はきっと『ママ』って意味に違いないわ)
少女は耳に流れ込む声に集中し、同じ声を出そうと頑張った。
「んあ……んま……まんま……」
「!!!」
母親はこれまで見た事がないような歓喜の表情をし、大きな声をあげて父親の元へと駆け寄った。
抱いている少女を父親に見せつつ、少女に対しても何やら必死に話しかけている。
(これって、パパの前でもう一度『ママって呼んで』って事なんでしょうね……よし! 私頑張る!)
少女は手を握りしめて気合を入れ、両親に向かって声を出した。
「まんま……まんま……」
その後の両親の喜びようは凄かった。
父親は『俺の娘は天才だ~!』とでも叫んでいるのか、両手を大きく天にあげながら部屋の中を暴れるように走り回っていた。
母親の方は何度も何度も『ママ』と言う言葉を要求しているように思える。
その想いに応え声を出すと、その度に少女に頬擦りをしてきたが、その目には喜びの涙が流れていて止まる事はなかった。
(簡単な意味の言葉なのに……たった一言話せただけなのに、こんなにも喜んでくれるなんて……)
少女は嬉しい気持ちに包まれると同時に、前世での事を思い出し自分を責めていた。
(前世の私はなんて親不孝だったのかしら……聞こえる子供だったら普通に両親を笑顔に出来る事でさえ、一つも体験させてあげられなかったなんて……私が聞こえないばかりに両親の幸せな時間を奪い、壊し……最後には死と言う形で絶望感まで与えて……私は……私は……)
生まれた子供の耳が聞こえず、声が出せないと分かった時の両親の絶望した表情……。
周りの子供と同じ事が出来なかった時の両親の辛い気持ち……。
そして事故で遺体となった自分と、そこにすがり付いて泣き崩れる両親の姿……。
それらを想像してしまった少女は心を潰されるような痛みに襲われ、ついには大きな声で泣き出してしまった。
母親は慌ててしまい、小刻みに揺らしてみたり父親と共におかしな顔をしたりしたが、少女が泣き止む気配は一向になかった。
暫くして母親が少女を抱いたまま静かに子守唄を歌い始める。
歌を聴くのは初めてだけど……歌詞の内容も分からないけど……心地よい空気が少女を包み込んでいった。
(日本のお父さんお母さん、ごめんなさい……私は今度こそ家族を笑顔に出来る娘になります……新しいパパとママを一生懸命喜ばせて、みんなで幸せになれるように頑張ります……だからお父さんとお母さんも、お姉ちゃんと三人で幸せになってね……)
…………。
…………。
魔物として幸せに生きる事を心に誓った少女は両親の愛情をいっぱい受け、大きな病気や怪我をする事もなくスクスクと育っていった。