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第二十一話 気持ちを楽にする魔術

 旅を始めてから二日目、早くも一つの問題がイリーナ達を襲っていた。


「おしりが痛~~い!」

「…………」


 イリーナは手足をバタつかせながら愚痴を言い、アリフィアは青ざめた表情でうなだれている。

 この世界の道はアスファルトや石畳で舗装されている訳ではなく、石や窪地の上を通る度に馬車はガタガタと大きく揺れた。

 それはイリーナが知っているどんな乗り物よりも最悪な乗り心地だった。


「イリーナさんは馬車に乗るのは初めてなんですか?」

「ラウラ先生は乗った事あるんですか? 私は初めてですけど、こんなに酷いとは思いませんでした」

「確かに慣れるまでは大変かもしれませんね、私も最初の頃は腰が痛くなりましたし」

「腰って言うか、とにかく椅子が固すぎてゴツゴツ当たるから……」


 イリーナは出来る限り揺れないように、必死に窓枠にしがみ付きながら耐えていた。

 隣を見ると、今まで黙り込んでいたアリフィアが突然両手で口を押さえながら唸り声をあげた。


「ぎ……ぎぼぢわるい……」


 確かにこの揺れと衝撃では乗り物酔いにならない方がおかしい。

 ラウラは咄嗟に袋を取り出してアリフィアに手渡した。


「大丈夫ですかアリフィアさん、休憩が出来る場所に着いたらすぐに停めますから、もう少しだけ我慢してくださいね」

「は……はい……」


 しかし馬車を停め、休憩を挟んだところで根本的な解決にはならない。

 動き出せば直ぐにまた気持ちが悪くなってしまうだろう。

 だがこの世界には酔い止め薬などと言ったものがある訳ではないし、何か別の対策を考えなければ快適な旅を続ける事は出来ない。

 イリーナは前世での事をあれこれと思い出していた。


(確か小学校の遠足でも同じような事があったわよね……お友達がお薬を飲み忘れてバスに酔っちゃって……その時に先生が色々とやってた気がするけど……)


 イリーナは荷物の中からコップを取り出し、魔術で炭酸水を作り出した。


「アリフィア、まずはお口をゆすいだ後にこれを飲んでみて」

「なにこれ? シュワシュワする果汁?」

「ううん、柑橘系の果汁は飲むと逆に気持ち悪さが増しちゃうの、だからこれは普通のお水に炭酸ガスを加えただけのものよ」


 コップを受取ったアリフィアが少しずつ炭酸水を口にする。

 その様子をラウラが不思議そうに眺めていた。


「イリーナさん、このシュワシュワしたお水を飲むのはどんな意味があるんです?」

「えっとですね……お水に含まれたアルカリ成分と炭酸ガスの刺激が胃腸の自律神経を整えて、気持ちが悪いのを抑えてくれるんです」

「自律神経とアルカリ成分……ですか?」

「はい、手や足を動かすための神経ではなく、内臓なんかを二十四時間ずっと動かすために命令を伝えてる神経ですけど……これは自分の意志で動かしたりするのは難しいですから、炭酸水を飲む事で刺激を与えるんですよ」


 淡々と答えるイリーナの様子に、司祭様もラウラも驚いていた。

 イリーナはアリフィアが炭酸水を全部飲んだ事を確認した後、今度はアリフィアの手を握り、手首から少し下の場所を揉み始めた。


「イリーナちゃん、何をやってるの?」

「これはね、内関ないかんのツボって言って、こうして刺激してると気持ち悪いのが徐々に治まってくるのよ、他にも手心しゅしんとか合谷ごうこくってツボがあるから刺激してあげるわね」


 医薬品のような劇的な効果がある訳ではないが、アリフィアの症状は少しずつ症緩和されてるように思える。

 イリーナはアリフィアが元気になるまでマッサージを続けた。


「ねぇイリーナちゃん、これも夢で見た魔王様の魔術なの?」

「ん~……確かに炭酸水は魔術を使ったけど、ツボ押しは魔術じゃないわよ」

「じゃあお医者様と同じ医術なんだ! イリーナちゃんてやっぱり凄~い!」


 乗り物酔いの症状が和らいだのか、アリフィアがイリーナに擦り寄ってきた。

 しかしイリーナは何か別の事を考えてるようだ。


(アリフィアの乗り物酔いはこれでいいとして、あとは座り心地の問題よね……こんなにおしりが痛いんじゃ今日一日だって我慢出来ないもの……低反発のクッションでもあればマシになると思うんだけど、あれって何で出来てるのか分からないし……)


 イリーナは他にも役に立ちそうな物を色々と思い浮かべていた。


(素材は空気を使えばいいわよね? 座布団くらいの浮き袋があったら座り心地がいいと思うし……あとは空気が動いて水平を保ってくれるイメージをして……)


 暫くして明確に作る物をイメージ出来たのか、イリーナはおもむろに手話での詠唱を始めた。


【私の周りにある空気よ、座布団の大きさに圧縮、固定し、地面から伝わる衝撃を吸収せよ】


 詠唱を終えた後、イリーナは手元に空気の塊が出来ている事を確認し、その柔らかさを確かめている。

 その姿はアリフィア達には意味の分からないパントマイムをしているようにしか見えなかった。


「やった~! 出来た~!」

「うわ! ビックリした! 急に大声を出さないでよ」


 イリーナが何をやっているのか分からず静かに見守っていたのだが、急に叫びだしたのでアリフィアは思わず驚きの声をあげてしまった。


「出来たって何が? さっきから手をモジモジ動かしてたけど」

「ふふ~ん、すっごくいい物を作っちゃった~、司祭様、ラウラ先生、少しだけおしりを持ち上げてもらえますか?」

「え? こ、こうですか?」


 言葉の意図が分からないまま、ラウラと司祭様は前かがみのまま腰を浮かせた。

 そこへイリーナが何かを置いているような仕草をするが、何も見えない三人には何をしているのか理解できなかった。


「はい、これでいいですよ~、座ってみてください」

 

 イリーナに促されるまま腰を下ろした二人は、今まで触れた事のない感触に感嘆の声をあげた。


「うわぁ、何ですかこの柔らかい感触は」

「空気のクッションです、これがあれば地面のガタガタも伝わってこないから、おしりも痛くならないし乗り物酔いもしなくなると思いますよ」

「す、凄いですねこれは、今まで経験した事がない心地よさです」


 その柔らかさは前世で話題になっていた『人をダメダメにするクッ〇ョン』に匹敵する威力だと思われる。

 余りの快適さにウットリとした表情を浮かべているラウラを見て、アリフィアが催促をする。


「イリーナちゃん、私にも作ってよ~!」

「はいはい分かってるって、今作るから待ってて」


 イリーナは手話での詠唱を始めたが、手話が分からない三人は先程と言葉の内容が違う事に気が付かなかった。

 

「はい、完成~! じゃあアリフィアも腰を上げてみて」

「こ、こう?」

「そうそう、じゃあ置いたから思い切って座っていいわよ」


 アリフィアはどんな柔らかさがあるのか期待をしながら勢いをつけて腰を下ろす。

 すると突然とんでもない音が馬車の中全体に大きく鳴り響いた。


『ぶぅ~~~!』


 司祭様もラウラも驚きの表情でアリフィアの方を見ている。

 何が起きたのか理解できないアリフィアに、にやけるような表情でイリーナが声をかけた。


「もう……アリフィアったら~、はしたないわね~」

「え? なに? ちがっ……私……」

「恥ずかしいのは分かるけど、生理現象なんだから仕方ないわよ……むしろ我慢する方が体に良くないから気にしない気にしない」

「本当に違うの……私なにも……」


 アリフィアは顔を真っ赤に染め、何とか分かってもらおうと必死に言い訳をしている。

 その様子を暫く眺めていたイリーナだったが、突然噴き出すように笑い出した。


「なんてね~、どう焦った?」

「え?……」

「今アリフィアの下に置いたのは悪戯いたずら用のクッションなのよ、わざと一か所から空気が漏れて音が出るようにイメージして作ったの」


 無邪気な笑顔を浮かべながら説明するイリーナを、アリフィアはポカポカと叩き始めた。


「バカバカバカ! イリーナちゃんなんてもう知らない!」

「ごめんね、でも他の事に気を取られてたから、気持ちが悪かったのは気にならなくなってたでしょ?」


 言われてみると確かに恥ずかしい感情だけで頭がいっぱいになり、気持ちが悪かった事など無かったかのように忘れていた。

 アリフィアは叩く手を止めてイリーナに問いただした。


「それじゃあイリーナちゃんは私を治療する為にわざと悪戯を?」

「ううん、それはアリフィアの恥ずかしがる顔が見たかったからなんだけど」

「バカバカバカバカバカ!」


 再びじゃれ合う二人を目の前にして、司祭様とラウラは笑いを堪えるのに必死だった。

 

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