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第十九話  怒りに任せて力を放つ

「ふざけないで! みんな酷い怪我をして……命を落としかけた子供だって居るのに……」

「大事の前の小事である、魔族全体の事を考慮するならば取るに足りない些細な事だ」

「子供の命を危険に晒す事が些細な事ですって!」

「そうだ、何か異論でもあるのか」


 次の瞬間あたり一面に乾いた音が鳴り響いた。

 使者の言葉に怒りが限界を超えてしまったのであろう、イリーナは相手の頬を力いっぱい叩いていた。


「許さない! あなた達は絶対に許さない!」

「愚かな……我らが意思に背く事が何を意味するか理解しておらぬらしいな」

「あなた達は本当に魔族を救う為に戦ってきたの! 魔王様の教えを守り、魔族を救おうと本気で考えているの!」


 手を出してもなお怒りが収まる気配はなく、イリーナは全身を震わせながら無意識のうちに手指の魔術を使おうとしていた。

 ラウラはそんなイリーナを制止しささやくように声をかける。


「落ち着いてイリーナさん、あなたが怒りのままに手指の魔術を使えば相手を確実に殺めてしまいます……どんな理由があっても中央都市の使者に手を掛ければ、あなたの家族にまで被害が及ぶのは明白です……だからここは私と司祭様に任せてください」


 歯を食いしばって耐えているイリーナをアリフィアに預け、ラウラは使者の方へと歩み寄った。


「あなた方は魔王様のご意思を伝える為にあるのではないのですか? 力無き魔族を人族の蛮行から守るために前途ある若者を育て、魔界を守ろうと努力していたのではなかったのですか? なのにこの街に住む弱き者を傷つけ、命を奪おうとし……魔王様の教えに反して申し訳ないとは思わないのですか」

「我らは何も間違いを起こしてはおらぬ、貴殿らが真実を隠していた事こそが魔王様に反する悪事だと知れ」

「私達は魔王様のご意思に逆らった事など一度もありません!」

「ならば問おう、今もなお世界中で人族による蛮行が行われている現状で、貴殿らは己の保身だけを考え、多くの魔族が死にゆく現実から目を背け、力を謀り助ける事すら放棄しているが、それが魔王様の教えだと申すつもりか」


 この先どれほど議論を重ねてみたところで使者の愚行が正当化される訳はなく、考えは永遠に平行線を辿り交わる事はないだろう。

 ラウラには諦めにも似た感情が沸き起こっていた。


「ラウラ先生、こんな奴らに何を言っても無駄ですよ……イリーナちゃんが強すぎて手が出せないって言うなら、私が代わりに痛めつけて皆に詫びさせてやりますから」


 普段では考えられないような荒い口調から、アリフィアの怒りの度合いが見て取れる。

 後ろに控えていた使者の一人がアリフィアの挑発に対し、用意してあった剣を手に取り睨みつけてきた。


「ほう、面白い……獣の相手が出来るからと言って、多少勘違いをしているようだな」

「うるさい! 私を軽く見た事を泣いて後悔しろ!」

「俺との戦いが獣を相手にするのとは比較にならぬ事が分かってないようだな……多くの実戦の中で人族を退けてきた魔術と剣術を、その身をもって知るがよい」

「うるさい! 黙れ黙れ黙れ!」

 

 アリフィアは砂鉄の剣を作ると、一気に間合いを詰めて切りかかっていった。

 使者は持っていた剣で受け止めようとしたが、アリフィアの剣が触れると同時に切り刻まれ、刀身を失ってしまった。


「なるほど、実際に間近で見ると凄まじい切れ味だな……それに打ち込みの速さも申し分ない……」

「何を今さら! 覚悟しろ!」

「確かにこの実力ならば獣では相手になるまい……だが獣は俺のように魔術では反撃してこないぞ」


 使者は魔術の詠唱を繰り返し、鎌イタチや竜巻といった現象を連続して放ってきたが、アリフィアの体術を駆使すれば使者の攻撃をかわす事はさほど難しい事ではなかった。

 だが相手も人族との戦いを繰り返し何度も死線を超えてきたのであろう、簡単にはアリフィアを間合いには入れてくれない。


「一ついい事を教えてやろう、これは人族がよく使う手なのだが……」


 使者は間合いを取ったまま詠唱を始めた。

 すると上空に西瓜ほどの大きさの水球が現れ、そのままアリフィアの頭部を覆ってしまった。


「人族の連中は俺たち魔族と戦う時は、必ずと言っていいほど声を出せなくしようとしてくる……魔術を封じ込め、体術だけの戦いになれば有利になると考えてるのだろうが、実に小賢しい」


 水球で呼吸を封じられたアリフィアが息を止めたまま使者に向かって突進する。


「魔術を封じられ、剣術しか使えぬお前が俺に勝てる見込みは無いぞ、早々に諦めるのだな」


 アリフィアは強力な魔術が使える訳ではなく、体術の補佐的な要素でしか魔術を使ってはいない。

 それ故に魔術を封じられても攻撃力が格段に低下する訳ではなかったが、呼吸が出来ないのは致命傷だった。

 一分も経たないうちに動きは鈍くなり、アリフィアは気を失いそのまま地面に倒れてしまった。


【アリフィアの顔を覆う水よ、霧散して飛び散れ】


 後ろで静観していたイリーナが手指の魔術を使い、アリフィアを襲っていた水を消し去った。

 一瞬にして水が消滅したのは、誰かが使者よりも遥かに強力な魔術を使い上書きしたと言う証である

 なのにどこからも詠唱が聞こえないまま魔術が発動している事実に使者は戸惑っていた。


「お前が俺の魔術を消したのか、ならば今度はお前の相手をしてやろう!」


 使者はイリーナに睨みつけるような視線を送りながら声をあげた。


「いい加減にして……」


 怒りに震えるイリーナには使者の声は届いてはいない。

 使者は先手を取って早く戦いを終わらせようと考えたのだろう、先ほどと同じ水の魔術を使いイリーナが魔術を使う事を阻止しようとした。

 顔を水球に覆われても焦る様子は微塵も見られず、イリーナは声を封じられたまま手指の魔術を使い始めた。


【私の顔に集まった水よ、霧となり空気の中に飛び散れ】


 手話での詠唱を終えると同時に、水はアリフィアの時と同じように瞬時に消え去った。

 使者は一瞬怯んだが、同じ魔術を繰り返し攻撃をしてくる。


【空気の中に隠れている水よ、あの男の元には集まるな、あの男の言葉通りになってはならない】


 イリーナの手指魔術により使者は水を出現させる事すら出来なくなっていた。

 何度詠唱を繰り返しても、何度イメージを思い浮かべてみても魔術が発動しない。

 今まで一度も経験した事のない現状に使者は困惑していた。


「俺の魔術が水だけだと思うな! 奴を切り刻め! 燃え尽きて灰になれ!」

 

 使者は他にも風や火の魔術を使って攻撃しようと詠唱を続ける。

 しかしイリーナの手指魔術が全てを打ち消していった。


「ばかな、こんな事はありえない……お前のその魔術は何なのだ……まさか……まさか魔王様と同じ手指の魔術なのか」


 もはや使者の存在にすら興味が無いのか、イリーナは冷ややかな視線を向けている。


「少し強い力を持っただけで何を自惚れてるの……多くの人族を殺戮した事を自慢してるようだけど、どうせ力のない女子供ばかりを手にかけて来たんでしょ……相手を殺す事ばかり考えて、自分が殺されるとは考えないなんて……そんなに殺し合いが好きなら本気で相手をしてあげるわ……もう謝罪も何も要らないから……」


 イリーナは必死に怒りを抑えるようにしていたが、感情を言葉にするうちに何かが吹っ切れてしまったのか、使者を睨み付けるようにして言い放った。


「苦しみながら死んで……」


 恐らくアリフィアの命を奪おうとした攻撃が決定打となってしまったのだろう。

 イリーナは怒りに精神を支配され、理性を失っていた。


【この男の周りにある空気の中から酸素を奪い続けろ】


 イリーナの手指魔術は恐ろしいものだった。

 徐々に薄くなっていく酸素が使者を地獄へと追い込んでいく。

 いくら呼吸をしてみても今まで通り酸素を吸収できない現状に、男は自分の身に何が起きたのかも分からないまま苦しみ悶えた。


「簡単に死ねるとは思わないで……アリフィアの味わった苦しみを十倍にして返してあげる」

【この男の周りから空気を取り除き真空に近づけろ】


 使者は口から泡を吹き、両手で胸を掻き毟りながら地面を転げまわった。

 水や風を使って攻撃している訳ではない……。

 石や砂鉄を当てて攻撃している訳でもない……。

 使者の周りには見て分かるような変化は一つもなく、何か異変が起きているとは到底思えないのに、イリーナの攻撃は男を確実に死へと追いやっている。

 残された二人の使者は、その現実を目の当たりにしても何一つ理解する事が出来なかった。


「おのれ! 貴様何をした!」


 二人の使者が同時に攻撃してきたが、イリーナは慌てる事なく対処する。


【この二人の男の細胞から水を奪い続けろ】


 手話での詠唱が終わると同時に男達の動きが止まった。

 手を見ると徐々に水分が抜け干からびていくのが分かる。

 そんな恐ろしい光景を見せつけられ、叫び声をあげて助けを求めようとしても、もはや喉の奥も乾き声を出すことすら出来ない。

 使者たちは絶望感を抱きながら次々と地面へ伏していった。

 イリーナはそんな様子を、まるで虫でも見るかのような表情で見下ろしている。


「さようなら……」

【雲の中に潜む静電気よ、雷となり……】


とどめを刺そうと手話での詠唱を始めたイリーナに、ラウラが必死の形相で抱きついてきた。


「イリーナさん! 殺してはいけません!」


 当然の事だが手話を知らないラウラには、イリーナがどんな攻撃をしようとしてたのかは分からない。

 だが止めなければ確実に命を奪っていたであろう事だけはハッキリと感じていた。


「駄目ですイリーナさん! どんな理由があっても魔族を殺める事は許されません! お願いですから正気に戻ってください!」


 息が苦しいほど強く抱き締められたイリーナは徐々に落ち着きを取り戻し、魔術の効力は消えて行った。

 三人の使者は辛うじて息をしている状態で倒れている。

 教員の手によって教会の中へと運ばれる男達の姿を見たイリーナは、少しずつだが我に返ってきたようだ。

 

「ラウラ先生……私……」

「落ち着いてきたようですね……良かった……」


 怒りに我を忘れていたとは言え、残酷な魔術を平気で使い、魔族を殺める事に何の罪悪感も感じなかった……。

 イリーナは自分の中に潜む闇の部分に怯え、震えが止まらなくなっていた。

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